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エールデ・クロニクル――剣姫、紅月に舞う――  作者: 渡邊 香梨
第六章 暁星を追って
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57 最善と次善

「まず、明日ルフトヴェークに()つって、何だ」


「ヒューには、前にも話したよね? ()()()()()()への刺客が放たれて、今、このカーヴィアルからルフトヴェークの公都経由で侯爵領に向かってるって。刺客はあの、イルハルト。あの人相手に、生半可な人物は助っ人として送れないって事も」


 恐らくは、誰かに聞かれる可能性を警戒してか、敢えて「父」と言わないキャロルに、ヒューバートが僅かに眉を(ひそ)めた。


「それは……確かに多少は聞いたが……」


「イルハルトに先行するためには、ディレクトア側から入る方が早い。とは言え、向こうはもうカーヴィアルを出ているだろうから、なるべく早くこちらも()たないと、って」


「……っ、分かった! ディレクトア経由で、ルフトヴェークに出発するって言うのは、分かった! ディレクトアで、第二王子に繋ぎを取るって言うのも、分かった! けど、婚約って何だ⁉誰と誰の婚約だ⁉」


 ふい、とキャロルが視線を逸らした。


「何で、こんな時だけちゃんと聞いてるかなぁ……」


「おい!」


「多分、もう何日もしないうちに、このあたりにも話は流れて来ると思うんだけど……私が、アデリシア殿下の側妃として、近衛を離れて、後宮に入る……って」


「はあ⁉」

「フランツ、声が大きい」


 冷静に、ルスランがヒューバートを(たしな)めはしたものの、その声色は、冷ややかだ。


「何故、そんな話になっているんだ? 君は――」


「何やってんだって、言われる話なのは分かってますよ! だけど、これしか帝国(くに)を出る方法が思い浮かばなくて! すみませんね、バカで⁉」


「おまえ……っ、誰が開き直れと――」


「二人とも、落ち着け」


 パン、と、ルスランが両手を叩いて、感情的になりかけていた、キャロルとヒューバートの話を中断させた。

 さすが諜報担当と言うべきか、今の一言で、キャロルの意図した事を察したようだった。


「分かった。責めるような物言いをして、すまない。確かに――言われてみれば、それが最善なのかも知れない」


「おい、ルスラン⁉」


「重要なのは、事実じゃないんだ、フランツ。彼女がしばらく帝国(くに)を離れる――その不自然さを覆い隠す、最も自然な理由が、()()だと言う事なんだ。後宮に入ったと言えば、しばらく表舞台で姿を見なくとも、ある程度は取り繕える。全く実態の伴わない、仮初(かりそめ)の婚約と言っても良い。ただ、その事を知っているのは、当事者2人と皇帝、側近程度。ほぼ九割五分が、純粋に婚約を祝福する流れになっているんだろうな」


「なっ……」


「はい。否定はしないので、代わりに出来れば、ここだけの話にしておいて下さい」


 視線を向けられたルスランが、軽くため息をついた。

 ヒューバートは、どこから怒って良いのか、分からないと言った感じだ。


「……エーレ様には、どう説明しろと?」


 ルスランが、やや意地の悪い問いかけをすれば、キャロルも、聞かれたくなかったとでも言いたげに、顔を(しか)めた。


「多分、詳しく言う前に気付くと思います。そう言う人だと思うので……ただ……嫌われないと良いなぁ……」

「え?」

「何でもないです……あの、ちょっと、お願いがあるんですけど」

「お願い?」


 唐突なキャロルの「お願い」話に、ルスランも、ついうっかり、聞く体勢をとってしまった。


()()()()を書ける人を総動員して、この書類の写しを、今日中に作って頂けませんか」


「読める字を書ける人?」


「とりあえず急ぎの案件なので、綺麗な字、とまで贅沢は言いません。読める字を書いて貰えればOKです。――写しが、欲しいです」


 この世界には、コピー機なんて文明の利器はないので、アナログに手で書き写すしか、やりようがないのは、仕方がないが、もどかしい。


「必要なら、この書類ごと、君が持っていけば良いんじゃないのか? エーレ様も、元は君に渡すつもりで――」


 当然の疑問を口にするルスランに、やんわりとキャロルが首を横に振った。


「この原本は、アデリシア殿下に渡さないとダメなんです。原本がないと、殿下は動いてくれません。そこはもう、自信を持って言えます」


「……どんな自信なんだ」


「私は写しを持って、ディレクトアのアーロン殿下と、ルフトヴェークのレアール侯爵に、それぞれ見せます。原本は、アデリシア殿下が持っていると言えば、そっちは全然通用する筈ですから」


「……帝国(キミ)の殿下って……いや、いい。しかし、誰がどうやって、殿下に届けるんだ。君は明日には、()つと言う。カーヴィアルの宮廷に寄る時間なんて、ないだろう」


「……それは」


 その途端、物凄く言いにくそうな表情を、キャロルが見せた。

 何となく、ピンときたらしいヒューバートが、ルスランを見やる。


「おまえしか……いねぇよな、ルスラン」

「は?」


「は、じゃねぇよ。この書類の何たるかを、正確に説明出来るのって、エーレ様とお嬢ちゃんと、おまえくらいしかいねぇだろ。俺じゃ、謁見するに足る地位はあるにしても、中身はタダの伝書鳩になるぞ」


「……自慢げに言う事か、それ」

「ってコトだよな、お嬢ちゃん?」


 どうだ、と言わんばかりのヒューバートに、苦笑しながらキャロルも頷いた。


「半分イエスであり、半分ノーでもあるかな……クラッシィ公爵家や、その子飼いに怪しまれずに、殿下に直接謁見する唯一の方法は〝公国首席監察官エーレ・アルバートが、友人キャロル・ローレンスに、側妃の祝いを届けたくて、彼女を訪ねて来た。併せて、第一皇子の外遊に関する打ち合わせもしたい〟――この理由一択だから。エーレの意識が、もし戻れば、エーレに殿下に会って欲しいし、どうしてもダメだったら、その時はお願いしたい……って言う感じかな」


「色々ペテンだなぁ、おい。そんなんで、帝国(おまえ)の殿下は信じてくれるのか?」


「むしろ、全部がペテンだから、それを分かっている殿下は、その〝謁見希望者〟に会わなくちゃダメだって言う事が、分かるんだよ。誰が来たにせよ、差し向けたのは、私しかいないって言う、隠れた主張になっているから」


「……面倒くせぇ……」


 ヒューバートは、心底面倒だと言う風に顔を(しか)めたが、ルスランの方は、さすがにおいそれとは同調しなかった。


「いや……エーレ様が、もし早期に気が付かれたとしても……帝都(メレディス)の宮廷まで行けるかどうかとなると……」


 キャロルの顔が、哀しげに歪む。


「酷な事を言ってるのは、分かってるんです。ただ殿下は、最悪、私が本当に後宮に入って来ても構わないと、陛下におっしゃったくらいなので……殿下を動かすに足るだけの事は、しなくちゃならないんです」


「――――」


「有無を言わせず、後宮に閉じ込められるところから、レアール侯の暗殺阻止に動く許可を取るまでだけでも、結構苦労したんですよ……殿下は、最善の策の次の手も、次善の策の次の手も、両方出せる人だから……」


 アデリシアは、例え自分が思う「最善の策」があったとしても、誰かがそれを「最善だ」と声を上げて、理由を証明してくるまでは、万人が最善と思う策――言わば「次善の策」を()る事が多い。


 独裁者になる訳にはいかない、と言うのがその主な理由で、アデリシアを動かすには、明確な根拠と、本人の覚悟が必要になる。ただ(おもね)っているだけでは、アデリシアは、動かないのだ。


 その代わり、一度「最善」を決めて動けば、やる事は、苛烈を極める。貴族間のしがらみなど、歯牙にもかけない。

 後には雑草も残らない、と言うのは、決して誇張ではない。


「私はこの後、クーディアの商業ギルドに行って、この、マルメラーデ側の書面に関しての根拠の部分を確認して貰います。ここのギルド長、すこぶる優秀な(かた)なんで、3日もあれば、何か掴んで下さると思うんです。それを――誰が帝都(メレディス)へ行くかの、タイムリミットにして下さい」


 泣き笑いの表情のキャロルに、ヒューバートもルスランも、言葉が出ない。


「手紙は書きます。殿下にも――エーレにも。でも……もし、エーレに呆れられて、嫌われたとしても……私は何も言えないなぁ……」


 これでは断れない……と、ヒューバートとルスランは、天を仰いだ。

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