其の漆 猫また
小太郎の危機に駆けつけたのは……
現れたのは、白く裾の短い小袖をまとった、妖。
猫のように背を丸めてしゃがむ、少女の姿であった。
少女はバネのように全身をしならせて、小太郎の眼前を跳んだ。
「にゃっ!」
少女が腕を振った瞬間、小太郎の首を締め付ける影は断ち切られ、闇に消える。
どさりと崩れ、肩を上下させ、懸命に空気を肺腑へと送る小太郎の目の前に、白い小袖の少女が立つ。
「か、たじけな……い」
少女は小太郎に微笑みをひとつ残して、鬼火の群がる影法師へと高く跳躍した。
「新手か!」
早乙女が十手を握り、その少女へと走る。
その時、少女の着物の裾から、二股の尻尾が見えた。
その尻尾を誰のものか理解した小太郎は、胸いっぱいに吸い込んだ空気で、ありったけの声をあげた。
「その子、敵じゃない!」
小太郎の叫びで早乙女が止まる。いや、正しくは、ただ一人を除いたその場の全員が固まった。
肺腑の空気を全て吐き出した小太郎は、咳き込んでうずくまる。
と同時に、鬼火の中の影法師が弾け飛んだ。
ついで、もう一体の影法師が湿った河川敷に縫いつけられていた。
地に伏した影法師に馬乗りになる、白い着物の少女。
少女は両手を高く掲げ、影法師に振り下ろす。
「にゃにゃにゃにゃにゃ、にゃ!」
少女が飛び退いた数瞬後、影法師の黒い身体がびくんと跳ねて、地に吸い込まれた。
息を荒げてそれを見届けた白い少女は、今度は小太郎に向かって跳躍する。
「にゃ!」
その速度には誰も反応出来ず。
白い少女は、あっさりと小太郎の懐に収まった。
「コタ、コタ、大丈夫?!」
「う、うん」
本来ならば、白い少女にお礼の一言も言うべきなのだが、女性に対する免疫がない小太郎は、生返事しか返せない。
それを知ってか知らずか、少女はその白髪を小太郎の胸にぐりぐりと押し付ける。
まるで撫でろと催促するように。
その時、ふわりと麝香の香りが舞った。
小太郎は、この香りに覚えがある。
「キミは……センリ?」
「……当たり前」
「だって、今までは猫のキミとしか、会っていなかったから」
「……はじめまして」
自分の胸に顔を埋めながら呟く少女の様子に、小太郎は思わず噴き出す。
「コタ、なんで笑う」
「だって。はじめまして、じゃないだろう」
小太郎の無意識の手が、少女──センリの頭を撫でる。
センリは目を細めて、小太郎にしがみつく。
「コタ、危なかった。なぜもっと早く呼ばない」
「センリがこんなに強いなんて知らなかったし、第一、センリが何処にいるかなんてわからないだろ?」
「……正論。でも許さない」
寄り添う呟き合う二人を、鬼火が照らし出した。
「おーい、小太郎くん。睦言は床に入ってからにしてもらえるかな」
河川敷の砂利を鳴らして歩いてくるのは、早乙女だ。影法師を引きずる鬼童丸もその傍らにいる。
「あらまあ、小太郎様ったら」
扇子を帯に戻した鈴彦姫も、意味ありげな笑顔を小太郎たちに向ける。
「コタ。その女、だれ」
「お鈴さんは早乙女殿の目明しで、って、痛い痛い!」
「やっとゲン爺に許して貰ってヒトの姿になって来たのに、コタの浮気者」
小太郎の胸には、尖った猫又の爪が立てられていた。
「……決めた」
「え?」
ひとり納得して頷くセンリに小太郎が問う。
「ずっとコタの側に居る。今決めた」
「どうして?」
「コタ、守る。妖からも、他の女からも」
ふんすと拳を握る猫又に、扇子で口元を隠した鈴彦姫の目が細く笑む。
「あらまあ、可愛い目明しさんが出来ましたわね、小太郎様」
「目明しじゃない、奥さん」
「え、えええ!?」
「さあ小太郎、祝言を」
「ちょ、ちょっと待って」
抱きつく猫又にドギマギしながら、小太郎は目で鈴彦姫に助けを求める。
猫又の肩に優しく手を置いた鈴彦姫は、その猫耳に口を寄せる。
「でも、小太郎様はこれから裏町奉行所の同心になられるお方。所帯を持つのはいささか早いかと」
「ちょっと、まだ同心になると決めた訳では──」
「む。ならどうすればいい?」
鈴彦姫はにやりと笑って扇子をポンと打つ。
早乙女は、スヤスヤと寝息を立てる柊を胸に抱き、片目を閉じて笑っている。
「簡単です。お前様が小太郎様の目明しになれば良いのです」
「それになれば、ずっとコタと一緒に居られるの?」
「ええ、もちろんですわ。上手くやれば一緒の布団で……」
「ちょっとお鈴さん!?」
「コタ」
「な、何かな……」
「ワタシ、コタの目明しになる。そして、一緒に寝る」
「はぁああああああ!?」
波乱に塗れた小太郎の裏町奉行所見学は、こうして幕を下ろした。
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この作品は、秋月忍様主催の「和語り企画」参加作品でございます。
そして次回が最終話となります。