70 気丈な異母妹
「う、うむ。近々、帝国皇太子と華燭の典を挙げるとの話が公式なものとなれば、そのようにもなろう」
さすが国王陛下は、話がまだ非公式なものだと、釘を刺す事を忘れない。
だがしかし、アデリシアの妃と言う事は、レティシアの義姉ひいてはアーロンの義姉になるのだと言う事実に、今更気付いたキャロルは、盛大に表情を痙攣らせた。
しかも華燭の典……結婚式とか言われても、完全に想定の範囲外だ。
「いえ……その……華燭の典などとは、私ごときには、と申しましょうか……せっかくの晩餐を、このように汚してしまいました事、誠に申し訳なく――」
「ローレンス隊長。これは、我々が国を守る武官として、不甲斐なかっただけだ。気に病まれる事はない」
「フォーサイス将軍の言う通りだ。刺客を退けて貰った感謝こそあれど、責めるような非礼など存在しない」
とりあえず、場をごまかそうと頭を下げれば、フォーサイス、アーロン双方からの、速攻の否定が入った。そんな両者を見たグーデリアンも、鷹揚に頷いている。
「うむ。正直なところ、フォーサイス将軍との共闘だったにせよ、帝国の近衛隊長殿が、これほど闘えるのだと言う事に、私を始め、皆、驚いているだけなのだ。事態の後始末が叶えば、ぜひまた食事を共にしよう」
「陛下の寛大なお心に深謝申し上げます」
「いや、何。これはこれで、我が国にとっても非常に意義深い夜となった。貴国とは、次代まで末長く手を取りあえればと、私も思うぞ」
「そのお言葉だけで、充分でございます。我が帝国の陛下もきっと、同じ思いであろうと存じます」
その言葉を潮時とするかのように、グーデリアンと王妃が、今宵はここまでとする事を宣言して、席を立った。
レティシアとディアンヌも、侍女に席を立つ事を促されたが、レティシアがそれには従わず、キャロルの方へと走り寄って来た。
「キャロル‼」
「ああっ、レティシア様!どうかそれ以上は、近付かれませんよう! お召し物が汚れてしまいます!」
「何を言ってるの、そんな血塗れになって!」
「全部、私の血じゃありませんから、大丈夫です! ご心配なさらないで下さい!」
「……っ」
さすが、兄の近くにいる事も多く、血を見る事が一再ではなかったレティシアである。
動揺はしているようだが、キャロルの姿に卒倒するような事はない。
「とにかく! 湯浴みと侍医の用意をさせておくから! 後始末がひと段落したら、来るのよ⁉ それと――アーロン殿下のために、フォーサイス将軍に手を貸してくれて有難う。フォーサイス将軍も、以後も殿下をお支え下さるとのお話、妻として、大変心強く感じました。どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます」
「レティシア……」
「レティシア妃殿下……」
キャロルばかりを「一般的な貴族の姫とは次元が違う」と褒めるレティシアだが、実は充分にレティシアも、第一王子派貴族相手に、一歩も引かないだけの胆力を持ち合わせていると、アーロンやフォーサイスは思っている。
レティシアを妹に持ち、キャロルを妃にと望む、アデリシア・リファール・カーヴィアルと言う人物の、底が知れないと、アーロンは内心で感嘆せざるを得ない。
そのキャロルは「夜は寝間着トークだ」とレティシアに押し切られ、何とも言えない表情で、レティシアとディアンヌを見送っていた。
ところで――と、アーロンが、そんなキャロルに改めて向き直る。
「当初の話だと、明日、出立するとの事だったが、もし怪我や体調の問題等があれば、もう数日、滞在を延ばして貰っても構わないと、そもそも伝えたかったのだ。むしろ、レティシアなどは喜びそうだしな」
「有難うございます、アーロン殿下。アデリシア殿下に、今回の件の顛末書を書きたいと存じますので、出発を午後にしたいとは思っておりますが、基本的なところは変わりません。後、そちらの〝軍鳩〟をお貸し頂ければ、充分です」
ディレクトア王国の〝軍鳩〟は、各国の王室間のみの行き来を可能としている、特殊な訓練を施された、伝書鳩の事だ。交通網がそれほど発達していない現状、アデリシアに連絡を取るには、確実で最速の手段となる。
「……〝軍鳩〟? いや、使用自体に否やはないが、とすると、すぐにはカーヴィアルには戻らない、と?」
「はい。殿下にお見せした、ライ麦取引の書類ですが、私にそれを託した、公国の首席監察官――彼は言わば第一皇子派の筆頭です。本来、もうすぐ行われる筈だった、第一皇子とアデリシア殿下との会談の〝手土産〟として、献上される筈でした」
「何……?」
「今回は持参していませんが、マルメラーデ国の貴族と、カーヴィアルの貴族との間でも、類似した話があり、メインはそちらとして、原本がそろそろアデリシア殿下の所に届いている筈です。ディレクトア分の報告書に関しては、恐らく会談の際に、アデリシア殿下に、橋渡しを頼みたかったんだと思います。もともと、ルフトヴェーク公国の第一皇子も、アーロン殿下やアデリシア殿下と同じ、融和政策に賛成の方ですから、手は取りあえるとお考えだった筈です。それが、ルフトヴェーク国内の内紛騒ぎで、会談の予定と同様、書類の存在も宙に浮いてしまった」
エーレが首席監察官であり、第一皇子なのだから、第一皇子派筆頭である事もまた、間違いではない。
事情を知る者が聞けば、欺瞞と誹られても仕方がなかったが、この時は誰も、その事には触れなかった。
「それで、君が代わりに……?」
「アデリシア殿下は、ただ書類だけを渡されたところで、明確な裏付けがないと一瞥もされないでしょうから、今回は私が動いています。国内貴族間の派閥やしがらみなどは、私には関係がありませんし――何より、せっかくここまで綿密に調べあげられた書類、私が無駄にしたくないですから」
何人にも「彼」の努力を否定させない――言葉にしないキャロルの決意が、アーロンやフォーサイスに直接伝わる事は、もちろんないが、書類の出自経緯そのものには、納得したようであった。




