9 その手紙が示すこと
キャロルが今朝、寮ではなく宮廷内で手紙を受け取っていた事で、複数の目撃者を、既に内部に生んでいる。
これに関しては、黙っておけるものでもないと、キャロルは早々に諦めた。
「私は……今朝ルフトヴェークから、二通の手紙を受け取りました……」
「君は以前だけではなく、今もそれなりの情報を持っているのか……? いや、とりあえず続けて」
「あくまでプライベートなやりとりをしているだけですので、手紙そのものの提出は拒否させて下さいますか……? ほとんどが、知り合いの近況報告と言った、本当に、取るに足らない内容ですし……今朝受け取った手紙の内容も、母が弟と近々、帝国に戻って来ると言った内容で……」
言いながらも、キャロルの表情はみるみる曇っていく。
今朝読んだ時点では何も思わなかったが、そこに執事長の護衛まで付いて、帝国を目指して来る以上、それは所謂〝疎開〟――避難なのでは?と、気付いたのだ。
「君は、確かクーディア出身……いや、父親がルフトヴェークにいると言っていた、か? 確かに母親が、小さい弟を久しぶりに君に会わせようと連れてくるなら……それはプライベートだが……」
「少なくとも母と弟は……その通りだと信じて……来る筈です」
――なら、父は?
20代後半の内に侯爵家当主とななった程の彼が、果たして事前に何も察知出来なかったのか?
「父の事は……分かりません。母が何か、伝言でも預かってくれていれば、話は別ですが……」
意図的に、父親がレアール侯爵領の主であると言う事実までは明かさなかったキャロルだが、本当に父親の動向は読めない為、アデリシアもフォーサイスも、キャロルのその言葉に、不自然さを見出す事はなかった。
「なるほど。ではもう1通の手紙は、父親からの伝言ではないと言う事だね」
「……っ」
しまった、そういう事にしておけば良かった――と思っても、後の祭りである。腹黒皇太子は、そのあたり、全く容赦がない。
「とりあえず、もしも君の母か弟か、どちらかが何か伝言を預かっていたなら、範囲は君の判断で良いから、私にも教えて貰えるかな」
そう言って、再びキャロルを扉に追い込むように身を屈ませながら、アデリシアはキャロルの耳元で囁いた。
「それで、もう1通は?」
傍目には深夜の睦言でも、声色と表情は立派な脅迫だ。
キャロルの顔色は、赤いどころか蒼くなっている。
フォーサイスも、口を挟む余地も勇気もなく、無言でその続きを見守っていた。
「……殿下、近いです」
「分かっているよ。君が嫌がるだろうな、と思ってやっているから。話したくないならそれでも良いけど、そうしたら、このままキスして押し倒して、フォーサイス将軍にこの溢れんばかりの愛を証言して貰って、あっと言う間に君を未来の皇妃にするよ?」
「な……んで、そうなります⁉」
「――それが一番、合法的に君を当事者の立場から退かせられるからね」
アデリシアの声から、一切の甘さが抜けた。
キャロルもフォーサイスも、目を見開いて、その変貌ぶりを見つめている。
「両親が現在ルフトヴェーク在住だとしても、君自身は、カーヴィアルの近衛隊隊長――公人だ、キャロル。君が為す事は、国の意向だと判断される。君が私の知らない情報を持って、『一個人』を主張して動くなどと、そんな都合の良い話は通用しない」
「殿下……」
「もしも第二皇子が叛乱の余勢を買って周辺国を攻めたり――あるいは実際はどうであれ、第一皇子が命からがらこの帝国に来て、それを匿ったと言う事を口実に、この帝国に直接宣戦布告をされたりしたらどうなる?もちろん、そうならないための話し合いが明日行われるべきで、そこは君と言う存在を、外交札として都合よく使いあう為の場であってはならない」
「外交札……ですか?」
「彼女は良く分かっていますよ、将軍。明日の席で、下手をすると、自分をルフトヴェークの第二皇子に差し出せとか、そう要求されないように、殺してしまえとか言った話が出てくるだろう事はね」
冷ややかなアデリシアの言葉に、フォーサイスは返す言葉もない。
もともとが、彼は実直さを絵に書いたような職業軍人であり、外交や王室内の権謀術数を片手に扱うには、向かない人物である。
「私は……ただ、近衛隊長殿におかれてはルフトヴェーク公国内に、それも中枢に近い方の中に、どなたか知己がおられるのでは? と伺いたかっただけで、そんな事は決して……」
「ええ、将軍の為人は良く分かっています。私と彼女が、ほんの少し将軍より、人が悪いだけですから。お気になさらず」
一緒にするな、と言いたいキャロルも、フォーサイスより人が悪い自覚は確かにあるので、抗議しかけた口は、閉じざるを得ない。
「彼女に、私の妻――まぁ、時間がないので、ここは婚約者で妥協するとして、そう言った肩書が付いたなら、彼女を事態沈静化の為の生贄にすると言う選択肢は消える。もう少し、建設的な議論が出来ると言う訳です。誰かを人身御供にするとか、そんな無能者の言い訳みたいな手段は議論の対象にもしたくないので、今のままなら、私はこの方法を採る。将軍にも、既成事実があったと証言いただく。結果、侍従武官が彼女の名を持ち出した事も、彼女が持つ手紙の内容も、誰も取りあげなくなるでしょうから、それが次善になりますね」
「……何故、誰も取りあげなくなるのですか?」
簡単な事ですよ、と、フォーサイスを振り返らないまま、アデリシアは言った。
「後宮と言う所は、誰も政治の話には、耳を貸さない。皇帝の妻が求められる役割は、それじゃないとの思想がこびりついているから。次代の皇帝の妻が、そんな事に関わりがある筈がない。その武官の聞き違いだ――で、話は終わりです。ただ、本人がシラを切るよりも、よほど確実に、相手の言いがかりの芽を潰せる」
「そんな……っ」
フォーサイスは純粋に驚いていたが、近衛として後宮を知るキャロルには、理解出来たのだろう。
「……っ」
反論の術がなく、唇を噛みしめたのみである。
実際は、キャロルの意思や人権を無視している点では、生贄も後宮も大差はない――ややあって、そう言葉を続けかけたキャロルの唇に、そっとアデリシアの人差し指が乗せられた。
「私は『次善』だと言っただろう?君の話次第では『最善』が練れるかも知れないよ」
「…………」
驚いたキャロルが、言葉を止めたのを確かめるように、指を離す。
「キャロル。私は君に後宮入りを強いている訳じゃない。ただ人事を尽くして、それでもなお、本当にどうしようもなくなった時、その選択肢として君に伝えているだけだ。無闇に死地に赴くな。無謀な策は立てるな。最後、家族を泣かせるくらいなら――後宮で真綿に包まれろ。私とマルメラーデの姫君との縁談は、まだ決まった訳じゃない。少なくともこの騒動が決着するまでは、話は受けない。君の余地は残しておいてあげるよ」
「殿下……」
「何より君は、私の近衛隊長だろうに。私以外にも護りたいものがあるとは――強欲だね。まあ、そんな君だから、私も士官学校から引っ張り上げたんだけれど」
敬意を持って仕える事と、盲目的に追従する事とは違う。
盲目的ではないからこそ、アデリシアは近衛として、キャロルを選んだ。
そのキャロルに、自分を優先しろと説くのは――アデリシア自身も、強欲だからに他ならない。
「どうする、キャロル? 2通目の手紙の内容、話すかい? 私も、必ずしも最善の策を出せるとは断言出来ないから、最初から期待しないで、このまま私の婚約者の肩書を持つ方を選ぶなら、それでも構わないよ。ただし、どちらも選ばないのはナシだ。そんな猶予は、もうない」
「……っ」
機先を制せられた格好のキャロルは、再び騎士服の胸元を、ギュッと握りしめたが、どちらも選ばないと言えないのなら、取れる選択肢は一つしかない。
「知っている事は……話します。どこまで役に立つのかは分かりませんが……」
「そう」
残念、とアデリシアがキャロルの耳元で続けた小声の方は、フォーサイスには届かなかった。
苦虫を噛み潰したように、アデリシアから顔を逸らしたキャロルを、怪訝げに見つめるだけだったが、そのキャロルがふと、フォーサイスの方を向いた。
「私に、ルフトヴェーク公国内での知己がいるのか……と言うお話でしたね、将軍」
「あ、ああ」
「父もルフトヴェーク在住ですが、そう言う意味ではないと言う事ですよね」
「その通りだ、近衛隊長殿。侍従武官の言葉は、どう聞いても、貴女が第一皇子周辺と近しいとしか聞き取れなかった」
フォーサイスの言葉に、キャロルは大きな息をついて、天井を見上げた。
「近しいのかどうかは……正直、私には分かりません」
「キャロル」
さすがに咎めかけたアデリシアに、キャロルは天井を向いたまま、目を閉じた。
「この期に及んで誤魔化しはしていないです、殿下。公国の首席監察官と言う立場が、どう言う立場なのかを、私がただ、把握していないだけなんです……」