16 深夜の襲撃
「あ、えっ⁉ や、私、泣くとか、そんなつもりじゃ……って、服、服が濡れちゃう!」
「いいよ。思い出させたのは俺なんだから。素晴らしい……方達だったんだね」
「……っ」
「だから君一人、ご両親と離れて他国にいたのか……」
うっかり深青の記憶を話したせいで、父や母と確執があるかのような矛盾が出ているが、キャロルとして産まれても、そんな祖父母の為に剣を握った事実は揺らがないので、敢えてそこは訂正をしない事にした。
「……ごめんなさい、お兄さん。もう大丈夫」
涙が止まった頃、そう呟いたキャロルに、ピクリとエーレの身体が動いた。
「……お兄さん」
「え、だって……」
「君、俺もヒューバートも、他も皆、同じように呼んでるね? さすがにそろそろ、名前を呼んでくれないか?」
「名前……」
「エーレ・アルバート。エーレで良いよ」
「確かその後に、敬称的な単語も――」
言いかけたキャロルの言葉を遮るように、エーレがキャロルを抱く腕に力をこめた。
「君は俺の国の人間じゃない。敬称はいらない。と言うか、君には呼んで欲しくない」
「エー……レ?」
「それで良いよ。――それが良い」
美形の美声は、色々と心臓に悪い。
ハッキリ言って、この体勢さえ、この後どうしたらいいのかと、深青としてもキャロルとしても、リア充的イベント皆無だったせいで途方に暮れかけていたそこへ、トラブルは三度、起こった。
「!」
窓ガラスが砕け散る音が、聴膜を破らんばかりに、周囲に響き渡った。
一本の矢が、二人のすぐ側を通り過ぎ、床へと突き刺さる。
「お兄さ――じゃなくて、エーレ、監察官ってこんなに狙われる職業?」
「……ははっ」
「いや、笑いごとじゃなくて」
「あ、いや、今にはじまったことじゃないから。ちょっと麻痺してたかな」
「ええ……」
「エーレ様!」
ガラスの割れた音を聞きつけたのだろう。
ヒューバートが、部屋の中へと飛び込んで来た。
「……何やってたんです」
だが、床に刺さった矢の事より、エーレがキャロルを抱きしめている、その体勢の方が、ヒューバートは気になったらしい。
「ちょっと、ホームシックでしんみりしていた、幼気な女の子を慰めていたんだよ」
「「……いたいけ」」
ヒューバートはもちろん、キャロル本人も、思わず突っ込んでしまったが、エーレは涼しい顔だ。
「ヒューバート、ここはいい。家人の避難の方を任せる。自分の身は、自分で何とか出来るよ」
「いや、しかし……!」
「聞こえなかったか?」
表情は穏やかだが、その声はヒューバートを圧倒するほどの威厳と気迫に満ちており、逆らう余地を彼に与えていない。
思わずキャロルまで身震いする程で、分かりました……とヒューバートも口惜しそうに唇を噛んだ。
「お嬢ちゃん、エーレ様を頼めるか?」
「ヒューバート!」
「俺も、折れるのはそこまでです!ご自身の立場を自覚して下さい!」
彼女に頼むのは、筋違いだ――エーレは、そう叫びかけたが、ヒューバートは既に、扉の向こうに姿を消していた。
「……はーい、頼まれましたー」
間延びしたキャロルの返答も、甚だ緊張感に欠けるものであった事は否めない。
「いや、頼まれなくて良いから。あいつ、君を士官学校じゃなく、公国で自分が鍛えよう…とか言い出していたから、うっかり引き受けたら、そのままなし崩し的に巻き込まれるよ?」
「えーっと……明日、剣を教えて貰える話になってました」
「…………」
「と、とりあえず、その話はまた後で――ってことで」
そう苦笑したキャロルは、トンッ……と、エーレの身体を押すと、一歩下がって、自分の剣を引き抜いた。
「食事と宿のお代と言う事で……っと!」
引き抜きざまの一閃が、割れた窓より飛び込んできた、二射目を叩き折った。
更に割れた窓から飛び込んで来た男の顔を狙って、剣を振り抜く。
侵入者の額に傷が走り、その血を煩わしげに拭った時点で、窓から飛び込んで来た勢いは、既に削がれていた。
腕力において及びようもないのだから、キャロルとしては、相手の勢いを削ぐ事は必須だった。
実際に人を斬った事がない――と言う怯みも、ここでは不利にしかならないからだ。
「キャロル!」
エーレが驚いて、侵入者と対峙しようとするキャロルに代わろうとしたが、その時、もう一つの窓も、何者かに蹴破られて、割れた。
「なっ⁉」
「ほう……その都度、良き部下を増やされているようですな。それもあなた様の人徳か」
ぞっとするような低い声が、その、別の窓から聞こえる。
「……っ」
目の前にも侵入者がいる為、視線は投げないが、今までに感じたことがない程の殺気が背中に突き刺さり、キャロルは思わず、唾を飲み込んでいた。
怖い。
精神的な問題ではなく、物理的に命の危険を感じたのだ。
今までに相対した賊や雇われ襲撃者など、恐らくこの殺気の持ち主の前の歯牙にもかからない。
視界の端に、壊れた窓枠に難なく立つ、男の姿が映った。
「エーレ!」
思わず叫んだキャロルを、安心させようとしたのか、エーレは自分がその男の方に向き直ると、キャロルにそっと、背中を寄せた。
それはまるで、自分の体温を伝えるかのような仕種だった。
「大丈夫だ。これでも君よりは強い。すぐに君を手助けしてあげるから、少しだけ耐えてくれるかな」
「……分かった。期待しないで、待ってる」
そうして2人の背中は離れ、それぞれが目の前の敵と、撃ち合った。
「どうしても私を殺したいのは、誰だ? ユリウスか? フレーテ妃か?」
剣戟の音に紛れてエーレの声が聞こえるが、ルフトヴェーク語での「妃」と言う単語をこの時知らなかったキャロルは、ここで一度、エーレの素性を察する機会を逃していた。
「私はただ、フレーテ妃の望みを叶えてさしあげたい。これは私の独断。どなたにも関係のない事だ!」
今度は、そう返している、男の声。
会話の聞き取りに集中したいが、自分の前で剣を振るう男が、それをさせてくれない。
『もうっ、鬱陶しい!』
思わずカーヴィアル語で叫んでおいて、キャロルは一本踏み込んで、相手の右大腿部を斬りつけた。そのまま左足を軸にして、右足に思い切り力をこめて、相手を蹴り上げると、窓の外へと落下させた。
情けない悲鳴が聞こえた気もしたが、それどころではない。
その瞬間、窓の外に、先刻から矢を射ってきている射手の姿を目にしたのだ。
「エーレ!」
そのまま軸足を回転させたキャロルは、窓とエーレとの間に割り込むように、剣を持たない右腕を伸ばして、身を踊らせた。




