ドーナッツ
毎日を惰性で生きている
いつも同じように、だらだらと日々を過ごしている
なんの変化も驚きもない、静かで平和でつまらない毎日だ
何かをしたい、とは思うけれどそこまでやる気がでない
そうして、今日もまた同じように過ぎていく、と思った
だけど今日は一つだけ違うことをしてみた
なんとなく気が向いて、いつも使う道から一本外れた裏道を行ったんだ
どこに続くかわからない道を進んでいると、どういう訳か世界さえ違うような場所に着いた
きらきら輝く世界
まるでゲームの中のような、森の中
少しだけ止まっていた心が動いたような気がした
後ろを振り返ると、到底普通じゃなさそうな湖のようなもの
あっちから来たのに道はなく、ただ水があるだけ
前を向き直すとトンネルのように木が生い茂っている
明るいのに、どこか暗くて先は見えない。飲み込まれそうだ
__ここは不思議な場所だ
何もやる気がでないのに、どういう訳かこの先に進んで、何かを見つけたいという思いが沸いてくる
“もしかしたら、何かが変わるのかもしれない”
そう思い、暗い前に進む
近くまで行くとずっと遠い先に光が見えた気がする
もう一度、と目を凝らしても見えなかったけれどそれがどうしてかわくわくした
どんなところに行くんだろう
何が変わるんだろう
ごくり、と息をのむ
そのまま、進もうとすると__
「やれやれ、また人間なのだ
今回はどこが繋がったのやら
そこの入ろうとしているお兄さん、そこは人間が入っていい場所ではないんだぞい」
振り返ると、白すぎるウサギがいた
ウサギが喋ってる
普通では、ありえない
「お兄さんは山から来たのかい?」
「…山?
いや、一本違う道を進んでたらここに着いたんだ」
「うんうん、今回のお兄さんはずいぶんと落ち着いてるのだ
それにしても、違う道、ということは町の中ということかい?」
「え、ああ
○○市だけど…
ここは一体どこなんだ?
それにあんたは?」
「おっと、これは紹介が遅れてしまったのだ
ここはあの世でもこの世でも無い狭間の裏側…云わば彼岸のようなものだ
そして今お兄さんが進もうとしたその先、そこは次に何に生まれるか決まる場所
ただし、動物やその他のもの達のための場所だから、人間は入ってはいけない
そして時々来る人間を、迷い込ませないようにするために、森番としてここにいるのだぞい」
「…もし、人間が入るとどうなるんだ?」
「<>になる
人間で言うと、ただただ放浪するだけの、実体を持った存在
意思だけが残ってしまう存在
そんなモノになってしまうのだ」
「なるほど、な」
ウサギの言ってることは、すんなりと受け入れることができた
ここはそういう場所なんだって分かった
「なあ、ここにいる分にはなんの問題もないのか?」
きょとん、とウサギの表情なんてわからないけど、そう伝わってきた
「…?
お兄さん、帰りたくないのだ?
人間はみんな帰りたがるものだと思ってたのだけど」
「なんにも心が動かないんだ
でも、ここにいるとわくわくするんだ
それで?」
「むぅ…そんな人間もいるのだ…
お兄さん、ここにいる分にはなにも問題はないよ
けど時間が過ぎれば、普通に餓死だったりしてしまうのだ」
餓死
そこは普通にそうなってしまうんだ
確かに周りには水はあるけど飲んでいいものか分からないうえに、木の実とかは全く見当たらないしそうなるか
「あー…やっぱりそうかあ
異世界的な感じなら、ワンチャン大丈夫かと思ったんだけど」
「わんちゃん?
犬が好きなのだ?」
「犬?ああ、違う
ワンチャンってのは、ワン・チャンス
もしかしたらできるかもしれない、ってことだ」
「ふむふむ…
わんちゃん。ワンチャン
うむ、覚えたのだ」
なんだかこのウサギが少しかわいく見えてきた
こんな思いも久しぶりだ
あ、そうだ
近くの切り株に座って、ごそごそと肩に提げていた鞄を漁る
うん、潰れてない
二つあるうちの片方をウサギの近くに置いた
「むむ、これは何なのだ?
いいにおいがするのだ…」
ふんふんと、ウサギは匂いをかいだ
「それドーナッツっていうだ
貰いものだけどさ、二つあるから一緒に食おうぜ」
「どーなっつ…
__実は食べるなんて初めてなのだ」
「そうか
ならきっと旨いはずだ
食べてみろよ」
恐る恐るウサギは齧った
そして、目を開いて、ドーナッツにあぐあぐとかぶりついた
「おいしいのだ!!
ふわふわで甘くてふかふか…
これが、おいしいということなのだ」
きらきらとした目でこっちを見るウサギ
口元にはドーナッツのカスが付いている
フ、と自然と笑いがこぼれた
驚いて口を抑える
「…俺って笑えたのか」
「どうしたのだお兄さん
お兄さんもドーナッツ食べるといいぞい
こんなにおいしいものは他にない!」
「…ははっ
そうだな」
また笑って、それからウサギを見習ってドーナッツにかぶりついた
「__旨いな」
「おいしいのだ!」
笑うことが、食べることが、こんなにも楽しいだなんて
ずっとずっと思えなかったのに、本当にここは不思議だ
ずっとこの時間が続けばいい
そう思うのに、ドーナッツはそれほど大きいものじゃなく、ほどなく食べ終わってしまった
「お兄さん、ごちそう様なのだ!
ドーナッツすごくおいしかったのだ!」
「…ああ、俺もだ」
ここで餓死するのもいいかな、と思ったけど、ここにはこのウサギがいる
もし死ぬとしても帰ってそれからじゃないといけない
だから聞かないと
「なあ」
「おいしいもので気分がいいし、それに大事な食料をお兄さんはくれたのだ
元の世界に戻る代償として十分な物
いつでも帰れるぞい」
口を開こうとしたとき、ウサギが被せるようにそう言った
…こっちの気持ちがわかるのかな
それくらいのタイミングだった
「なあ、ウサギ
ここに来たのは間違いでだったのかもしれない、でも、俺はここに来れてよかった」
ありがとな、と言って立ち上がる
「さあ、戻り方を教えてくれ
どうすればいい」
「簡単だよ
目を瞑るのだ」
目を瞑る
きらきらとした世界も、ウサギも見えなくなる
でも、気持ちは消えてない
あったかいままで、動いている
そうしていると、頭に声が響いてきた
『迷い込んだ者よ』
『貰ったものは代償として足りる』
『だから現世に戻そう』
『けれど』
『ここでの記憶は戻らない』
『生まれたものも手に入らない』
『それでもよければ目を開けて』
『そうすれば____』
え、つまりどういうことだ?
ウサギに聞こうと目を開けてしまった
気づけば、裏道の隅に座り込んでいた
なんでこんなとこに座ってるんだ
汚いし、めんどくさい
早く家に帰ろう
……
そう思うのに、体に力が入らない
まるで、ごっそりと何かが無くなったような
ぽっかりと穴が開いたような
空虚感がある
それでもやっぱり心は動かない
そんな気持ちでも、涙が出ることはなかった