117 転生者たちのお茶会
キャロルの、いっそ晴れやかな表情に、気持ちの整理が付いた事をエーレも察したのだろう。
式典用のドレスや宝飾品を受け取ったキャロルが宮殿を出る間際、キャロルを抱き寄せて「明日、待ってるよ」とだけ、囁いた。
「――っっ」
エーレの声は、耳元で囁かれると、尚更心臓に悪いとキャロルは思う。
まるで昨夜の「愛してるよ」まで脳裡にリピートされるようで、キャロルの表情は、誰が見ても分かるほどに赤くなっていた。
宮殿の使用人とて、一枚岩ではない。
既に自分の実家当主に、新皇帝がレアール侯爵令嬢と一夜を共に過ごした事を知らせている使用人もいれば、この衆人監視の中での抱擁を、尾ヒレを付けて流す貴族もいるだろう。
恐らくは、式典の後のパーティーが始まる頃には、婚約話は、噂から事実にまで、昇華しているものと思われた。
「驚く程周到に、外堀を埋められていますね……キャロル様」
馬車の外で馭者を務めるランセットが、感心したように、背中の小窓越しに、中のキャロルに声をかけた。
「逃げられないだろうから、諦めて、大人しく捕まれって言ったの、ランセットだよね……」
馬車の中で頭を抱えているキャロルが見えた訳ではないにせよ、そんな空気が漂っているように思える。
若干やさぐれ気味なところからも、エーレが何をキャロルに言ったのか、ほぼ、察せられてしまった。
「……なるほど」
そうだ! と、馬車の中で顔を上げたキャロルが、振り返って、小窓の側に顔を寄せた。
「ランセット、ね、帰ったら、母と三人でお茶しよう? そうしよう!」
「……はい?」
返すランセットの声は、半ば呆れ交じりの冷ややかさだった。
「何ですか、藪から棒に。今更恥ずかしがったところで、その赤い痣は、消えてはくれませんよ。カレル様だって、お相手が次期皇帝陛下、しかも婚姻申込状まで送付済みとあっては、怒りようもないでしょうし。その痣だってどうせ、首元だけじゃないんでしょう。大人しく、母娘水入らずで会話して下さい」
ぐうの音も出ない、と言った態で、馬車の中のキャロルがよろめいた。
「わぁあっ! ランセットが容赦ない……っ!」
「すみませんね! 結婚前に、そう言うのはどうかと思う、古い人間なんですよ、私は! そもそも、教育者だったんですから!」
昨夜はエーレがいた為、公爵家の馬車で宮殿に向かっていたキャロルだったが、帰りに関しては、朝、デューイがエイダルと共に乗って来た、侯爵家の馬車を使用していた。
とは言え、侯爵家の馬車にしても、それなりに防音機能はある筈なのだが、馭者席の後ろの小窓が開いての会話だった為、馬単騎で側に付いていたヘクターにも、その掛け合いは、筒抜けだった。
ランセットがロータスに似てきている、と、最近キャロルがぼやいているが、ヘクターも、ちょっとそれには賛成かも知れないと、内心では思っていた。
「おーい、ちゃんと前見てるか、イオー? くだらない事言ってる間に、もう着くぞー」
もちろん、極めて現実的な話の方で、強引に二人を黙らせてはいたのだが。
まだ午後も早い、お茶の時間帯でもある為、エイダルやデューイは、宮殿で明日の最終準備に追われており、エイダル公爵邸には、カレルとデュシェルだけが残っていた。
そのデュシェルもお昼寝中とあって、戻って来たキャロルを出迎えたのは、カレル一人だった。
「……あらあら、まあ……」
そのカレルの第一声は、キャロルの首元に視線を固定したままのものだったので、今更、何があって昨晩帰らなかったのか、説明の必要がないのは明白だった。
キャロルが何かを言いかけたのを遮るように、パンっと手を叩く。
「とりあえず、着替えてお茶にしましょう。そうしましょう」
「……では、私が用意を致しますよ」
何だかんだ、ランセットもキャロルの要望を無視出来ない。
せめて、ニヤニヤと笑うヘクターの脇腹に肘打ちをして、己の中のモヤモヤを解消する事にしておいた、ランセットだった。
.゜*。:゜ .゜*。:゜ .゜*。:゜.゜*。:゜ .゜*。:゜ .゜*。:゜
「えっ、叶先生⁉」
とりあえず、何故、ランセットをここに残したかと言う話をキャロルが告げた時、カレルは、華森志帆としての過去を思い起こしながら、大きく目を見開いた。
「うそっ、本当に⁉ あ、私は直接習ってはいないのよ? 担当学年が違ったから。だけど、ものすごくイケメンで、全学年から凄く人気もあった先生で、校内では有名人だったの! ご家庭の事情で退職されたって、学期途中に聞いた覚えがあったんだけど……」
「へぇぇ……ランセットが……」
恐らくは、そこで、こちら側に飛ばされたのだろうと、声にせずとも、3人共が思う。
「……昔の話は、もう忘れて下さい……」
バツが悪そうにそっぽを向くランセットに、志帆はほろ苦く笑った。
「そうね……私達はここで、新しい人生を生き抜かなきゃならないんだものね」
「お母さん……」
「それでも時々、時々で良いからこうやって、一緒にお茶をしてくれないかしら? 昔の話はNGにしたとしても、同じ空気を吸っているんだって言う安心感はあるから……」
「カレル様……」
そこまで言われてしまっては、ランセットとしても、拒絶のしようがない。
「承知しました。カレル様が後日改めて、公都へお越しになれるようになりました際にでも、是非に」
「ふふっ、先生が娘の側にいて下さるのなら、私も安心だわ。あぁ、ごめんなさい。先生はもう『イオルグ・ランセット』である事を、お選びになられるのでしたわね。ではランセット、貴方はここまでで良いわよ? 貴方も、この世界での大切な伴侶として、キルスティンに、一緒に公都に残って欲しいと、説得しないといけないのではなくて?」
「……っ」
侯爵家の侍女キルスティン・ダーリが、ランセットを追いかけてきて、雇われるに至った経緯は、現時点で、侯爵家の全員が把握している。
図星を刺されたランセットが、焦りと羞恥、双方入り混じる表情で、礼もそこそこに部屋を出て行くのを、カレルはおかしそうに、キャロルは唖然と、それぞれ見送った。
彼はもう、この世界で、地に足を着けた生活を過ごしているのだと――現実を突きつけられている事への、それは証左でもある。
志帆も深青も、そこは見習っていくべきなのだろう。
「さて、ここからは女子会トークにしましょうか」
先に、切り替えるように微笑ったのは、カレルの方だった。
「そのブレスレットは、昨日までなかった物よね、キャロル? それって、エーレ殿下からの贈り物で合ってるのかしら?」
「!」
決してやましい物ではないのに、条件反射で腕を押さえてしまったキャロルに、カレルは再び笑った。
そもそも、日頃装飾品を一切付ける習慣がなかった娘の手首に、明らかに安物ではない宝石が使われたブレスレットなど付いていては、他の選択肢さえ思い浮かばない。
普段なら、そんな事にはすぐ気付く筈のキャロルは、ひたすらに動揺している。
「貴女からは『首席監察官』って聞いていたのに、実は『第一皇子』だって、後でロータスから聞いて、ビックリしたのよ? で、それって、ただの贈り物的な感じで渡された? それとも、何か言われたりしたのかしら?」
ほぼ、答えを予期していると言って良いカレルの表情を、キャロルは見ていなかった。
「……その……自分の、ただ一人の〝皇妃〟として受け取って欲しいと……」
赤い顔で、視線を逸らしながら呟く娘に、カレルが思わず微笑う。
「……さすが、デューイよりも身分が高いだけあって、やっぱり『付き合って下さい』では、済まないのねぇ……あぁ、もちろん、デューイだって『付き合って下さい』では済まない人ではあったんだけど」
それでもカレルの場合は、釣り合わないと、逃げる余地がまだあった。
だが、エーレは皇族だ。ましてレアール家は侯爵家だ。キャロル・ローレンスであった頃とも、状況が違いすぎる。頷いてしまえば、あとは結婚一択しか残らない。
「……で、頷いて受け取っちゃったら、そのまま朝まで離して貰えなかった、と」
「……っ⁉」
的確すぎるカレルの説明に、口をパクパクさせたキャロルは、一瞬で耳まで赤くなっていた。




