56 報告書の使い道
「じゃあ、早速。ディレクトアの王族と、この書類にある貴族との力関係について、教えて下さい。あと、分かれば、マルメラーデのファールバウティ公爵家の、立ち位置も」
応接テーブルに置かれた書類を、軽く指で弾きながら問いかけたキャロルに、ルスランが僅かに首を傾げた。
「……その書類の話ではなく?」
「この書類自体は、読めば分かるので、解説不要です。答え合わせをするような時間も惜しいですし」
てっきり「この書類に何が書いてあるのか」を聞かれるのかと思っていたルスランは、キャロルの想定外の質問に、続ける言葉を失った。
ヒューバートが、隣でニヤニヤと笑っている。
「出会った当時を思い出せよ、ルスラン。このお嬢ちゃんは、こう言うお嬢ちゃんなんだよ。頭の中がお花畑の姫君達とは違うぜ?」
「……なるほど……」
知らず、ルスランは、姿勢を正していた。
キャロルが欲しているのは、この書類の活かし方を定める為の情報――書類の中身と危うさを、理解していないことには、聞けない事だ。
まるで、エーレに聞かれた事を、なぞっているかのようだった。
ひと息吸って、エーレに答えた事と、同じ事を、ルスランは答える。
「その書類にある、カラパイア公爵家と言うのは、ディレクトアにおいて、カーヴィアルとの友好関係に否定的な、第一王子派の筆頭だと思っておいてくれて良い。カーヴィアルに否定的と言う事は、ルフトヴェークで置き換えれば、友好路線を張ろうとしているエーレ様を否定する、第二皇子派と接触している可能性も高いと言う事だ」
「こっちも第二皇子派、か……」
「それと、マルメラーデのファールバウティ公爵家、こっちは逆だ。イエッタ公爵家と、代々、宰相位を争うような、対立関係にある。だが、それを聞いてどうする?この書類にある、イエッタ公爵家の取引相手は、カーヴィアルのクラッシィ公爵家だ。ファールバウティ公爵家の入る余地はなかった筈だ」
「なくて、良いんです。むしろ、あったら困ります」
書類が読めなかったのかと、各貴族間の関係を口にしたルスランに、キャロルはあっさりと、首を横に振った。
「この、カーヴィアルのクラッシィ公爵家は、帝国内で軍事を握るバレット公爵家に強烈な対抗意識があって、娘を皇太子の皇妃にして、政治の実権を握ろうと、夜会で殿下に媚薬を盛ったような、物騒な家なんですよ」
さすがに、そんな細かい情報は、ルスランでも調べようがなかったのか、キャロルの言葉に軽く目を瞠っている。
表向きは、屋敷の侍女が砂糖と間違えて混入したなどと、見え見えの言い訳ではあるが、まんまと逃げられてしまっており、対外的に、知られていない話ではある。
だが、社交界ではそんな言い訳はもちろん通じず、アデリシアが縁談の全てを拒絶するようになった事もあり、昨今は孤立気味だ。
「明らかに、現在の帝国の主流からは置いていかれつつある家なので、イエッタ公爵家経由で、第二皇子派に取り込まれる可能性は高いんですよ。クラッシィ公爵家に関しては、帝国の殿下に何とかして貰うにしても、イエッタ公爵家の方は、他の同格の家から押さえ込んで貰わないと、外交問題に発展しかねません。今ちょうど、殿下の下に来ている、マルメラーデからの縁談、正妃のお嬢さんだそうですけど、その正妃のご実家がファールバウティ公爵家だって聞いてましたから……多分、持ちかけ方次第で、手は組める筈なんですよね」
縁談自体には、ろくでもない返答をしているので、それはそれとして、受け入れて貰えるかは――今のキャロルでは、アデリシアに丸投げするしかない。
「……だから、その書類には名前のない、ファールバウティ公爵家の情報を気にしたのか……」
ルスランは低く唸っている。
書類を叩き台とした、第二皇子派への対抗策は、既にキャロルの中で出来上がっている――ルスランの情報は、その裏付けであり、恐らくはエーレが狙っていた事と、同じ事だ。
「各国の貴族の動向を調べるなら、当然、ここに書かれている以外の貴族の事も調べますよね? どんな糸が出ているか、分からないんですから。ちょっとそれを、確認させて貰っただけです。そんな、驚かれる程の事、聞いてないでしょう?」
ヒューバートが、無言で片手と首を横に振っている。「そんな訳あるか」とでも言いたげで、ルスランもそこは、全面的にヒューバートに賛成だった。
「カーヴィアルと、マルメラーデに関しては、カーヴィアルのアデリシア殿下に対応をお願いすると言うのは、分かった。そこは信頼して良いと言う事なんだな」
「殿下にお願いしたら最後、雑草も残らないくらいに騒動の芽は刈り取られますから、安心して下さい」
「……安心、なのか? それ」
キャロルのルフトヴェーク語のニュアンスがおかしいのだろうかと、ヒューバートとルスランは思わず顔を見合わせていたが、本人はいたって大真面目だった。
「ちょっと……お願いするまでの手順も、殿下の場合は大事なんで、そこが難しいんですけど……基本的には大丈夫です」
「そ、そうか……なら、ディレクトアは? その話、どこにどうやって持ち込む?」
ルスランは、話の流れとして聞いたに過ぎなかったが、あっさりと返された答えに、ヒューバート同様に絶句してしまい、後で思い起こせば、甚だ不本意な事態になった。
「ああ、そこは私、明日ルフトヴェークに向かって発って、途中でディレクトアに寄って、第二王子の正妃レティシア様に、殿下との婚約報告をする事になっているので……そこで、第二王子アーロン殿下に取り次いで貰おうと思います。カラパイア公爵家に不穏な動きがあると言えば、アーロン殿下としても、立場上、無視出来ないと思うので……」
「……何だって?」
「ちょっ……待て待て待て! 何だ⁉ 今、ツッコミたい事が一つならずあったぞ⁉」
どのあたりが? とでも言いたげに、キャロルが小首を傾げたのは――絶対に、わざとだ。
ルスランと顔を見合わせて、頷きあったヒューバートが、ガシッとキャロルの両肩に、手を乗せた。




