魔王を倒したその後で
大陸に現れた異形の魔物は、自らを魔王と名乗って人間を支配しようとした。
魔物に滅ぼされた村から旅立って、誰からも期待されていなかったにも関わらず、一年後には魔王を倒したカイを、大陸を治める王国は勇者としてもてはやした。
私は魔法使いとして、カイに同行していた。
魔王の脅威から解放されて、王国中がお祭り騒ぎ。王宮でもパーティがもう何日も続いていた。
カイは長身で、黒い髪がさらさらで、青い瞳は力強く輝いていて、魔王を前にした時すら、怯えるわけでもなく、いつもどおりに自信満々だった。そんなカイだから、用意された立派な服を着て、王女様とダンスをする姿だって、ダンスの経験なんてほとんどないはずなのに、なぜかさまになっている。
「美男美女で、似合ってるわ~」
隣で、リーフェが私に聞こえるようにわざとらしく言った。王国の隣にある聖都から派遣された聖女であるリーフェは、この旅が終わったら聖都に戻ると言った。
「ぼやぼやしてると、取られちゃうわよ~」
聖女というとお堅いイメージがあったのだが、今年十八歳になった私とカイより、三歳もお姉さんであるリーフェは、なんだかゆるっとしているというか、ダラっとしているというか、いつも緊張感がない。見た目は金髪碧眼の美女だし、聖女としての力はすごいんだけど、それ以外は色々欠如してるから、話してみるとあれ? って感じになる。
多分この三人の中で、一番私がまともなんじゃないかなと思う。魔王を前にピリピリしてたのも、なんだかんだで私だけだったような気がする。
「取られるって、何を」
「分かってるくせに~」
「全然分かんない」
「ユリアナってば、強情なんだから~。せっかく可愛くしてるんだから、踊ってくればいいのに~」
リーフェはそんな風に言ってくれるけど、王女様やリーフェに比べれば、茶色い髪と茶色い瞳をした私は、はっきり言ってすごく地味だ。思いっきり庶民な印象だ。せめて女らしくあるようにと、髪は真っすぐ長く保っているけれど。
見ていると、カイと王女様のところに、王様が近づいていった。
「勇者カイ、楽しんでいるか?」
「ええ、そうですね」
「王女も、そなたのことをとても気に入ったようだ。どうだ、しばらくはこの国に留まって、王女と一緒に過ごしてみては」
「……そうですね、少し考えさせてください」
いつも飄飄としているカイは、にっこりとほほえんでいた。その隣で王女様は頬を赤らめている。私は壁際で、それをぼんやりと見ることしかできなかった。
王様のお願いを断る人間なんていないだろう。しかも相手は王女様で、絶世の美女だ。
私は反射的に、リーフェを見て言っていた。
「私、行くね」
「え?」
「報奨金も十分貰ったし、そろそろ次の旅に出る。一つのところにじっとしているの嫌いなの。リーフェのところには、時々遊びに行くから。じゃあね」
「ちょ、ちょっと、ユリアナ~!?」
リーフェの声を振り切って、私は王宮から逃げ出していた。
◇ ◇ ◇
で、今いるのが、かつての魔王の城である。
大陸の北端にある城には、魔王がいなくなった後も人が近寄らなくて、篭るには便利だった。カイと同じで、私の故郷も焼け野原になっていて、もう戻る場所はない。夏になって気温が高くなってきたけどここは涼しいし、今後について、このだだっ広い場所で、しばらく一人で考えるのは悪くない。
お金は十分にあったし、いっそこの城を改装して好きに住んでやろうかとすら思っていた。
そう思いながらも、かつて魔王が鎮座していた玉座にゆったり腰を下ろしていたら、なんだか虚しくなった。
「頑張って魔王を倒したのに、こんな気持ちになるなんて」
私は、高い高い天井を見上げてつぶやいていた。誰にも聞いて貰えない、寂しい声だ。
「危険な目にもあわず、お城で待っていただけの王女様の方がお得よね」
悪態をついてみる。そうはいっても、王女様には罪はない。そんなことは分かっていた。私が王女様じゃないんだから、どうしようもないだけ。地位もない。美貌もない。今は困らない程度のお金だって、何もしなければいつか底をつく。
「ないないづくし。私にあるのは魔力だけ」
ぼやいて私は、自分の周りに光球をいくつも浮かび上がらせた。この光球は、思ったところに、いつでも動かせる。全部着弾すれば、この城だって崩れ落ちるかも。事実、かつての戦いで、ここを随分傷だらけにした。
「何もないなら、次は私が魔王になって、世界くらいは手にいれようかな」
そうしたら彼は、私を倒しにやって来てくれるだろうか。
馬鹿馬鹿しいと思いつつ、どこか本当にそう願う気持ちもあって、私は天を仰いだまま自嘲的に笑った。
「何でそんな発想になるの?」
突然耳に届いた声に、バッと姿勢を正してそちらを向く。壊れたままの扉の向こうから、勇者が呆れたような顔をして入ってきているところだった。
私は一瞬理解できなかった。ぽかんと間抜けに口を開けている私の前に、カイはずんずんと近づいてくる。
「……え、何してるの」
目の前で仁王立ちをされて、ようやく私は声を出した。
「何してるのって、ユリアナがいなくなるからでしょ。と思ったら物騒なこと考えてるし。ユリアナが魔王になって、俺がガチで戦うことになったら、ヤバいでしょ。ここら一帯が焼け野原になるよ。とりあえず、これ危ないからどうにかして」
私の周りに浮いていた光球にカイが視線を送ったから、私は慌てる。光の粒を残しながら、光球は次々に姿を消した。
「で、何も言わずにいなくなったのは何で? 結構探したんだけど。もう大陸から出たのかと思って、港町にも行って探したし」
私が飛び出して、ちょうど一週間くらいだ。その間ずっと、探してくれていたんだろうか。
「何で?」
少し怒ったような顔で見下ろされて、私は言葉に詰まった。
「……だって」
「だって、何?」
「……だって、王女様と結婚するんでしょ?」
「は?」
カイは訳が分からないという顔をして、首をかしげた。
「何でそうなるの?」
「王様に言われてたじゃない。王女様と一緒に過ごしてって」
「何でそれが結婚になるの? そもそもあの後断ったけど」
さらりと言われ、私は目を丸くした。
「だ、だって考えさせてくださいって言ってたから、断るわけないって……。一緒にいるって、つまり結婚でしょう?」
「あんな公衆の面前でさ、即答で断ったらさすがに悪いでしょ。王女様の面目丸つぶれじゃん。だから後から別の場所で、ちゃんと丁重にお断りしましたけど?」
「そ、そうな、の……?」
全身の力が、へなへなと抜けた。私は玉座に体を預けたまま、立ちあがることもできない。
「で、ユリアナは早とちりしてたとはいえ、何で急にいなくなったの?」
「それは……」
「何で?」
カイの瞳が真っすぐに私を見ている。この力強い眼差しに、私は弱いのだ。
「……カイが他の人と一緒にいるとこなんて、見たくなかったの」
「それって何で?」
「…………」
駄目だ。もう、観念するしかなかった。
「カイが好きだから」
震える声で白状して、私はすぐにうつむいた。
そうするとカイが、頭をなでなでしてきた。
「はい、良くできました」
子供扱いされている。腹は立ったが、顔を上げることができない。顔が熱すぎて、とても見せられる状態じゃない。
「魔王になろうとか、面白いけど、やめてね。他の人に迷惑でしょ」
「……はい」
「ま、ユリアナが魔王にならないように、隣で見守るとしますか。俺、勇者だから」
びっくりして思わず顔を上げると、カイが私の前で片膝をつくところだった。カイはそのまま私の右手を、優しくその手にとった。
「今更一緒じゃないなんて、俺も考えられないからさ。とりあえず面白いこと探して、旅続けよ。ユリアナ、結婚を前提に、俺とお付き合いしてください」
頭の中が真っ白になった。カイが私の目の前で跪いて……。今、何て言った?
「……ほ、本気なの?」
「冗談に聞こえた?」
熱っぽいカイの瞳に、私はふるふると首を横に振った。信じられないけど、冗談だったら嫌だ。夢じゃないって、信じたい。
顔だけじゃなくて、体中がかっと熱を持って、私は震えた。小さな声で、もう一度。ずっと秘めていた想いを口にした。
「……カイが好きなの。ずっと」
「うん、ありがと。俺も好きだよ。ユリアナは最強の魔法使いで、常識人かと思えば、突然謎の行動もするし、退屈しない。本当はさ、もっと前に言いたかったけど、魔王を倒すまでは我慢してた」
カイは跪いたまま、私の方に少し近づく。その両手で私の腕をとって、自分に引き寄せようとした。
「カ――」
「私のこと、忘れてるでしょ~」
突然聞こえてきた艶やかな声に、二人でびくっと肩を震わせた。顔を上げれば、扉の向こうでリーフェがわざとらしく咳払いをしていた。
「……ごめん、まじで忘れてた」
「ひどいわよね~」
「リーフェも来てくれてたんだ……」
「そりゃ大切な仲間ですもの~」
「ということで、また旅に出るわ。リーフェ元気でな」
「カイ、私の扱いがひどい~」
「だって聖都から戻って来いってしきりに催促されてるじゃん、大聖女様」
「面白そうだから、そっちに行きたいな~」
「しばらく二人きりでいたいから、遠慮してくれよ」
リーフェはぷうっと頬を膨らませていたが、もちろんすぐに機嫌を直してくれた。
「ま、いいわ~。聖都でのお仕事に飽きたら合流するから~。それまではカイに時間をあげる~。ユリアナ、カイに飽きたら私といちゃいちゃしようね~」
ひらひらと手を振りながら、リーフェは魅惑的な笑顔を残して去ってしまった。
「じゃ、気を取り直して」
と、カイがもう一度私の腕をひく。まだリーフェに気を取られていた私は、簡単に引き寄せられてしまった。
「……!!」
気づいた時には、唇と唇が触れあっていた。私はぎゅっと目を閉じる。
玉座から滑り落ちてしまって、そのままカイの腕の中。一瞬前までは、私が上になるような格好だったのに、いつの間にかカイが包み込むように、私に深く口づけしていた。
カイの匂いがして、くらくらした。急な展開に、思考がついていかない。呼吸のためにカイの唇が少し離れた隙に、私はうつむいてカイの胸に逃げ込んでいた。
「何でやめるの、顔上げて」
「……や」
「ここじゃ、嫌?」
「…………」
「ま、ここで俺たちがいちゃついてたら、魔王も浮かばれないか」
と、言うやいなや、カイは私を横抱きにして、立ちあがる。
それから私が心を奪われた、あの自信たっぷりな、輝くような笑顔をくれた。
「じゃ、行きますか。俺のお姫様!」
(THE END)