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エールデ・クロニクル――剣姫、紅月に舞う――  作者: 渡邊 香梨
第三章 壊れた世界の紅い月
32/122

31 侵入者

「どう、と言うか……この舘の日常業務は何か、急務に決裁しなければならない書類はあるか、とかを今、ざっと仕分けていました。予想はしていましたけど、ほぼ今度の外遊に関係する、それも準備書類で、こちらから事態を露見させてしまいそうな、複雑な書類はなさそうですね」


 ルフトヴェーク語をほぼ完璧に使いこなす彼女は、大使館の護衛を装って、近衛の隊服ではない、他国の騎士服のような軽装に着替えていた。


 あくまで大使館関係者を装うクルツとキャロルは、二人での会話と、それ以外の人間との会話で、両国の言葉を完全に使い分けている。


 しかも、カーヴィアル語の発音は、わざとずらしている程の徹底ぶりだ。


 どこに誰の目があるか知れない。大使館員暗殺の手を逃れた人間が何名かいて、カーヴィアルが密かにそれを護衛している――そう見せかけるのが最も自然だとの判断からでもあった。


「このまま、私たちがここにいて、外部に何の噂も広がらなければ、暗殺犯達はかならず戻って来ます。本国を上回る騒ぎを起こす事でしか、叛乱の是非をうやむやにはしてしまえないのだから、戻って来ないと言う選択肢は、あり得ません」


 キャロル・ローレンスが、何故そこまで他国の事情に長けているのか。エルフレードでなくとも知りたくなるところではあったが、今日が初対面のエルフレードに、そこまで詳しく聞けよう筈もなかった。


「向こうが不審を覚えるまで、2~3日と言ったところじゃないでしょうか」


 そうキャロルは良い、半信半疑ながらもエルフレードがそれを受け入れた翌々日――()()は起きた。


 通行証の発給や不動産取引、輸出入の通関など、本来であれば偽名で署名するなどもってのほかだったが、そこはアデリシアの許可を得て、処理をしていた。


 旅人の通行証に関してはクルツが、不動産や通関に関してはキャロルが、それぞれ是非を確認する事が出来、署名以外には何の問題もないからだ。


「俺は、おまえが怖ぇよ……()()()()()()もだけどよ」


 夕方。大使館を閉館させて、執務室に戻ってきたエルフレードは、机に積まれた書類を見て、呻いた。


 現在クルツは大使代理クヌート・イング、キャロルはその護衛のカロル・レアールとして、生き残り職員を装っている。


 アデリシアには言わなかったが、一見適当な偽名のようで、キャロルのそれは、自分の名前に父の家名を付けて、ルフトヴェーク風に発音したものだ。


 後日万一、偽名に関して難癖をつけられるような事態になっても、堂々と主張が出来るようにしておくためだ。もちろん、バレなければ墓の下まで持っていくつもりもしている。


「何で、その書面の是非が判断出来るんだよ」

「うーんと……商業ギルドの手伝いをしていた事があるから、でしょうか?」


 とりあえずエルフレードには、事実だけを答えておく。


「それでまた何で、近衛に入ったんだ? ああ、理由は今はいい。正直俺は、どの程度、お前の腕に期待出来るのかが、分からない」


 どうやら大使館に来てからこちら、書類仕事ばかりのキャロルに、そのアデリシアを彷彿とさせるような頭脳についてはさておき、武官としての実力の方に、不安を覚え始めたらしい。


 キャロルは一瞬、虚を突かれたように目を(またた)かせたが、やがてニッコリと、笑ってみせた。


「……同じセリフが返せる程度には、でしょうか?」

「……ほぉ」


 度胸はある、とエルフレードは思った。


 無意味に「次期公爵」の地位に媚びへつらおうとしないあたりは、さすが近衛隊長と言うべきか。


 軍の方ではどうしても、アデリシアとキャロルの仲を邪推する噂が消えておらず、エルフレードも、気にならないと言えば嘘になるのだ。


「……バレット卿」


 だが、それ以上の挑発の仕合いに発展する前に、ふいにキャロルが表情を険しくして、すっと腰の剣に手をかけた。


 ――彼女は左利きであると、人づてには聞き及んでいる。


「……どうした」


 それが、エルフレードに対して喧嘩を売るものではないと、雰囲気で分かったため、黙ってエルフレードも続きを促した。


「今だけお互いの腕、信じてみませんか」


 一瞬で、彼女の周りの空気が張り詰めたのを、執務室にいた、エルフレードを含めた誰もが感じ取った。

 その原因に、半瞬遅れで気が付いたエルフレードも、表情から常の不敵な笑みを消している。


「正直俺は、さっきまでアデリシアの話には半信半疑だったんだが……」


 目配せをして、オステルリッツらを静かに散らせたエルフレードも、右手を己の剣の柄にかけた。


「――いいだろう、信じてみよう」


 かなりの重量を持つ筈の木製の扉が開け放たれるのと、キャロルがクルツを(かば)うように、左側へと一歩踏み出したのとは、ほぼ同時の出来事だった。


「ちっ……!」


 不本意にも半歩出遅れた形になったエルフレードは、利き手とは逆方向になる事を承知で、オステルリッツらディレクトア兵を守る方向を向くしかなかったのだが、更にその隙を突くかのように、かろうじて視認出来る程のスピードで、一つの影が二人の間に割って入って来た。


「しまっ――」


 その〝影〟が、キャロルの方を向いているのを視界の端に捉え、内心でエルフレードは焦りを覚えたのだが、事態は、この場の誰もが息を呑むような展開へと、急変した。


 剣の(つか)に手をかけていたキャロルは、いったん腰を落として力をためると、そのまま剣を素早く、頭上高くへと抜き放った。


「‼」


 その瞬間、凄まじいまでの、剣同士がぶつかり合う音が舘内に響き渡り、次いで、開け放たれた扉に剣がのめり込むのを、何名かの人間が目撃した。


『なにっ……』


 想定外、と言った感じに漏れたルフトヴェーク語は、侵入者のものだろう。


 男は一瞬、剣を弾き飛ばされた方の手を、驚いたように見たが、すぐにその手を背中へと回すと、腰元から短剣を引き抜き、キャロルの方へと突き出した。それは、ほぼ流れ作業のようで、まるで直前の打ち合いが、なかったかのような素早さだった。


 だがキャロルは、軽く手首を返すと、右手を下ろした剣の刃に添えて、その短剣の切先を、自らの剣の刃で受け止めて見せた。


「……っ!」


 とは言え、男の次の動きが読めていたにせよ、男女の体格差はどうしようもない。


 キャロルは勢い余って後方に弾き飛ばされたが、男の剣は、勢いを失くして、横に流されただけだった。


 舌打ちと共に、男は再び短剣を振り上げたが、弾き飛ばされた筈のキャロルは、書類机についた右手に力をかけると、その勢いを利用して、空中で回転するように身体をひねり、机の向こう側へと綺麗に下り立った。


 そして間髪入れず、目前の机を思い切り蹴飛ばした。


 振り上げられていた男の剣は、そのまま深々と机の端に突き刺さり、男は更に腹部に、机の直撃を受ける事になったのである。


『ぐっ……』


 男が短剣から手を放して、半歩よろめいた。


『――! 避けて、ターシードさん!』


 男の次の動きを予測したキャロルが、完璧と言って良いルフトヴェーク語で叫んだが、手遅れだった。


 男はふらついた足をすぐに安定させると、そのまま背後で戦っていた別の男に、強烈な蹴りを浴びせて、その手から長剣を奪い取っていた。


 その間に、クルツを庇う位置に身をすべらせたキャロルと、机を挟む形のままで、二人は再び対峙した。


『書記官殿。一連の無作法は――御容赦を』

『……非常の折と、認めよう』


 一連の攻防に圧倒されつつも、クルツはかろうじて、そうルフトヴェーク語を返した。


 案の定、対峙する男は、そんなキャロルとクルツを、注意深く窺っている。


『イルハルト殿の剣を躱した……⁉』

『動じるな!』


 背後からのざわめきを、男が一喝した。


『どうやら全員が、大使館関係者という訳ではなさそうだ、この二人をまずは狙え!』

「させるか……っ」


 言葉の全ては分からないまでも、切先がクルツとキャロルに向いているのは明らかである。エルフレードは、叩きつけるように何人かを床に沈めると、その剣をキャロルと対峙する、主犯格と思しき男へと向けた。


『――我々を、あまり甘くみないで貰おう』

『……どうやらカーヴィアルは、我らと敵対する心積もりらしい』


 エルフレードの、微妙な発音の違いに気付いたのだろう。


 男はそう言って、エルフレードを一瞥(いちべつ)した。

 だが、それに反論しようとして、とっさのルフトヴェーク語に窮したエルフレードを、遮ったのはキャロルだった。


『人道的幇助(ほうじょ)は敵対と見做されない。我々2人が在る限り、その論法は通らないと思った方が良い』


 この騒ぎを、決して、国としての騒ぎにしてはならない。それを十二分に承知しているキャロルが、男の注意を引き戻すように、エルフレードに代わって、声をあげた。


『小娘が、過ぎた口を……』


 怒りと苛立ちが交じった、ゾッとするような低い声に、知らずキャロルが身を強張らせた。


 次の攻撃に備えて、片手で剣を構え直したキャロルだったが、予想に反して、男はすぐには攻撃を仕掛けてこなかった。


『左利きの娘だと……?』


 視線をエルフレードからキャロルへと向け、男は何かを確かめるように、目を(すが)めた。

 とは言え、キャロルにもエルフレードにも、男へ斬り込む隙が見つけられない。

 

 日が暮れて、大陸特有の紅い月の光が窓から差し込み始めた中、誰も身動きがとれない。

 沈黙が、その場を支配していた――。

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