69 言わせて貰います
「此度は、貴国を騒がせてしまい、申し訳なかった。クラエスの件、貴国と実際に取引を行なっていた、貴族家の件については、こちらでも詳細を確認の上、然るべく返答させて頂きたい。もちろん、我が名をもって、公式に、一切の誤魔化しなく返答申し上げると、誓おう」
アーロンがフォーサイスを立ち上がらせ、少し場が落ち着き始めたところで、グーデリアンが、ユリウスに向かって、そう、頭を下げた。
「……っ」
いくら怪しげな取引の追求に来たと言えど、一国の国王に頭を下げられては、ユリウスとしても、これ以上強く出られよう筈がない。
結果として、本命のアーロンを取りこぼす形になったと言っても良かった。
「宜しく……お願い致します。分かり次第……我が公国の陛下に……」
グーデリアンが「公式に返答」と言えば、その調査結果は、宮殿に届く事になる。皇帝の容態が悪いとなれば、皇帝代理の第一皇子と宰相が、まず目にする事になる。――すなわち、今回、第二皇子の身分で、勝手に内政干渉を仕掛けたと言う事を、「なかった事」にする事が出来ないのだ。
もしかしたら、グーデリアンなりの、ユリウスへのお灸なのかも知れなかった。フォーサイスが、アーロンを次代と認めた以上、いずれ〝選帝の儀〟を行うにしろ、アーロン以外の後継者を選べば、国民の反発が避けられない。儀式が有名無実化してしまったのだ。
グーデリアン自身は、もう1~2年かけて見極めるつもりだっただけに、釈然としない部分は残るのだろう。
『――おあいにく様でした』
やや唇を噛みしめながら、頭を下げていたユリウスの上から、ふいに、ルフトヴェーク語で、少女の声が降り注いだ。
『あ、両端の護衛は動かないで。一緒に血塗れになりたかったら、別に構わないけど』
剣は鞘に収まったままだが、刀身がコツンと、護衛の一人の足に当たった。
『誰だ』
頭は上げたが、振り返らないまま、ユリウスが問いかける。
『初めまして……じゃ、ない気がするなぁ。私、カーヴィアル帝国の近衛隊長職にはいるけれど、公国首席監察官エーレ・アルバートとは、個人的に親しいんで。お母様のお噂などは、特にかねがね』
『……首席監察官だって?』
『今、ここでは、首席監察官で良いんじゃないかな? さっき、アーロン殿下が、クラエス殿下の言いがかりの反証にしていた書類、あれ、私が彼から預かった書類だから』
年下と聞いている事もあるが、敬語を使いたくないと言うキャロルの稚気もあってか、対応がおざなりだ。
『なっ……』
『ちなみに、マルメラーデのイエッタ公爵家と、カーヴィアルのクラッシィ公爵家絡みの書類も預かったんで、そっちはそろそろ……帝国のアデリシア殿下の所に届いている、筈? 三国間の融和政策を提案する為に使おうとしていた書類なんだから――横槍は、認めない。皇弟殿下やイルハルトを矢面に立てれば、誤魔化せるとでも思った?』
冷ややかなキャロルの声に、ユリウスが思わず息を呑んだ。
カーヴィアル帝国の、しかもただの近衛隊長が知り得る情報を、既に逸脱している。
第一皇子と親しい、と言ったのが――事実と思える程に。
『……まさか、居場所を?』
『知ってたら、私が書類持って、王国に来る必要ないでしょ』
実際、まだクーディアなのか、帝都に向けて発ったのか、定かではないのだから、言っている事は、間違いではない。
『ただ、もはや、レアール侯爵を殺したところで、第一皇子が叛逆者となるような未来は成立しないとだけ、言っておく。諦めた方が良いよ』
『おまえ……どこまで……』
『どこまで知ってるか、って? さぁ……とりあえず、私は「諦めろ」と、警告はしたから。これ以上は、今の地位にもいられないと、思っておいて』
では、御前失礼致します、殿下――左手を胸にあて、せいぜい優雅に、キャロルは一礼した。
髪も服も血塗れだったのは、ご愛嬌としておこう。
言いたいだけ言ったキャロルが、そっとユリウスの側から離れて、下座に戻ろうとすると、どこにいたんだとばかりに、こちらも軍服を返り血で染めた、フォーサイスに腕を掴まれた。
「ローレンス隊長!」
「あぁ、将軍! 先程は、場を静めて下さり、有難うございました。さすがに、王族女性の方々にまで、あの惨状をお見せするつもりはなかったんですけど……」
「いや、あれは私が悪い。余計な事をして済まなかった。それより、怪我はないのか? その……随分と血が……」
「あ、これですか。自分の血は一滴もありませんから、大丈夫です。前にアデリシア殿下狙いで刺客集団が来た時は、結構血溜まりに足をとられたり、臭いに吐きそうになったり、人を殺した罪悪感にかられたりと…色々ありましたけど、我ながら、成長しました」
キャロル自身が初めて人を手にかけたのは、士官学校時代、アデリシアの殺害未遂に巻き込まれた時だ。
『君が奪った命の咎は、全て私が背負うものだ。それが、国を背負う事でもあるし、私にはその覚悟もある。罪悪感の為に振り返るな。私に恥じる事のない剣である限りは、躊躇わず、振るい続ければ良い。私に剣を捧げるとは――そう言う事だ』
血に塗れ、震えていたキャロルの手を、躊躇わず掴んだアデリシアには、当時から本当に、皇太子としての覚悟があったのだ。
「レティシア様に何かあったら、アデリシア殿下がディレクトアを滅ぼしかねませんからね。世の平和のために、剣を振るいました」
「そ……うか……」
一瞬、笑っておくべきかとフォーサイスは思ったのだが、キャロルが至って真面目な表情のため、不自然に痙攣った笑いになってしまったのは、致し方ないところだろう。
「とりあえず、いったん退出させて貰って、明日の朝改めて陛下や殿下方にご挨拶させて頂いても?将軍だと、血塗れでアーロン殿下に膝を折られても絵になるでしょうけど、他国の、それもたかが近衛隊長がそれをやったら、ただの不敬罪ですしね」
「それは――」
「いや。将来の義姉上が、義妹夫婦の為に身命を賭して、我が国の宿将を味方に付け、刺客を退けた――対外的にも立派な美談だ」
「⁉」
今、平然と物凄いセリフを吐いたのは――フォーサイスの背後から近付いて来た、アーロンだ。
「――ですね、陛下?」
立ち止まり、言わば「高砂席」のグーデリアンを見上げれば、グーデリアンも、気圧されたように頷いた。