66 波乱の晩餐会(前)
『キャロル様。確か私は、これから血の雨が降る晩餐会に赴かれると聞いたように思いましたが……』
『うん。降るって言うか、降らせるのは多分、私とロータスになるんだけどねー』
会場に向かうにあたって、護衛も兼ねてレティシアはアーロンが、ディアンヌはキャロルがエスコートする事になり、ディアンヌの部屋に向かいながら、鼻歌交じりに、今にもスキップを始めそうなキャロルを、付き従うロータスが訝しんだ。
王宮内で2人で会話をする時は、今回は考えた末、カーヴィアル語と言う事にしておいた。
キャロル・ローレンスの従者と見做されている以上、ルフトヴェーク語を話すのは不自然だったからだ。
ちなみにロータスは、最初にカレルとキャロルを迎えに行くよう、デューイから言われた時点で、カーヴィアル語はマスターしたらしい。
『この際、勝手に戦力と見做されている部分は置いておくとしましても、何故それほど愉しそうなんですか』
『ええー、それはもう、この衣装!第三王子が公式行事でお召しになった衣装の色違いって事らしいんだけど、この燕尾式の青い地模様入りの上着と白ズボン、金の肩章とフリンジに飾緒、上着のボタンを留めれば、引き立つ金刺繍の細やかさ! 完璧に私の好みドンピシャ! この後、血塗れにするのが勿体ない!』
ロータスに言っても、通じないのがもどかしいが、某日本の歌劇団で見た、某フランス衛兵隊隊長の衣装、そのままだ。
これに憧れない少女が、果たしているだろうか。
『ああ、母に見せたい! きっと一緒に盛り上がれるのに!』
『……デューイ様に、お願いしてみましょうか』
『いやぁ、ただの仮装になっちゃうから、お金勿体ないって。この宮廷で、晩餐会に出るから、かろうじて衣装に着られないで済んでるんだもの』
本人のテンションが、これほど高い事に加えて、カレルも一緒に喜ぶとあっては、デューイに否やはないように、ロータスには思えるのだが。
『まぁまぁ! ドレスじゃないのは残念と思っていたけれど、これもこれで素晴らしいわね!』
女性が男装の麗人に憧れる文化は、どこにでも根付いているようで、キャロルを一目見たディアンヌも、どこか楽しそうだ。
キャロルとロータスの会話が耳に入ったからか、自分もカーヴィアル語だ。
『男性パートの踊りは、帝国でも心得ていますから。晩餐の後の舞踏会もお任せ下さい』
『それは楽しみね。でも、アデリシア殿下が、望んで婚約した女性って言う立場が霞みそうねぇ』
微笑って、キャロルの左肘に手を置くディアンヌのそれは、決してキャロルのような「犬のお手」ではない。
ちょっとした悔しさを隠しながら、キャロルはディアンヌを、晩餐会が行われる〝青の間〟までエスコートした。
『キャロル』
ディアンヌを席に着かせて、その場を離れる寸前、静かな声が、キャロルを呼び止めた。
『事情はアーロン殿下から、少し聞いています。……任せましたよ。私の事は、二の次で構いません』
やはりディアンヌは、癒し系リネットとは対照的に、判断が極めて冷静だ。
無意識に両極を求めたクライバーは、なかなかに我儘だと、キャロルは思う。
……不敬罪なので、口にはしないが。
『アデリシア殿下に激怒されるような結末には致しませんので、ご安心下さい、ディアンヌ様』
耳元で、そっと囁いて、キャロルはディアンヌの側を離れた。
キャロルの席は、婚約段階では皇族でもないため、当然、最も下座になる。
レティシアやディアンヌ達とは離れるが、近くにはアーロンが座る筈だし、全体が俯瞰出来ると言う点では、むしろ下座の方が有難かった。
会場警備を装って〝青の間〟に入り込んだロータスに目配せをして、キャロルは席に着いた。
どのみち、明日出発をする筈だったのだから、今日の夜にイベントが生じたところで、全体の行動計画自体は阻害されない。
むしろ、ルフトヴェーク公国の方から第二皇子が飛び込んで来てくれたのは、勢力を削ぐのに、渡りに舟だ。
ロータスも、周り回ってデューイの為になると、最終的には納得して、この〝青の間〟に残ったのだ。
(さあ、いらっしゃい――ユリウス・ランカー・ルッセ第二皇子)
波乱の晩餐会が、幕を開けた。
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アデリシアとキャロルの婚約は、まだ正式文書の到着前と言う事で、現ディレクトア国王グーデリアンも、挨拶ではその事に触れず、キャロルはアデリシアの代理で、レティシアにレーランの誕生祝いを伝えに来た、レティシアの客と言う事になっていた。
最も、カーヴィアル帝国皇太子の近衛隊長=皇太子の寵姫と言う見方がまかり通っているらしいディレクトアでは、婚約の話がなくても、無遠慮な視線があちこちから突き刺さっている。
チラリと上手を見れば、憤慨しているらしいレティシアを、アーロンが苦笑混じりに宥めているところだった。
キャロルも、気にしていない……と、会釈でレティシアに示しておく。
キャロルの気合に反して、ルフトヴェーク公国の第二皇子は、遅れてくる――今、城下に入ったらしいとの使者の伝言があった。
晩餐会の後の舞踏会で挨拶をさせていただくので、食事はどうぞ召し上がり下さい、との伝言もあり、おかげでキャロルは、普段は見ているだけの宮廷料理を味わう事が出来た。
毒とは言わないまでも、何か盛られてはいないかと警戒はしたのだが、テーブルにさりげなく近付いて来たロータスが、こっそり『全て無害な塩に差し替えておきました』と囁いてきたので、それならと、遠慮なく平らげさせて貰う事にした。
相変わらず、レアール家の執事長は無双状態だ。
と言うか、やっぱり何か仕込もうとしていたのか。
見れば第一王子クラエスの表情に、明らかな不審と焦りが見える。
何をどこまで盛ったのかは知らないが、誰一人苦しみもしないのだから、焦るのも当然と言えば当然なのだが――分かりやす過ぎる。
兄の挙動に不審を覚えたのか、アーロンが視線だけを下手のキャロルに向けてきたので、キャロルはウインクして、親指を立てておいた。
フラグは回収しました、と言いたい事が伝わったのかどうかは定かではないが、一瞬目を瞠った後、下を向いて笑いを堪えだしたので、ある程度は通じたとみて良さそうだった。
かなり笑い上戸なのでは……とも思ったが、この状況下でここまで笑えたら上等だ。
この人は、上に立てる人だ――アデリシアには、そう報告しておこうと、キャロルは思った。




