46 広がる誤解
「殿下が目を覚まされましたら、陛下と皇妃様に謁見頂きたく思っておりましたので、それまでに、何とぞこちらでお支度を、お願い致します」
東宮内の、私的な来客のための部屋に辿り着いた際の、侍女長ディディエ・マルタの第一声が、それだった。
「謁見⁉ あ……陛下、ご体調は……」
「寝台からお出になる事は、まだ難しくていらっしゃいますが、ここ数日はお加減も良くて、ある程度の謁見はされておいでです。と、言いますか、本日はお二方たってのご希望です」
「うわぁ……」
酔い潰れていた間に、完全にぬか喜びをさせていると知ったキャロルが、顔を顰めた。
と言うか、アデリシアまでもが酔い潰れていたとは予想外だ。
「あの……殿下、は……」
他の侍女にテキパキと指示して、服を持って来させながら、マルタがチラッとキャロルに視線を投げた。
「明け方、レノアが寝室に行きました際は、毎朝殿下が起きられる定刻でしたのに、『朝には、まだ早いよね?』と妙な主張をなさって、レノアを追い返されまして。見れば、女性とご一緒だったとの事で、私、報告を受けてから、気を遣って半刻ほどお待ちしてから、再度寝室をお訪ね致しました。そうしましたら――寝室は、既に酔って寝入られている殿下お一人で。私、レノアが室内のアルコール臭にあてられて、夢でも見たのかと、真面目に疑ってしまいました」
キャロルに全く話す隙を与えないまま、マルタが侍女服のポケットから、何かを取り出そうとしている。
どうやら、最初の侍女が寝室を訪れて、その後侍女長が訪れるまでの間に、アデリシアも酔い潰れてしまい、キャロルは近衛の宿直室へ戻ったのだ――どうやって帰ったのかは、全く記憶になかったが。
と、言うか、侍女が起こしに来るまでと言いながら、一度侍女を返しているとか、何をやっているのか、あの皇太子サマは!
「!」
そんなキャロルの内心など、知る由もないマルタが掌に乗せたのは、キャロルの髪飾りだった。
「あ、ありがとうございます。良かった、失くしたかと――」
「これが床に落ちていなければ、ほとんどの者が、夢でも見たんだろうと言うところでしたわ。何しろ、殿下の女性不信は、本当に、長く、深刻でいらっしゃいましたから」
「――――」
それは、キャロルもよく知っている。
キャロルが近衛になってからでも、妙齢の独身皇太子と既成事実を作ってしまえとばかりに、押しかける女性はいたし、それ以前は賄賂で部屋まで手引きしていた者もいたと聞く。挙句、どこかの夜会で媚薬を盛られて、別室に連れ込まれそうになるに至っては、激怒して、その後の国内での縁談は、全て拒否すると言う事態にまでなっているのだ。
今回、マルメラーデの姫君との縁談が門前払いされないのは、それが外交問題に関わるからと言う一点に尽きる。
「私ども、キャロル様であれば、いつか殿下のお心も向くのでは――と、実は密かに期待をしておりました。近衛として、隊長として、本当に二心なくお仕え下さっているのは、私どももずっと見ておりましたから。ですから今回の事は、決してキャロル様の本意ではなかったのかも知れませんが……殿下のお心を、汲んで差し上げて下さいませんか」
「マルタ侍女長……」
「貴女様が、近衛としての仕事を置いて、殿下の寝室に押しかけるなど、あり得ないと、皆、知っておりますからね。しかも、あのように度の強いお酒、頼んでいるのは殿下ご自身。降って湧いた他国の姫君との縁談に、ご自身のお気持ちに蓋が出来なくなったのでは――と、皇妃様などは仰っていらっしゃいます」
「……っ」
眠っている間に、話が予想もしない方向に大きくなっていた。
しかも、女性不信の皇太子が見つけた真実の愛――的な、恋愛小説好きの皇妃が最も好みそうな展開に、転がろうとしている。
「……多分、殿下が目を覚まされても、そこはお認めにならないかと……」
自分の方がベタ惚れ的な言われ方をされて、さすがにアデリシアがそれを許容するとは思えない。
そう思いながら、キャロルが乾いた笑い声を漏らしたが、東宮の有能侍女長とその部下は、そうは受け取らなかったようである。
「まあ、何を仰っているんですか、キャロル様! 分かりました!普段そのような、近衛の隊服しか着用されないから、ご自身の容貌にお気付きではないのですわ! 殿下がどうして、キャロル様の髪を解かれたのか、私どもが理由を証明して差し上げます!」
「えっ……謁見の準備って、そう言う事なんですか⁉ いやいや、近衛の隊服で充分――」
「いいえ! そのお怪我を隠すようなデザインのドレスはちゃんとございます! 傷に響くといけませんから、コルセットは緩めに致しますわ。元より細くていらっしゃいますから、問題ございません」
「えっ、ドレス⁉ 私そんなモノは着た事がない……って言うか、それだと警護が――」
「ヒールの低い靴、女性用の飾り剣はご用意致しますわ。サウル副長にも付いて来て頂ければ、宜しいかと」
「―――」
「夜会用ではなく、あくまで公的な謁見用ですから、比較的シンプルなドレスですわ」
侍女長どころか、他の東宮付侍女まで、キャロルにドレスを着せたくて仕方がないといった態で、キャロルに詰め寄っている。
「……え、謁見の間だけで……良い、なら……」
結局、侍女達の迫力に、キャロルは負けた。
こう言う時は逆らわない方が無難なのだと、王宮勤めの一人としての勘が訴えていた。
そして、侍女達の玩具状態で着付けをさせられている間に、キャロルは自分の身体のあちこちに、どう見てもキスマークとしか思えない痕が付いている事に気付いて、仰天した。
「先ほど怪我の手当てと、キャロル様の身体をお拭きした際に、皇妃様付の侍医と確認させて頂いております。間違いなく、キャロル様が殿下のご寵愛を受けられた――と」
「⁉」
侍女達の間で、きゃあ、と小さな歓声があがる。
シーツが汚れていたと言われても、それはケガの血だろうとキャロルは言いたかったが、盛り上がっている侍女一同、誰もそれを聞いていなかった。
「キャロル様の血だけで汚れていた訳ではありませんでしたから」
「⁉」
マルタ侍女長、何を言っているのかワカリマセン‼
穴があったら入りたい、と言うのはきっとこう言う時なんだろう。
キャロルは思わず拳を震わせていた。
(絶対に小細工のし過ぎだ、あの皇太子サマ!)
よくTL小説で読む様な、下半身に違和感があるとか、痛みがあったとか、そう言った事がなかったのだから、ただ酔い潰れていただけの筈――なのに、記憶のない自分が恨めしい。
起きたら、恋愛小説の主人公にさせられた自分に、ちょっとは後悔しろ! と、内心で腹黒皇太子サマに向かって、キャロルは毒づいていた。