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エールデ・クロニクル――剣姫、紅月に舞う――  作者: 渡邊 香梨
終章 あなたの番です
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107 共に背負う事の意味

「エーレ……あの……何か、怒ってる……?」


 宮殿へ戻ると言うエーレに、さすがにこの時間からの、馬単独は止めてくれと、ヒューバートとルスランが苦言を呈し、結果、エイダル公爵家の馬車を借りると言う形で、ルスランが馭者、ヒューバートは単騎で後ろから護衛と言う形での、戻りとなった。


 キャロルの護衛であるランセットとヘクターは、明日、宮殿まで迎えにくるよう、エーレから言い渡されて、渋々それを了承した。


 ヒューバートやルスランが、自分達以上の実力を持ち、キャロルと親しい事は分かっていたからだ。


「君たちを宮殿内でキャロルの護衛として、自由に出入り出来るよう、今、許可申請をしている。数日かかると思うから、それまでは、中はヒューバート達に任せて欲しい」


 更にそうも言われては、引き下がるしかなかった。


 馬車の中は、今、エーレとキャロルが、向かいあう形に座っている。


「……さあ?」


 沈黙に耐えかねたキャロルが口を開いたが、エーレは曖昧な微笑で、首を傾げた。


「君に怒っているのか、自分の不甲斐なさに怒っているのか――俺も、良く分かっていないからね」


「え?」


(とが)は共に背負うと言ってくれた君が、(おお)()父上(じうえ)と、俺の知らない所で、更にその手を血に染めると言う――それも、俺のために。それは『共に背負う』と言えるのかな」


 責めていると言うよりは、淡々と問いかけている感じだ。

 だからこそ余計に、キャロルの肺腑を貫く。


「君が、俺が流す血の(とが)を、共に背負いたいと思ってくれたように……俺も、君が流す血の咎を背負うつもりでいたと、どうして考えない? 俺がまだ、頼りにならないから? 俺が君の隣に相応しくあるには、あと、何が足りない?」


 両膝の上それぞれに肘を置き、手の指を顔の前に組み合わせながら、エーレが目を(すが)めてキャロルを見つめる。


「な……んでっ、エーレが私に相応しくないだなんて……そんなの、私、一度も……むしろ私の方が……っ」


「俺に相応しくないんじゃないか――と?」


 エーレの低めの美声が、今は怖い。

 キャロルはブンブンと、首を大きく横に振った。


「わ……たしは、ただ……エイダル公爵にも……認めて貰えたら……と」

「認める?何を?」

「私は……」


 一瞬だけ、言いづらそうな表情を見せたキャロルだったが、エーレの視線は、それを許していなかった。

 キャロルの両手は、膝の上の服を握り締めている。


「アデリシア殿下に、近衛隊長として認めて貰って……私は、これなら、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに胸を張れる。『首席監察官』の隣に立つ自分を、きっと喜んでくれる筈――って思っていた……けど……」


 (うつむ)くキャロルから、小さく息を呑んだエーレの表情は、見えない。


「それが突然……実は第一皇子でした、って言われて……エーレはエーレだって、それは分かってた。でも私は……キャロル・ローレンスとして積み上げた全てを失って、手元に何も残っていなかった。だから……どうしても、不安で。エイダル公爵が……エーレに近い、宰相閣下が、肩書のないキャロル・レアールであっても認めてくれたなら、もう一度……自信を取り戻せるんじゃないかと……思って――⁉」


 エーレの右手が、ふいにキャロルの左手首を掴んだ。


 そのまま、自分の左側に強く引き込んだため、キャロルの身体は馬車の中で小さく回転して、エーレの両足の間に、すっぽりと収まる格好になった。


 両腕が素早くキャロルの腰に回り、左肩に、エーレの額が押し付けられる。

 キャロルが僅かに視線を左に傾けると、エーレの黒髪が、すぐ側に見えた。


「エーレ……っ」

「――ごめん」


 絞り出すような声と共に、腰に回った手に、ギュッと力が入る。


「何よりも俺は……まず、()()()()()(とが)を背負わなくちゃいけなかったんだな……」


 エーレはエーレだ、とキャロルが言ったように、エーレにとっても、キャロルはキャロルで、単に「ローレンス」が「レアール」に変わっただけで、そこに大きな違いはないと思っていた。


 だが、首席監察官と言う兼務が外れるだけのエーレと違い、キャロルは、二度と「ローレンス」を名乗れない。余程の事がなければ、二度とカーヴィアルへ行く事も出来ない。


 努力の果てに得た地位を手放した――祖父母に誇れる自分と言う、キャロルの心の拠りどころが、揺らいだのだ。


「違……っ! それは私が自分で決めた事で……エーレのせいじゃ……っ」


「それでも――だよ。君の祖父母の話を聞いた俺だけは、その事にもっと、気が回らないといけなかった。君に……寄り添わないといけなかった」


「エーレ……」


「キャロル。君は、何も失くしてなんかいない。キャロル・ローレンスとして、君が積み上げたものは、ただ、崩れただけだ。覚えた言葉も、剣の腕も、何も無くなってはいないだろう?」


「それは……」


「崩れたなら、もう一度積み上げればいい。今度はキャロル・レアール・ルフトヴェークとして、俺と一から積み上げていけばいい」


 エーレの左手が、ゆっくりとキャロルの腰から離れ、右の頬を包み込んだ。

 ごく自然に、顔が左側を向いて、真っ直ぐなエーレの視線とぶつかる。


「それじゃあ……ダメなのか? それでも、認めてくれないような、お二人なのか……?」


 答えの代わりに、エーレの左手を、一筋の涙が濡らした。


「キャロル」


 以前、(デューイ)も「キャロル・ローレンスとしての下地があってこその、現在(いま)がある」と、キャロルに言ってくれてはいたが、この「ただ崩れただけだ」と言うエーレの言葉は、よりキャロルの奥深くへと、染み渡っていった。


「そ……か……崩れただけ、なんだ……」

「ああ」

「今の私で……いいんだ……?」

「俺は今、俺の目の前にいる、キャロルが欲しい。それ以外は――必要ないよ」


 涙が滲むキャロルの瞳が、大きく見開かれた。

 だから、と、肩越しのエーレが囁く。


「血を流すなら――2人で。大叔父上とじゃなく……俺と、2人で流せば良い」

「エーレ……んっ」


 一度だけ、触れるだけのキスを落としたエーレは、再度キャロルを後ろから抱え込んだ。


「……ダメだな。君が勝手に大叔父上と話をしてしまった事を叱りたかったのに――君の気持ちを、蔑ろにしてしまっていたなんて。先に反省するのは、俺の方だった」


 キャロル、と、耳元に吐息がかかり、キャロルはビクリと身体を震わせた。


「君は大叔父上に……俺の隣の席を望む自分は――強欲だ、って言ったけれど……多分、俺はそれ以上だと思うよ」


「えっ?」


「言った筈だよ。俺は今、俺の目の前にいる、キャロルが欲しい……って。俺は、君の隣の席と――君が欲しい。君の、全てが」


「ひゃんっ⁉」


 不意に、(うなじ)を滑った唇に、キャロルが自分でも思いがけなかった声を上げた。

 ほとんど条件反射で、そこから逃れようともがいた身体を、エーレの両腕が、押さえつける。


「俺の隣の席も、俺自身も――もう、君のものだけれど……俺も強欲だからね。君の()()が欲しい」

「や……っ、ちょっ……待っ……」


 エーレの右手が、キャロルの上着のボタンにかかりそうになるに至っては、さすがにキャロルも、エーレが()()望んでいるのかを悟って、なおかつ、ここが馬車の中だと言う状況も理解して、顔を赤らめたまま、もがいた。


「!」


 その時、ガタンと馬車が揺れて、目的地近くに着いた事を2人に悟らせた。

 門番兵と、二言三言話す、ルスランの声が聞こえる。


「キャロル」

「はいっ⁉」


 上着にかかっていたエーレの手が止まったため、ホッとしたのか、キャロルの声が、おかしな方向に裏返ってしまった。


 背中越しに、くすくすと笑うエーレの声が聞こえる。


「中に入ったら、俺の私室で少し、話がある。フェアラート公爵の聴取の件、さっき、とても出来なかったからね」


「あ‼ あぁ、うん、そうだよね。それは、うん、聞きたい、かな」


 動揺の収まらないキャロルが面白いのか、エーレの腕は、キャロルの腰に回されたままだ。


「それからレアール侯には、今夜、君は()()()()()()()()って、そう言ってあるから」


「…………はい?」


「寝室は私室の隣だから、多少は話が長くなっても、問題ないしね」


「…………ええっ⁉」


 既に宮殿の南門をくぐっている馬車は、当然引き返しようもなく、キャロルは、何が何だか分からないまま、夜の宮殿へと足を踏み入れる事になった。

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