19 15年目の初めまして
「なんっ……コレ……」
「デューイ様が、遠方から来られて、お疲れであろうキャロル様のために、と。ユニは他の者に引かせますので、どうぞキャロル様はこちらにお乗り換え下さい。怪我をされておいでなら、尚更、今日中に侯爵邸の方に入りましょう」
「…………」
「キャロル様からのお手紙をご覧になられたデューイ様も、今のキャロル様のような表情をなさっておいででしたよ。ちょっとした意趣返しは、甘受して差し上げて下さいませ」
物凄く良い笑顔で言い切った執事長に、キャロルはがっくりと肩を落とし――そして、色々諦めた。
「分かった、分かりました、潔く諦めます! ドレスすら持ってないんで、こんな馬車乗ったら浮きまくりだと思うんですけど! ただその前にロータスさん、少しだけ、時間を貰えますか? ちょっと、ここに来るまでお世話になった人の為に、仕込んでおかなきゃいけない事があるんです」
「仕込み……ですか。宜しければ、お手伝い致しましょうか? 大抵の事はお役に立てると思いますし、その方が早く終わりますでしょう?」
万能執事、恐るべし。
開き直ったキャロルは、結局ロータスの手を借りて、その「仕込み」を済ませると、深々とため息をついて、侯爵家の馬車に乗り込んだ。
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「もう、キャロル! 何で事後報告で家を出てるの⁉ 私もデューイも、ビックリしたんだから!」
まず、侯爵家の玄関に足を踏み入れた時点で、館の使用人達にどよめかれ、居心地の悪い思いをしたキャロルだったが、応接室に足を踏み入れた時点で、その理由にはすぐに納得した。
……いきなり抱きついてきた、母は通常運転として。
余計な心配は増やしたくないので、腕の痛みは、グッと我慢する。
「カレル。気持ちは分かるけど、程々に」
高くも低くもない、落ち着いた声が、やんわりと母を窘めている。
「……っ」
聞くまでもなかった。
髪が長いか短いかはあれど、柔らかい髪質まで同じ、金髪碧眼の男性が、そこには立っている。
キャロルは、母を引き剥がすと、片膝をついて腰を下ろし、片方の握り拳を、胸元に引き寄せた。
カーヴィアル帝国の士官学校生や、軍や近衛の士官が取る、正式礼だ。
「旅の最中ですので、このような軽装で申し訳ございません、レアール侯爵閣下。初めまして、キャロル・ローレンスと申します。この度は、ご招待ありがとうございます。ご子息が誕生されたとの由、心よりお喜び申し上げたいと存じます」
「え、キャロル⁉」
貴族の慣習に疎い母は驚いているが、父や執事長の表情には、それがない。
当たり前だ。
この世界、身分の低い者から高い者へと、慣れ慣れしく語りかける事は許されない。
つまりは侯爵の方から「気楽に」と言われない限りは、例えどこからどう見ても父娘であろうと、キャロルとしては、こう言う話し方しか出来ないのである。
「……デューイ様、もう宜しいのでは?」
無言のデューイに、呆れたようなため息を、執事長が吐き出した。
「キャロル様のご器量を計られるにしても、もう充分でしょう。キャロル様は内面も外見も、疑いようもなく、貴方様のご息女ですよ」
周りの使用人達も、うんうんと、頷いている。
……そんなに似ているのかと思うと、キャロルとしては、やや複雑な気がしないでもない。
「デューイ?」
カレルに怪訝そうな顔をされた所為なのか、ついにはデューイが、ふいっと顔を逸らした。
「ああ、全くだ! 自分の10代を鏡で見ているようだよ。キャロル、いくら15年目にして初対面と言えど、そのような正式礼はとってくれるな。今回、ようやく会えると楽しみにしていたんだ。いつぞや、カレルを慰安旅行に送り出してくれた礼もしたかったしな」
「……有難うございます。では」
そう言ったキャロルは、とりあえず立ち上がると、ロータスに預けておいた剣を、デューイへと渡した。
「いつか、弟の身を守るのに役立てばと、全ての国の粋を集めた、弟の為だけの剣です。しかるべきタイミングで、ぜひお渡し下さい」
「……ほう」
一点物と言う点で、デューイも感心したように剣を見ていたが、クーディアの警備隊長や商業ギルド長が、骨を折ってくれたと聞いて、むしろカレルの方が感動していた。
弟の名前は「デュシェル」に決まったらしく、隣の部屋で寝ているところを見に行くと、髪の色などを含め、こちらはカレル似に成長しそうな雰囲気だった。
「え、キャロル、3日しかここに滞在しないの⁉」
夕食中、この後の予定の話になった時、カレルが食卓で抗議の声をあげた。
「それ以上は、学校に間に合わなくなるから……」
予想された反発とは言え、キャロルも苦笑してしまう。
「こちらにも、似たような学校はあるが?」
デューイの方は、明らかにキャロルの答えが分かっている聞き方だ。
「せっかく推薦して貰ったので、少し頑張らせて下さい」
キャロルがそう言って微笑うと、デューイも「そうか」とだけ答えた。
「この領内で、行きたいところとか、やりたい事とかはあるか? 必要ならロータスに案内させる」
「やりたい事と言うか……」
「うん?」
「1日秘書として、領主としてされている仕事を、見学させて頂けますか? あと1日は、母の気晴らしに付き合います」
「…私の仕事を?」
カレルと2人で出かける事は想定内だったにせよ、仕事場を見学したい、は流石に予想外だったんだろう。
デューイは僅かに目を瞠った。
「国立高等教育院で、為政者としての貴族の在り方を、少しは学んだんですけど、やはり机上論でしかないので、実際のところを知りたいんです。士官学校や、その上となると、ほぼ貴族層になるので、知らないでは済まないようにしておきたくて……」
「……ほう」
キャロルが、2ヵ月の旅行そのものを、遊びではなく、入学前の、大陸情勢を知る「予習」とするつもりだと、デューイも気が付いたらしい。
「やるからには、首席卒業を狙うか? それならば、手伝わせてやらない事もない」
「――分かりました」
もっと、微笑ましい父娘の会話をしてくれと、カレルなどは思っていたようだが、当事者2人はどうやら、それがほど良い距離感だと、落ち着いたみたいに見えた。