106 狙うはレアール家の囲い込み
「レアール。確かに、この娘であれば、フレーテ妃周辺の貴族令嬢と比べる訳にも、いかないな。そこは素直に、私の目が固定観念に囚われていた事を詫びねばなるまい。すまなかった」
「…………今更、何を」
「何、皇妃にならないなら、ならないで、私の後継者として、中央に残したいと思っただけだ。本人も、全てを引き継いでも良いと言っている事だしな」
「ふざけるな! 宰相位と皇妃などと、面倒度合いでは、大差があるか!」
「なら、おまえも残れば良いだろう、レアール」
「は⁉」
想定外の事を、あっさりと言うエイダルに、デューイが目を瞠る。
「元より、娘がその手で流す血を、半分引き受ける覚悟があったのなら、中央でも同じ事が出来る筈だ。今ならお誂え向きに、軍務大臣の地位が空いてるぞ。公都の屋敷だって、大量に失脚する貴族が出ている以上、選び放題だ。国軍とて、いったん私が解体させて、第一皇子直属軍を中心に再編した結果、〝東将〟を事実上の軍トップにするにせよ、〝西将〟が不在だ。娘の専属護衛ならば、それも目指せよう」
そもそもエイダルは、20代の頃からのデューイを、ずっと買っているのだ。そのデューイの結婚に際し、机上のメリットだけで囲おうとしたのが、長年の中での、エイダルの唯一と言っても良い「失敗」だった。
まだ40代前半のデューイであれば、充分に中央でやれると、エイダルは思っている。
「侯爵領の経営が心配なら、私が娘に全てを引き継いだ後に、中継ぎとして、侯爵領に入ってやる。息子が公都の学院で学べる年齢になるまでは、教育もしてやろう。甥に先に逝かれるくらいだ。私とて、先は見据えねばならん。おまえが、一家で丸ごと次代の礎石となってくれるのであれば、私も本望だな」
エイダルをギャフンと言わせるどころか、思わぬ方向から話を撃ち返され、父娘揃って反撃に窮している。
「……一つの一族が、必要以上に政治に関わるのは……好ましくないんじゃなかったのか……」
デューイの口調はすっかり、20代の頃に、エイダルに噛みついていた頃の、それだ。
「私が、おまえの息子に施すのならば、侯爵領の後継としての教育であり、中央に出るためのものではない。一代限りの権勢ならば、それは、国の為である限りは、根幹を揺らがせる事もない。おまえと娘が国の両翼となる事は、充分に成り立たせられる。まあこれには、娘の方が皇家に連なる事が、大前提となるがな」
「大叔父上……」
エイダルが、ミュールディヒ侯爵家の様に、下手な外戚に国政を壟断されたくないのだと言う事は、口にせずとも暗黙の了解として、周知されている。
デューイ一代の大臣職と明言する事で、その憂いが激減するのであれば、キャロル本人の資質から言っても、デューイは理想的な岳父になると、少なくともエイダルの方では思っている。
更なる次の代の面倒までは、さすがに見きれないし、それで十分な筈だ、とも。
「領地に戻りたければ、息子と妻と三人で戻れ、レアール。私は、おまえの娘を見くびった詫びとして、娘の〝覚悟〟を最大限に高く買い取って、保護してやる。それは約束しよう。ただし、よほどの事がない限りは、確実に私の方が早く逝く事だけは、覚えておけ。それからでは、娘が被る〝皇家の闇〟は、おまえがもう、手を出せないだろう事もな。いずれにせよ――決めるのは、おまえだ」
「……レアール侯」
そしてそれまで、話の成り行きを呆然と見比べていたエーレが、何かを決断したように、一度目を閉じた後、顔を上げた。
「私も、本音を言えば、彼女を自分の側で守り通したい。だが彼女は、守られるのではなく、共に血の咎を背負っていくのであれば、私の隣にいると言ってくれた。それならば、私が守りたいなどと、小さなプライドは、雪にでも埋めてしまおう。私には、彼女が全てだ。他の女性など、生涯に渡って必要としない。……約束する。彼女が血を流す時は、私も流す時だ。決して彼女独りに、その〝闇〟を背負わせる事はないと」
他でもない、貴公だからこそ、私の想いはご理解頂けるものと思ったが――。
そう呟いたエーレに、デューイの表情も僅かに、揺らぐ。
エイダルの言葉に耳を貸さず、カレルを選んで手放さなかった自分だからこそ、娘以外を望まない次期皇帝を否定出来ない。
「とは言え」
そう言うとエーレは、椅子に腰を下ろしたまま、どう聞いても熱烈な告白としか取れないエーレの言葉に、無言で頬を赤く染めているキャロルの側まで行くと、左腕を掴んで、ひょいと立ち上がらせた。
「私の方の覚悟が足りなかったのか、彼女が私の想像以上に無鉄砲だったのか、私と彼女も、もう少し話し合う必要がありそうだ。……このまま、彼女を宮殿に連れて帰っても?その方が、明日の宮殿での衣装合わせに来て貰う手間も省ける」
「⁉」
「なっ――」
キャロルはただ、何を言っているのかと、目を見開いただけだったが、その真の意味を知るエイダルとデューイは、先ほどまでの反目も忘れて、やや動揺した。
「殿下……その、娘はまだ……怪我を……」
「エーレ……おまえとて、だな……斬られた傷はまだ……」
エーレは器用に、こめかみに青筋を浮かべたまま――微笑った。
「これ以上、彼女の意思を無視した議論に付き合わせる必要性が? 私は彼女を選ぶ。幸いな事に、彼女も私を選んでくれると言う。その外側をどうするかを、まずは考えて貰えないか?」
それは長年、ルフトヴェークの宮殿で帝王教育を受けた、キャロルの知らない、エーレ・アルバート・ルーファスの威厳と姿だった。
キャロルを、そして大の大人2人の口を噤ませ、圧倒してしまえる程に。
「じゃあ行こうか、キャロル。君にもちょっと、反省して欲しい事があるしね」
「反……省? え、ちょっと、エーレ待って? このまま? これ、とても宮殿に行く服じゃ……っ⁉」
「この時間なら、夜勤の使用人以外の目には触れないから、問題ない。宮殿の衣装部屋に行けば、いくらでも着替えはあるし。第一、明日、君が選んでくれた衣装のサイズの最終調整だろう?脱ぎ着しやすい服の方がラクだと思うけどね」
「……そう、なの……かな……?」
「待て待て、丸めこまれるな、キャロル! 明日行けば充分だっ!」
皇族相手にファーストネームを呼び捨てているだの、丸めこむだの、エイダルに対して以上に、不敬罪と言われても文句が言えない暴言を吐いている事に、父娘ともに気が付いていない。
呆れるエイダルをよそに、エーレに左腕を引かれながら部屋を出て行きかけるキャロルを止めようと、デューイがその行く手を塞いだが、エーレはにこやかに微笑ったまま、デューイの肩に手を置いて、グイッと自分の進行方向から、脇に押しやった。
「レアール侯は、まず夫人と、公都に邸宅を持つか否かの相談が必要なのでは? 私は、大叔父上の提案は、全てとは言わないが、一部有益な提案だと考えている。明日、彼女を送り届けた際にでも、結論を聞かせて貰えれば有難い」
「それは……しかし何も今日……っ!」
「貴公に」
キャロルの耳に届かない程の声で、部屋を出る直前、エーレは囁いた。
「私が本気だと分かった上で、夫人と相談して貰いたい。彼女には今日、私の部屋に泊まって貰う。――どうか、そのつもりで」
「――っ」
「お……父様?」
唖然としているデューイとエイダルをそのままに、キャロルは着の身着のまま、真冬の夜に、エイダル公爵邸を連れ出される事になった。




