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エールデ・クロニクル――剣姫、紅月に舞う――  作者: 渡邊 香梨
第三章 壊れた世界の紅い月
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27 語られる光景

 副長のサウルを走らせた後、昏倒した典礼省の使者と、軍の護衛を運ぼうとするトリエルを、いったん止める。


「隊長?」


「状況が不完全な内から、これ以上大勢の人間の目に触れさせる訳にはいかない。トリエル、衛兵と門番に箝口令を。この2人はいったん、オルドナー侍医のところへ運ぶから、よろしく」


 近衛隊に近しい侍医、とは宮廷侍医たちの中でも、政治色・権勢欲が薄く、己の職務に最も忠実な――要は少々、変わり者の医師の事である。


 案の定、宮廷付き医師テレンス・オルドナーは、運び込まれた血塗れの使者を目にしても、顔色一つ変えなかった。


「これは、全てこの者達の血ではないな。精神的なショックで気を失っているだけだ。じきに目を覚ますだろう」


 手早く使者達の服を脱がし、その血を水に浸した布で拭き取りながら、オルドナーはそう言って、最後、キャロルへも別の布を投げた。


 怪訝そうなキャロルに、黙って血塗れの手を指さしている。


「あぁ……すみません」


「今日はルフトヴェーク公国の駐在大使が来ると、聞いているぞ? いたずらに騒動を大きくしたくないのは、分かっている。彼らは、ここで間違いなく預かる。君は殿下の所へ戻れ」


 まだ三十代も半ばで、宮廷内でも若手の部類に入るオルドナーは、現在、下級兵士や下士官の手当てなどを中心とする立場にあり、いきおい彼の口調も、気安いものとなっている。


「どちらかに目を覚まして貰って、事のあらましを理解したいと思うのは、無茶ですか?」

「ああ、まったく無茶だな。君らしくもない」


 まさに、一刀両断である。いっそ清々(すがすが)しすぎて、キャロルも苦笑しか出てこない。


「私らしくない、ですか」

「どうした?」

「いえ、さっきサウルにも同じ事を言われたので……何となく笑ってしまったと言うか」

「そういう事を、正面きって言ってくれる者は重宝しておけ」

「心得ます。あ、じゃあテレンスさんも、大事にさせていただきますね」


「おい、ついでか。まあ、元より言われずとも、この男が口にした事を耳に留めておくつもりはない。侍医の守秘義務は、町医者のそれよりも遥かに厳しいからな」


 いったん、そうやって話を区切る事で、オルドナーは間接的ながら再度、アデリシアの元へ戻る事を勧めている。


 確かに、ここにいたとて、使者達の意識が戻るまでは、無為な時間が過ぎていくだけなのだ。

 キャロルは諦めたように、ため息をついて立ち上がると、執務室へ向かうために、身を翻した。


「⁉」


 だがその扉は、彼女が予測するよりも早く、物凄い勢いで開け放たれた。


 飛び込んで来た人影に、避ける間もなく激突したキャロルは、執務室や控えの間とは素材の異なる、堅いバウム石の床に、不本意にも背中から叩きつけられた。


(いった)っ……!」


 当然、飛び込んで来た側もしたたか、キャロルとは逆方向の扉に身体をぶつけた訳だったが、それどころではないとでも言いたげに、サッと身体を起こした。


「サ……ウル?やけに早い――」

「どういう事ですか、隊長!」


 顔をしかめながら、キャロルもゆっくりと身体を起こす。


「ちょっ……何?」


「隊長が、ルフトヴェークに家族や知り合いがいるって言うのは、この数年、隊長を見てきた俺たちにだって分かっていたし、今更、気にも留めなかった。けれどあれは、違う! あなたが、普通にしていて関わる様な話じゃない! さっきは、敢えて理由は問わないと言ったが、撤回します。説明していただきますよ。それも、納得のいくものを!」


「――――」


「隊長!」


 説明をする側と、される側とが、共に興奮していたのでは、話にならないと、深呼吸をしたキャロルは、激昂するサウルをなだめるように片手を上げて、彼を制した。


「声を落として、サウル。扉を閉めて。それから貴方が大使館で何を見たのか、具体的に説明して。話は、それから」


 落ち着いたキャロルの仕種は、かえってサウルを苛立たせたものの、話が進まない、と思ったのは、彼も同じだったようである。


「……大使館は、宮廷に駆けこんで来た彼らのような、血の海でしたよ」


 奇しくも、使者達と同じ「血の海」と言う言い方を、サウルもしたが、それ以外に説明のしようがなかったと、後でキャロルも知る事になる。


「あれでは誰一人、宮廷へは来れませんよ!大使はおろか、誰一人として‼」


「……それ、は」


「……全て斬り殺されていましたよ。職員も、使用人も――全てです。あれで、生きている者がいるとは思えません。いるとすれば、それは手引きした裏切者以外には有り得ない」


 いっそ冷やかにサウルは言い、かえってその光景の凄惨さを、居並ぶキャロルとオルドナーに感じさせた。


「そこの彼らも、恐らく俺と同じ光景を見た筈です。文官や、入隊して日の浅い武官などには、刺激が強すぎる。おおかた血の海に足をとられて、何度も転んだが故の、あの状態でしょうが……血の臭いに吐かずに、気を狂わせずに、馬に乗って宮廷に戻ってきただけでも、褒められてしかるべきだ」


 元・軍人として戦場経験のあるサウルですら、顔を(しか)めた程なのだ。


「彼らが意識を取り戻した時点での報告なんて、遅すぎる。詳細が分かるまで、伏せていました――で、済む話じゃありません、隊長。あの血の臭いは、まだ半日もたっていない事を表していた。斬殺者が、まだこの帝国(くに)にいるのか否か、一刻も早く軍に確認をさせる必要があるし、宮廷内の警備とて、早急に強化する必要がある。分かっていますか? このままだと、殿下とあなたが手引きを疑われかねないんですよ!」


 キャロルに、大使館を襲撃するような、腕はあっても時間はない。近衛として、アデリシアの指示なく宮廷を出る事がないからだ。

 だが、キャロルには、ルフトヴェーク公国との〝繋がり〟がある。


 何か不正を抱えていて、会談をさせないために、子飼いに大使以下職員の殺害を指示したとも、アデリシアがキャロルの不在を黙認して、殺害させたとも、複数の言いがかりをつける事が可能な状況になっているのだ。


「いったい、何をやっているんです⁉ あなたの所属は、近衛隊でしょう! 聞き飽きましたか?ええ、そうでしょうとも、自業自得です! ご理解頂けないなら、何度でも言いますよ。これは、我々の領分を逸脱してる‼」


 サウルの手が、机に叩きつけられ、派手な音を立てた。


「サウル……」


「ああ、はいはい。今、ここで職務権限について語り合わないでくれるか。とりあえず、殿下にお知らせしない事には、話にもならんだろう。執務室で差し障りがあるなら、私の名前を使って、ここにお呼びすれば良い。どのみちそろそろ、表門の騒ぎがお耳に届いている筈だ。人の口に戸は立てられない。今なら、ここにお呼びしても、不自然じゃないだろう」


 サウルの叱責に顔を歪めたキャロルに助け舟を出したのは、ようやく、血塗れ云々の話から心理的動揺の再建を果たしたらしい、オルドナーだった。


「テレンスさん……」


「私が落ち着いているなどと思うなよ。空元気の糸が切れて、あちらこちらに喋り出してしまわないうちに、事態を収拾して欲しいだけだ。分かったら、さっさと行け」


 出て行けと言わんばかりに手を振るオルドナーに、サウルは舌打ちし、キャロルは軽く頭を下げた。


 結局、現在は最もオルドナーの言葉が、現実に則していると、二人ともが認めたようなものだった。


「サウル……ここには誰も近づけないよう、お願い。話の続きはその後で」

「……分かりました」


 侍医室を出た2人は、いったんそれぞれ、別の方向へと歩き出した。

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