65 決断の時
「そうしよう。それで、私はこの書類で、クラエス兄上に自主的に退いて頂ければ良い訳か」
「ここへ来るまでは、そのつもりでした。ですが、夜の晩餐会に、ルフトヴェークの第二皇子が来ると聞いて――状況が変わりました。自主的に退いて頂くのは、難しくなったと、ご覚悟下さい」
「……私が失脚する、と言ったな」
アーロンには「聞く力」がある、とフォーサイスは思った。
レティシアやフォーサイスが何度も言っていたにせよ、キャロル・ローレンスは平民の、しかもまだ10代の少女だ。
頭から意見など聞く気がなくても、それも仕方がないところ、アーロンは正面から、キャロルと対話している。
(私が、どの王子に膝を折るか、だと……?)
国王陛下に膝を折るのが、国軍の将軍であるものを、何故、そんな事を求められなくてはならないのかと、フォーサイスなどは思うのだが、仮に国王から「次代を支えてやって欲しい」と言われれば、首肯せざるを得ないのだから、結果としては、同じ事になるのかも知れなかった。
元々〝選帝の儀〟は、33歳の第一王子、29歳の第二王子との一騎打ちと言われていて、14歳の第三王子は、次代としては厳しいと見られている。
ただ、自分には蚊帳の外の話と思っていただけに、いきなり、夜までに決めろと言われても、フォーサイスとて、面食らわざるを得ない。
アーロン以上に、黙ってキャロルの話に耳を傾けるより他なかった。
「アーロン殿下の領地内で、最近不正を働いて、追放された家宰か執事がいる筈です。貴族の数を考えれば、今、特定している時間はないので、もう、いるものと仮定して下さい。それが〝宮廷ルート〟の宿のどこかに入り込んで、この虚偽取引に手を貸した筈です。そうして、晩餐会の席で、声をあげる。『自分は、アーロン殿下の指示で、クラエス殿下に罪を着せるために、この不正をやった』と。そうすれば、クラエス殿下を告発する為の書類の筈が、一気に逆の意味を持ちます。その者が、アーロン殿下所領の屋敷で最初に働いていたのは事実でしょうから、反論の証拠を集めるのには、時間がかかる。……と、向こうは思ってる」
小賢しい、と舌打ちも聞こえた気がしたが、由緒正しい皇族と、国の宿将は、礼儀正しくこれを無視した。
「クラエス兄上が、同じ証拠をもって、逆に私を告発する……か。ルフトヴェーク公国の第二皇子は、さしずめ立ち合い役か?」
「クラエス殿下は、そう思ってると思います」
「そう思ってる?」
「請求書と納品書の偽装で得られるのは、お金。中抜きしたお金の行き先が、実際はカラパイア公爵家でも、表向きは家宰達の不正になってます。実はライ麦の高値取引の話は、そのままなんです。ヤルン侯爵家から情報を得たとして、ベストラ侯爵家とカラパイア公爵家の不正の方を突かれたら、クラエス殿下は共倒れです。むしろ、そこまで狙ってると思った方が良いです」
「共倒れ……」
「まだ、色のついていない第三王子に立太子して貰って、国王陛下には、ルフトヴェークの第二皇子と手を組むよう、説得――と言う名の脅迫ですね。それが狙いです。立ち合いなんて、生易しいものじゃないです。多分、血をみますね」
「……っ」
息を呑んだのは、フォーサイスだった。
アーロンは、執務の机に乗せていた、両手の指を絡ませて、その上に唇をあてたまま、考える表情を浮かべていた。
「もはや、それは避けられないと?」
「ルフトヴェークの第二皇子が来ないのであれば、第一王子殿下を説得すると言う方法も採れなくもなかったですけど、今となっては難しいと思います」
クラエスからすれば、各国間の融和を唱えるアーロンは、目障りでしかない筈で、実際の説得は無理だろうとは思うが、それは国の外の人間が、主張する事ではないので、敢えてソフトな言い方を、キャロルはしておいた。
「そしてアデリシア殿下に、国ごと買って貰うしかない、と……」
「えっ、いや、さすがに国は無理ですよ⁉ アデリシア殿下も、各国間の融和路線をとられたいだけで、そこに優劣をつけようなんて、思っていらっしゃいませんから! 国ごと差し出すとか言った日には、私が激怒されます! 私がやるのは、アーロン殿下に生き残って頂いて、融和路線を出して頂くのを、アデリシア殿下に支持して頂く事だけですから!」
「……生き残る」
「第二皇子の手の者で、最強の刺客が今回いませんから、光明はありますよ? 多分ほとんどは蹴散らせる筈ですから。私が厳しいのは――多分、フォーサイス将軍だけですね」
「――――」
キャロルとアーロンの視線を受けた、フォーサイスが立ちすくんだ。
「私は……」
「あー……晩餐会までに決めて頂ければ良いですよ、将軍? 多分、この部屋を出たら、クラエス殿下からも、何かしらお呼びがかかると思いますし。公平に両方の話を聞いて、決めて下さい――って、私が言って良いのか、分かりませんけど」
チラリとキャロルがアーロンを見ると、アーロンも微かに笑った。
「まあ、強制出来るものではないだろうな。強要した忠誠など、長続きもすまい。そもそも争いが嫌なら、上2人は見限って、コーネラスの将来性に賭けると言う策もあるしな」
「ご自分でおっしゃいますか、それ。あ、ちなみに晩餐会まで、将軍にここにいて頂くとかも、しませんので。それをやると、こちらが勘付いたって、バレちゃいますからね」
「……ローレンス隊長、それだと、アーロン殿下が危険に晒されるのが、目に見えているが……」
やや眦を険しくしたフォーサイスにも、キャロルは怯まなかった。
「どうせ〝選帝の儀〟まで危険に晒されるんですから、長々と毒殺や夜の刺客の危険に怯えるより、今晩1回で決着ついた方が良いじゃないですか。あ、アーロン殿下はご家族と、ディアンヌ様を守る事に集中して下さって構いません。ご家庭での好感度を限りなく上げられる、またとない機会ですから」
「その……私がレティシア達に好かれていないような物言いは、若干引っかかるな……」
「公務、公務で、なかなかご家庭サービス出来てないですよね? あと、レティシア様を今後も任せて大丈夫だって言う、アデリシア殿下へのアピールも、もちろん兼ねてますので、頑張って下さい」
「……君、なぁ」
半ば呆れながらも、何となくアーロンが面白そうにしているのを、フォーサイスは感じ取った。
隠れていろ、とはキャロルは言わないのだ。
まして、自分の後ろにいろ、とも言わない。
晩餐会を切り抜ける為に、主要人物の一人として、頑張れと言ったのだ。
決して権力に擦り寄っている訳ではない事が明白で、話に乗る価値があるように思えてしまう。
無論、王族だからと言う理由だけで、後方にいる事が多い現状に、満足していなかったアーロンならではの心情なのかも知れない。
「そんな訳でアーロン殿下、武官用の礼服をお貸し下さい。張り切って、ドレスを準備するとおっしゃってた、レティシア様には申し訳ないんですけど、そんなの着てしまったら、動けません。それと、宝石ジャラジャラ付いてるとか、そんな豪勢な服でなくて良いです。どうせ血塗れになるでしょうから」
「……血塗れ前提で作ってある礼服など、そもそも存在しない。それに、私ともサイズが合うまい。まあ、軽いと言う事を前提に、衣装係に探させよう。将軍、彼女を衣装部屋へ案内してやってくれ。私は少し、レティシアと義母上と話をしてくる」
「……は」
アーロンは結局、フォーサイスに「自分に膝を折れ」と、一言も言わなかった。
果たして、自国の王族を守るのが、他国の近衛隊長で良いのか。
だがそもそも、キャロルの話は、どこまで確かなのか。
フォーサイスは、迷いを消す事が出来なかった。
――キャロルを衣装部屋に送った後、第一王子クラエスの従者に、声をかけられるまでは。