52 侯爵家の金璽
本来であれば、乗合馬車で2日弱の距離を、キャロルと愛馬は 15~6時間で走りきり、キャロルがクーディアへ着いたのは、パン屋や一部の食堂が開き始める、朝7時半過ぎだった。
「ユニちゃん、最高! お水と果物奮発するから、ゆっくり寝るんだよー」
花屋の馬留めに、愛馬を留めながら、キャロルはふと、あたりを見回した。
――複数の、馬。
キャロルの心臓が、ドクンと音を立てた気がした。
「……キャロル様?」
名前を呼ばれて、驚いた様に振り返れば、馬用の飼葉の入ったバケツを手にした、レアール家執事長・ロータスが建物の中から出て来るところだった。
「ロータスさん……」
レアール家の万能執事が、キャロルを見て、一礼しつつも動揺した表情を見せた。
ロータス「さん」は不要と、お決まりの文句を挟む事も、忘れている。
その様子からキャロルは、ヒューバートに預けた、母宛の暗号手紙の内容を、ロータスが聞いたのだと悟った。
「あ……とりあえず、その飼葉、馬にあげるんですよね。手伝いますね。ちょっとウチのユニちゃんにもあげたいし」
言うが早いか、バケツの一つを手にとって、馬留めにいる、複数の馬それぞれに均等に分け与えていく。
「ロータスさん……母と、弟は?」
「住居棟の方で、まだお休みかと。この後、起こしに伺うつもりでした。我々は一昨日こちらに着きまして……貴女様の伝言は、その……昨日の夕刻に……」
「そっか。とりあえず、ロータスさんが出ちゃう前で良かった。私からの伝言があってもなくても、母と弟がここに着いたのを見届けたら、帰るつもりでいたでしょう?」
「――――」
同じように飼葉を配っていたロータスの手が、ピタリと止まる。
「ロータスさんの主は、父だけだから」
「キャロル様……」
「ロータスさん、父からどこまで聞いていました? 何か父から、私宛の伝言とか、預かってたりします?」
今度こそ呆然と、ロータスはキャロルの方を見つめた。
「……貴女様は……やはりデューイ様の……」
「ロータスさん?」
一瞬だけ、何かの覚悟を決めたように目を閉じたロータスは、バケツを地面に置くと、首から下げていた紐と、その先に付いていた小袋を、胸元から引っ張り出した。
「キャロル様、こちらを」
紐ごと受け取った小袋を解けば、中から出てきたのは、金で出来た、印鑑のような物だった。
「それは、侯爵家の金璽です。代々、当主のみが所持をする印章になります。デューイ様から……キャロル様に、と」
「えっ⁉」
「おまえが辿り着いた結論は、恐らく正しい。後の事は、全ておまえの思うように――との伝言も、併せてお預かりしました。公国を出る少し前から、陛下の容態が思わしくなく、デューイ様の周辺が騒がしかった事は確かです。私は……ここに来るまで、一時的な避難で……念の為だとばかり……」
印章を袋ごと握りしめたキャロルが、思わず天を仰いだ。
「がっつり遺言だし……もう……」
遺言、と聞いたロータスが、顔色を変えている。
とりあえず――と、キャロルは再びその金璽を、ロータスに突き返した。
「コレは、侯爵領に帰るまで、ロータスさん持ってて下さい。私が着けていると、戦いの最中に落としかねないんで」
「えっ、キャロル様⁉」
「父を暗殺された上に、叛逆者に仕立て上げられるとかさすがに許容出来ないので、上司に頼んで暇乞いをしてきました。そのままいけば、冬になるのに国家間の戦争が起きて、地方の街や村が目も当てられない事になりますし、上司も了承済みです。侯爵領に戻って、差し向けられるであろう暗殺者は、全て返り討ちにします」
「……っ⁉」
「ただ、その暗殺者の1人が反則級に強いので、多分私一人ではどうにもなりませんし、今、屋敷に残るお抱え護衛だけでも、正直、厳しいと思います。なのでロータスさんには、強行軍で申し訳ないんですけど、明日、私と一緒にルフトヴェークのレアール侯爵領に戻って欲しいんです」
「明日……ですか?」
「今日は、弟の誕生日パーティーです。母と弟が、そう言う話で、帝国に来たと言うのもありますし……商業ギルド長や、警備隊長に、花屋の事をお願いしておきたいので、ギルド内の食堂を夕方貸切れる許可は、ここに来るまでに貰っておきました。物理的に夜盗とか来ても……って言うか、そもそもこの街の警備隊強いので、滅多にそんなの来ないんですけど、それはそれで〝東将〟がいれば、基本、瞬殺ですから、後は任せて出発出来ます。それも、事前に話はつけました」
自分達が来ると聞いたのは、この数日の内である筈なのに、どこまでを見越して手配をしているのか――やはり目の前のこの少女は、間違いなくデューイの血を引いていて、この金璽を受け継ぐのにも相応しい――と、ロータスは、突き返された金璽を握りしめた。
「ロータスさんはこの後、パーティーの準備のお手伝いと……あと、私とロータスさんがルフトヴェークに行くまでの旅支度を、こっそりお願いして良いですか? 急いで来たので、私もここまでの物資しか持てなかったんですよ。母にはとりあえず、私と帝都にでも行くとかなんとか、適当にごまかしておいて下さい」
「……カレル様には、何もおっしゃらないのですか?」
「ロータスさんを脅すようで申し訳ないんですけど、私か父のどちらかが、生きて二度と母や弟に会えない可能性があるので、余計な不安は持たせたくないです」
「! それほど……ですか?」
「はい、それほどの暗殺者が今、カーヴィアルを出て、公都経由で侯爵領に入ろうとしてます。公都経由なので、明日ここを出ても、まだ、こちらは1~2日先行して帰れる筈なんです……って、ロータスさん⁉」
いきなり片膝をつき、頭を下げたロータスに、ギョッとしたようにキャロルが駆け寄った。
「大丈夫ですか⁉ どこか怪我でも――」
「いえ……いえ、そうではありません。どうか今後は『ロータス』と、お呼び下さい。この金璽の、正当な後継者として」
「……えっと、急にそう言われましても……」
困ったように足を止めたキャロルだったが、そんなロータスとのやりとりを、ふいにコンコンと、扉を叩く音が遮った。




