113 隣に立つために
いずれにせよ、レアール家は親子三人で、公爵を公爵とも思わぬ態度を取っている事になる。
「いや……夫人の発言の、少なくとも後半は、その通りとしか」
エーレも、やや苦笑ぎみだが、意外にもエイダルも怒らなかった。
「最初は、欲があって、娘が次期皇帝のお手付きになる事を喜んでいるのかと思ったがな。まあ、何だ。大分色々と、私の予期しない発言も多くてな。その…天然だと言うのは、私も理解したとも」
「ああ……公爵の様に、基本が会話の裏を読む方にしてみたら、母の思考回路は意味不明だと思います。まあ、そこに魅力を感じているのが父なので、間に他人の入る余地はありませんが。おおかた、帰りたければ、弟と勝手に帰れとでも言われて、父が青くなった……とかでしょうか?」
「……っ」
父の様子を見るに、どうやら、図星らしい。
エイダルは、彼にしては珍しく、くつくつと低く笑った。
「奥方は、問答無用でレアールは残ると思っていたようだ。息子にも武者修行は必要だろうし、自分一人が、侯爵領か公都かを悩めば良いと。ところが、話している内に、レアールが本気で引き揚げる気でいるのを悟って、その発言だ。『娘の気持ちはお分かりでしょうに、よくもそんな事が言えますね』とも言っていたかな。『少なくとも、娘が結婚前に手を出されるのを、貴方は責められない筈』とか何とか――」
これにはキャロルも、思わず自分の事を忘れて、横を向いて軽く吹き出してしまい、デューイが目を見開いた。
「……キャロル」
「馴れ初めなら、ある程度知ってますよ?」
頭を抱えるデューイが気の毒なので、敢えて「全部」とは言わずにおいた。
「話が逸れたな。まあそれで、だ。娘とレアールは公都に残る、奥方は一度息子と侯爵領に戻るが、私が中央から退いて、侯爵領に向かう際に入れ違いで、一人、後から公都に出てくると――そう言う話になった。私はその娘に、全てを引き継ぐ。おまえとレアールが、それをフォローする。……そのあたりが落とし所だろう、エーレ。後宮に引っ込んでいられるような娘ではないと思ったが?」
「……ええ。それでは、彼女を殺してしまう。彼女の居場所は、後宮じゃない。分かってはいますよ。ただ自分でも、これほど独占欲が強いと思わなかっただけで」
そうか、と答えるエイダルの表情は、やや痙攣っている。
「大丈夫ですよ、大叔父上。私が溺れたくても、彼女が恐らく、そうはさせてくれませんから。その点、レアール侯の夫人の血を間違いなく引いているのでしょうね」
「まあ……『娘への仕事の引き継ぎは、半年でも一年でもお好きにどうぞ。その間、主人には充分に反省して貰いますので』と言うような奥方なら……確かにそうかも知れんな」
「……何か本当に、母がすみません……」
乾いた笑い声のキャロルに、エイダルは皮肉っぽく口元を歪めた。
「私にしてみたら、三人とも大差はないがな。レアール侯爵家に『媚びる』『阿る』と言う単語が存在しないのは、よく分かった」
キャロル自体が、エイダルに対し「基本が会話の裏を読む人」と、無意識なのかわざとなのか、しれっと口にしているのだ。
たとえそれが間違っていないにしろ、相当な度胸の持ち主である事には違いない。
「……だから、ミュールディヒ侯爵家の尺度で物事を測るなと言ってるだろうが……」
片手で額を押さえたまま、デューイが吐き捨てている。
「お父様」
「……私はおまえに何もしてやれていなかった、15年分を返してやりたいだけなんだがな。何故わざわざ、平凡な人生と程遠い方へ行くんだ」
「お父様……でも、ドレスや宝石に目が眩む母だったら、好きになってますか?私は……そんな母に育てられた訳ですし」
「……っ」
「もちろん、試着が終わって戻ったら、私も母と話します。その時は、二人にして貰っても?」
「……そうだな。だが」
いったんは頷いたデューイが、やや不本意そうに、エイダルを見やった。
エイダルの方は、当然とばかりに、その視線を受け止めている。
「午後、おまえには、紹介しておきたい男がいるのと、立ち会って貰いたい場所がある。私の〝仕事〟を継ぐと言ったな? その言葉、もう撤回はさせんぞ」
「――――」
キャロルは軽く目を瞠って――エーレを見上げた。
短い視線の交錯の後、キャロルの肩にあったエーレの左手が、何度か軽く、キャロルの頭を叩いた。
「あの話の後で、反対するのは無理だよ、キャロル」
「……ありがとう」
微かに笑って、キャロルは改めてエイダルの方へと向き直った。
「全て引き継ぎます。そうすれば、彼の隣に私がいる事を――認めて、下さいますか?」
「他ならぬエーレが望んでいるのに、私の許可など要るのか?」
エイダルの微笑は、お世辞にも額面通りの物とは言えない。
デューイですら「どの面下げて……」と、呟いている程だ。
キャロルはニッコリと、それを受け止めた。
「私は死ぬまで彼の側にいたいですから。害になると思われて、途中で病死するとか絶対にイヤなので」
「……こんな変則的な惚気を聞いたのは初めてだな」
呆れるエイダルに、今度はエーレが明後日の方向を向いた。
「せいぜい、途中で落第しない事だな。全て引き継げたなら、さすがに認められるやも知れんな」
「間に受けるな、キャロル。こう言うタイプは土壇場まで、何だかんだケチをつけてくるぞ」
などと、デューイの方がケチをつけているが、キャロルとしては、エイダルからここまで引き出せれば上等である。
「人参があれば、走れます。――いずれ言わせてみせます、お父様」
宜しくお願いします、と最後にキャロルは頭を下げた。




