101 父と娘の挑戦状(後)
「改めて、我が最愛の家族をご紹介申し上げます、公爵。妻のカレル、娘のキャロル、息子のデュシェルです」
身分が下の者から、上の者に話しかける事をしないのは、あくまで公の場のみ――とでも言わんばかりに、にこやかに話しかけるデューイに、エイダルが僅かに片眉を動かした。
一癖も二癖もありそうな、デューイ自身の容貌で「最愛の家族」だなどと、例え事実でも、寒々しい事この上ない。
デューイの背後には、カーテシーの礼を取ってはいるが、コルセットもパニエも付けていない、平民女性のような洋服姿の妻、スカートどころか、護衛騎士のような恰好で、礼も騎士の礼をとる男装の娘に、両腕は太腿にピタリと付け、90度にお辞儀をする男児――と、エイダルが呆れる程の、三者三様の「最愛の家族」がいる。
「……何故、娘は男装なんだ、レアール」
少なくとも、最も違和感を覚える娘の姿形に言及してみたが、デューイはしれっと答えただけである。
「ドレスを持っていないからですが?」
「……そうじゃないだろう」
「妻も娘も、息子が生まれるまでは、離れた街で、舞踏会に出るようなドレスなど、必要としない生活を送っておりましたから。特に娘は、その街で、エーレ殿下の監察助手を務めてもいたようですし、尚更」
「何?」
手伝ったと言うより、偶然巻き込まれた、と言った方が正確な気はするが、とりあえずキャロルは黙って、デューイに任せる事にした。
「病気療養としておく方が、色々と都合が良かっただけでしてね。娘が成人したあたりから、殿下から内々に打診は頂いてましたが、いかんせん皇族内の力関係が不安定すぎて、保留にさせて頂いていたんですよ」
まるで、エーレの監察助手のために、病気療養と称して社交界から離れていたかのようで、その頃からエーレがキャロルを気に入り、デューイに対して婚約の打診をしていたかのように聞こえる。
エーレとキャロルは、実際には約5年、手紙のやりとりしかしていなかったし、デューイとキャロルにいたっては、初対面が15歳直前だ。
全てが個々に生じた事象の筈なのに、どうしてか「それらしい話」に繋がってしまっている。
エイダルも、話の信憑性まで疑うつもりはないにしろ、全く自分の意に添うつもりのないデューイと、話を続ける事の不毛さに気が付いたのか、当の娘に肝心な要件を聞こうと、思い直したようだった。
『……娘、私の部屋にあった書類を読んだのか』
突然、異なる言語で話しかけられて、ピクリとキャロルの表情が動いた。
――マルメラーデ語だ。
デューイの表情を窺えば、無言で頷かれたため、同じマルメラーデ語を返す。
『公爵邸を出る時には、内容は忘れますので、ご安心下さい』
言葉に不自由がない事と、書類が読めるだけの知識がある事を、さりげなく示されたエイダルの眉間に、僅かに皺が寄る。
『……ルフトヴェーク語以外で一番得意な言語は何だ』
次はディレクトア語だった。キャロルにとっては、ルフトヴェーク語の方が母国語ではない感覚なのだが、そこはエイダルも知らないのだろう。
カーヴィアル語です、とディレクトア語で静かに返したものの、ただ……と一言、今度はキャロルの方から、カーヴィアル語に変えて、付け加える。
『父も母もカーヴィアル語なら多少は解しますので、聞かれたくない話があるのでしたら、カーヴィアル語以外をお勧めします』
『奥方もだと?』
キャロルは、敢えて多くを語らず、肯定の意を込めて、にこやかに笑った。
エイダルがカレルの方を見れば、カレルも『カーヴィアル語でしたら……』と、控えめながら頷いている。
『聞かれたくない話、か……』
キャロルの笑顔がデューイを思わせるかのようで、エイダルが不機嫌そうに顔を顰めた。
そして短い思案の後、ディレクトア語で話す事に決めたようで、徐に口を開いた。
『この屋敷が襲撃を受けるかも知れないと思っているのか』
そして、キャロルの予想通りの言葉を吐いたため、キャロルも気圧される事なく、言葉を返した。
『誘導されましたよね、むしろ?』
『己の身が、囮として危険に晒されていると言うのに、随分落ち着いているな』
『相手に対して特別思い入れがなければ、私が公爵の立場でも、そうしますからね』
淡々と肩をすくめるキャロルに、エイダルが微かに目を瞠る。
デューイは、言葉の全ては分からなかったが、エイダルがキャロルを扱いかねている事は察したらしい。面白そうに、口の端を緩めていた。
『では、止めないと?』
『式典の最中に引っかき回されるより、余程マシです』
『エーレも、それで良いと?』
『そもそも言う訳ないじゃないですか。公爵だって、今回の件、口を噤んでいらっしゃいますよね? 自分で何とか出来そうな事に、わざわざ「助けて」なんて、言いません』
「――――」
「良いぞ、もっと言ってやれ」
「お父様……」
どうやら、娘が公爵に反論している、と言う事実はデューイにも読み取れるらしい。
「生憎、ウチの娘は、どこかの側室殿の様に、与えられた富をただ享受して、身の丈に合わない権力を欲するようには、出来ていない」
こちらは、ルフトヴェーク語のままだが、デューイは、キャロルの上着の襟首を、徐にグイッと引っ張ると、肩甲骨のあたりに垣間見えた包帯を、エイダルに見せつけた。
「公国のために、怪我を負った殿下を匿って、殿下のために、楯になれる。――いったい、誰の娘だと?」
直接的には、父親を死なせないために、娘が負った怪我ではあるが、デューイが死ねば、次の矛先が次期皇帝に向く事が分かりきっていたからこその、娘の無謀だと、口にしないまでも、デューイは理解していた。
公式な書状としての「婚姻申込」に面食らってはいるが、キャロルが根底に抱える思いは、決してブレてはいないのだ。
旦那様、やりすぎです。と、肩を出している娘を、エイダルの視線から庇うように、カレルが小声で窘めている。
いくら柔肌部分じゃないと言っても、そうそう他人に見せる怪我ではない筈だと、当人よりも母の目線で憤慨している。
すまない、今だけだ……と、デューイも答えてはいるが、口調ほど、すまなそうではない。
そもそも、エイダルとデューイとの間は、色々と拗れているのだ。
「……招かれざる客を、追い返せてから、言うんだな」
エイダルの眉間にも、皺が寄ったままだ。
レアール家の令嬢が、普通じゃないと言うのは、理解しつつあるようだが、まだ、認めるところまではいっていないらしい。
何が「招かれざる」だ、と、デューイが呟いているのは正しいと、キャロルも思う。
頑固な小舅を前にしている錯覚に陥りそうだった。




