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エールデ・クロニクル――剣姫、紅月に舞う――  作者: 渡邊 香梨
第二章 記憶の森の約束
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23 交わした約束

「キャロル……君の実家って……」


「うーん……もうすっかり、お互いに別の生活が成り立っているから、実家って言われても……って感じかなぁ……」


 苦い笑みを見せるキャロルからは、語りたくないオーラがそこはかとなく漂っていて、他人(ひと)の事は言えないエーレも、口を(つぐ)むしかなかった。


 キャロルを『様』と敬称付で呼びかける、領地持ちの(あるじ)の護衛が、一時的にせよ主の側を離れて、彼女に付き従う事を是としている――そこには、貴族の影がちらついていた。それも、それなりの家格がある貴族の。


 だがエーレは、諦めて(かぶり)を振ると、こちらはさも当然とでも言うように、ひょい、とキャロルを抱えあげた。


「⁉」

「立てないんだろう?」

「……はい」


 素で聞いてくるエーレに、重くはないのかとか、衆人監視、視線は気にならないのか――とか、キャロルは諸々聞こうとして、結局、聞くのをやめた。


 ――無駄だと悟るのも、きっと大事なことなんだろう。


 宿に入った際も、案の定女将や従業員にギョッとされたものの、エーレの「少し具合が悪いんだ。水を一杯頼めるか」の一言で、すぐに沈静化した。


 部屋に入り、ベッドの端にキャロルを座らせたエーレは、最初は水を手渡そうとしたものの、キャロルの手が震えていて、とてもコップを持てそうにないと気付いた為か、いったんコップをテーブルの方に置くと、キャロルの隣に腰かけて、静かに肩を抱き寄せた。


 左手が、膝の上で震えが止まらないキャロルの両手を、包み込むように、握りしめる。


「……もう、大丈夫だから」


「う、うん……分かってるんだけど……そうなんだけど……あの殺気が……身体から消えてくれないって言うか……違う、もうダメだとか……最後……っ」


 最後まで、諦めるつもりはなかった。

 だけど、どうしようもない、圧倒的な実力差が、そこにはあった。


 怖かった。それも確かだ。だけど何より、首をはねられそうになったあの瞬間、もうダメだと思った自分が――許せなかった。


 護衛2人を逃がせなかった。

 他には?

 本当に自分は、最後まで足掻いたのか?


 考えれば、考える程――思考の迷路から、出られない。


「こんなんじゃ、お祖父ちゃんにも呆れられちゃうよね⁉ お祖母ちゃんだって、ガッカリするよね⁉」

「キャロル」

「士官学校に推薦されて、絶対私、(おご)ってたよね⁉ エーレから見たって、生意気だよね⁉ 私……私は……っ」

「キャロル‼」


 パニックになりかけているキャロルに、エーレは一瞬だけ、躊躇するように顔を歪めた後、何かを決断するように目を閉じると、そのまま左手でテーブルのコップに手を伸ばして、中の水を口に含んだ。


 コップを置いた左手で、キャロルの顎を持ち上げ――唇を、重ねる。


「ん……っ⁉」


 舌でこじ開けられた口の中に、冷えた水が一気に喉の奥まで流されていく。


「ん……んっ」


 水の冷たさが、少しずつキャロルを落ち着かせてはいったものの、今度は()()()()()()()のかと言う、別のパニックが浮上していた。


「んーっ」


 押し返そうとした手も、いつの間にか左手はがっちり掴まれ、右手は抱きすくめられたエーレの肩に阻まれる形で、ピクリとも動かせずにいる。


 ――()()は途中から絶対に、落ち着かせるために水を飲ませようとした行為じゃなくなっている。

  

 どちらかと言えば鈍いであろうキャロルでさえも、それが理解出来た。


(待って、ごめんなさい!もう落ち着きました、もう八つ当たりしません。だから離して!)


 と、言いたいにも関わらず、「ん……っ」としか、言えない程の――長く、激しいキス。


 キャロルはおろか、深青(みお)としての人生にもなかった初めてのキスが、呼吸もままならず、舌が絡み合う程深いとは、どういう事だ。


 某ロマンス小説文庫とかなら、ここで何も考えられなくなって朝チュン? とか、馬鹿な事を思っていた時点で、既にパニックは最高潮に達していたと思われた。


 頭の中がすっかり現実逃避をしていると言う事に、気が付いたのは後々の事だったのだが。


「ふ……あっ」


 ようやく唇が離れ、息が出来るようになった時には、キャロルはただ呆然と、エーレを見つめていた。


「キャロル……」


 エーレの右手が、そっとキャロルの頬に触れる。


「俺は、君が好きだよ。生意気だなんて思った事は、一度もない」

「…………え?」

「まいったな。本当は今、こんな風に言うつもりじゃなかったんだ。だけど君が、あまりにも自分を卑下していたから、つい……」


 そう言って、今度は軽く――(ついば)むような、キス。

 半瞬遅れて、キャロルは「ええっ⁉」と目を真ん丸に見開いていた。


「返事は、今は良い。君には、お祖父さんやお祖母さんに誇れる自分になる――って言う確固たる目標があって、それが、君が君であるための核のようなものだと、分かっているから。だからそうだね……君がそう思える日が来た時に、その先の人生を、俺と歩くことを考えて欲しい。士官学校は、3年だっけ? じゃあ、5年くらいあれば、一度は、望んだ自分になれているかは、振り返れるかな?」


「…………」


 お付き合いを通り越して、人生の話になっているのは、気のせいだろうか。


 エーレの左手が反対の頬にも添えられ、気が付けば、両手で顔を挟まれて、上向かせられていた。


「5年後、君が、君の望む自分になれていたなら――俺は、カーヴィアルまで、君を迎えに行くよ。でももし、そうでなかったなら……」


「……なかったら?」


「その時は、有無を言わせず、君をカーヴィアルから(さら)うよ」


 美形のアップに、うっかり流されそうになったものの、キャロルはふと、根本的な疑問に気が付いてしまった。


「……エーレ……『迎えに行く』と『攫う』って……何か違う? それって結局どっちも――んっ⁉」


 言いかけたキャロルの言葉は、再びエーレの唇で塞がれた。


「ん……っ」

「……やっぱり、気が付くんだね。君のそう言う所、好きだよ」


 唇を離したエーレが、可笑しそうに笑う。


 ゾクッとする程の良い声だが、それはイルハルトの声に感じた恐怖とは、根本的に違っていた。


「出来れば『攫い』たくはないけどね。それは、君がまだ、家族に誇れる自分になれていないのに、ルフトヴェークに連れて帰るって事だから」


「……あ」


「でも俺も、独身のまま逃げ続けるのは、5年が限界じゃないかと思ってるから、そこは指定させて欲しいんだ。俺に、君を諦める選択肢はないから、だから『ルフトヴェークに行く』って言う結論ありきにもなってる。ただ君に、君の中で納得をして欲しいだけなんだ。君が()()思えたと言うのなら、5年が4年になっても3年になっても、俺はいっこうに構わない」


「エーレ……」


「キャロル。俺の隣は、それまで君のために空けておくよ。だから、君の隣も――」


 戻ってからも、空けておいて?


 もう、何度目かも分からなくなった口づけの後、最後にキャロルの耳元で、エーレはそう、囁いた――。

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