39 その日何が起きたのか
『何をやってるんですか、お父様……いや、有り難いけど! 拒否してくれたのは有り難いんだけど! もっとこう、無難に……いや、無理か! うん、知ってた! あぁ、もう……』
「お父様だぁ⁉」
頭を抱えたままブツブツと呟いているキャロルに、話の信憑性を察したエルフレードが驚愕の声をあげた。
カーヴィアル語を知らないにせよ、彼が何を言ったかは、ヒューバートにも察しがついたんだろう。ため息をひとつついて、キャロルと同じ目線の先にかがみこんだ。
『やっぱりか。おまえの大使館職員としての名前が〝レアール〟だって時点で、確信したわ。もっともエーレ様は、俺なんかよりも遥かに前から気が付いてたみたいで、レアール侯爵と、いつだったか、式典行事の後に立ち話をしていた事がある。それは俺も見てる。俺なんかは今回の事がなければ、その「レアール侯爵の娘」と、おまえが繋がる事もなかったけどな』
『今回の……事?』
『娘可愛さかどうかは別にしても、レアール侯爵がした事は、不敬罪と言われても仕方がなかった。皇弟殿下も、短気なうえにプライドの高い方だしな。皇族の意思を尊重しないとは何ごとだ! と、危うく謁見の間で手打ちになりかけたそうだ』
『手打ち⁉』
『エーレ様は、それを庇われた。庇って――皇弟殿下が振るった剣を、そのまま受けてしまわれたんだ』
『なっ⁉』
ヒューバートの言葉が、キャロルの心に刃となって突き刺さった。
息を呑んだきり――声も、出せない。
『皇弟殿下は焦った。いくら皇弟殿下と言えど、理由なく第一皇子を斬って良い筈がない。焦った結果、エーレ様の指示で、レアール侯爵が娘を第二皇子に嫁がせて、内側から派閥を崩そうとしたんだと、話をすり替えた。それを確かめるために、レアール侯爵を挑発した。エーレ様がレアール侯爵を庇ったのが、2人が結託していた証左だ……と』
本人のいないところで「レアール侯爵令嬢」の名前が、公国内で独り歩きをしていた事を、キャロルは突き付けられた。
ヒューバートは、絶句するキャロルを見つめたまま、淡々と話し続ける。
『表向きは、エーレ様もレアール侯爵も、謁見の間を騒がせた咎での、蟄居だ。エーレ様に、皇弟殿下への不敬罪は通らない。そうなると、一蓮托生にしてしまったレアール侯爵も、迂闊に処分出来ない。更に春には、カーヴィアルへの外遊も控えている。――だからこそ、おまえがさっき言ったように、外遊までに国の外から、第二皇子の方が相応しいと、後押ししてくれる勢力を欲したんだろうと、俺の中では今、話が繋がった。これは叛逆じゃないんだ――まだ』
ヒューバートの「まだ」と言う言葉に、呆然としていた、キャロルの目の焦点が、ヒューバートを捉えた。
『エーレ様やレアール侯爵が、自殺なり病死するなりして「可哀想な侯爵令嬢」が、レアール家からミュールディヒ家に後見を変えて、第二皇子に嫁げば、ミュールディヒ家にとっては美談になる上に、そこからが立派な第二皇子政権のスタート、叛逆の成就だ。皇弟殿下のフェアラート公爵領や、第二皇子の後見である、ミュールディヒ侯爵領には今、第二皇子に釣り合う妙齢の令嬢がいない。他の侯爵以下の貴族で、両手をあげて信頼出来る子飼いはいないようだから、尚更そのシナリオには固執するだろう――俺は、蟄居前のレアール侯爵から、そう聞いている。自分の事は自分で何とかする、娘には自分で何とかさせる。だから俺には、エーレ様を守る事に専念して貰いたい、とも言われた』
『……お父様……』
どこまでもデューイらしいと、キャロルは思った。そんな状況ではないのに、苦笑せざるを得ない程に。
それだけ自分の生き方を、認めてくれていると言う事だろう。
『何を言ってるんだと最初思ったけどな。自分で何とか出来るのが、私の娘だと、清々しいくらいに断言してた。そうしたら――侯爵の後ろに、お嬢ちゃんが見えた気がしたんだ。何せこうやって見たら、侯爵と激似なんだもんなぁ』
そう言ったヒューバートは、しゃがんでいた姿勢から、更に正座の態勢に切り替えると。両手の拳を膝に乗せて、深々と頭を下げた。
『頼む、俺や部下がお前の国の外交の手札となるのは、たとえ死体となっても構わない。特に俺の事は、お嬢ちゃんが上手く使ってくれれば、それで良い。だからエーレ様だけは、何とか死なせないで欲しい――この通りだ』
『…………』
キャロルは、しばらくジッと、ヒューバートを見つめていた。
そうしてどのくらいたったのか、さすがにそろそろ、口を挟んでも良いだろうかとエルフレードが思い始めた頃、おもむろにキャロルが立ち上がった。
『イング書記官……紙とペンを、お借りしても良いですか』
『あ、ああ』
典礼省が誇る、鉄壁無表情の次席書記官が、さすがに動揺を隠しきれていない。
だがキャロルは、そんなクルツの動揺には気付かないまま、紙とペンを受け取ると、遺品の山が乗る机の端で、立ったまま、サラサラと何かを書きこみ、その紙片をヒューバートへと手渡した。
『これは……?』
『ここなら、しばらくは静養出来ると思う。この大使館で……くらいには思っていたんだろうけど、帝都こそ、国際問題のリスクが高すぎるから……』
『……良いのか?』
そう言いながらも、ヒューバートの手は、紙片をしっかりと握りしめたままだ。
返さない、とでも言うように。
『後で手紙も書くから、一緒に持って行って。まぁ……紹介状みたいなものだと、思って』
『俺が言うのも何だが……それは、大丈夫なのか? 危険がないとは言い切れないし、いや、もちろん何かあれば全力で紹介先の家人も守らせて貰うが、そもそも受け入れて貰えない可能性も――』
不安げに問いかけるヒューバートに、キャロルはゆっくりと、首を横に振った。