其の参 もうひとりの目明し
辻喰いと呼ばれる事件が起きた。
裏町奉行所同心、早乙女は鬼っ子と共に玄葉へ向かう。
なぜか小太郎も流されるままに向かう。
そこに現れたのは、鈴の音を纏う美女であった。
弥勒町は、家康公が治水した安倍川の東岸に位置する。
橋は無いが、川向こうは手越村だ。
小太郎が息を切らせて走り切った時、既に早乙女は現場に着いていて、鬼童丸の柊と仲睦まじく安倍川もちを頬張っていた。
「お、予想より早かったね」
きな粉まみれになった柊の口を指で拭った早乙女は、その指をぺろりと舐める。
ぞくりと背筋が寒くなった小太郎だが、今はそれどころではない。
「下手人は、何処、ですか」
額の汗を拭いながら問う小太郎に、早乙女は笑ってきな粉のついた指を立てる。
「ふふ、下手人がいつまでも現場にいるわけないだろう」
「でも、何か手掛かりがあるかも!」
「そんな事は百も承知さ、小太郎くん」
見学中の事件で興奮状態だった小太郎に、早乙女は笑顔で冷や水を浴びせる。
幾分頭が冷えた小太郎は、それでも何か出来ることは無いかと目を彷徨わせた。
「大丈夫。もう粗方聞き込みは終わったし、今もう一人の拙の目明しちゃんが現場を調べてくれてるから」
もうひとり、と聞いた小太郎は、こんな女子のような鬼っ子が二人も駿府にいるのかと、変な汗をかいてしまう。
が、程なくして現れたのは、涼しげな美女だった。
立てば芍薬というが、そんな言葉が安っぽく思える程に、その女性は妖しい魅力を放っていた。
現に野次馬たちの興味は、事件よりも目の前の美女に移っている。
「鈴彦姫。拙の目明しだよ」
早乙女は目の前の美女を指差して、にやりと笑う。
美女に見とれていた小太郎は、はっと我に返って頭を下げる。
相手は姫なのだ。失礼がかってはならない。
「せ、拙者、清瀬小太郎と申します」
深々と頭を下げる小太郎に、妖艶な美女は口元に手を遣って笑みを浮かべる。
「あらあら、お侍様が軽々しく頭を下げるものではありませんわ」
「いやしかし、姫さまには……」
しどろもどろの小太郎に、早乙女が舟を出す。
「この女子もね、妖なのだよ」
え?
小太郎は目を丸くして固まる。
「女子ですって? 自分の何倍も歳上の女を子供扱いですか。随分と偉くなりましたわね、帯刀様」
ええっ?
小太郎の目に映る鈴彦姫の容姿は、凡そ二十代そこそこである。
茶色がかった髪はしなやかに流れ、その頬は瑞々しい。
着物の上からでも窺い知れるその起伏に富んだ体型は、成人男子ならば垂涎の的であるのも納得できてしまう。
そんな妖艶な美女が、早乙女の何倍も生きているなど、にわかには信じ難い。
「小太郎様」
怒涛の如く押し寄せる情報に、小太郎は再び固まっていた。
「小太郎様?」
「は、はいっ」
小太郎は、慌てて鈴彦姫を見る。やはり、どうみても二十代前半にしか見えない。
「小太郎様、わらわのことは、どうぞお気軽に鈴とでもお呼びくださいまし」
「え、しかし、鈴彦姫さまは先達でございますから」
「良いのです。あくまでわらわは目明し。身分が違うのです」
しゃなりしゃなりと小太郎に近づいた鈴彦姫は、少し首を傾けて優雅に頭を下げる。と、鈴彦姫の髪に飾られた幾つもの鈴が、しゃりんと鳴った。
「はは、お鈴はずいぶんと小太郎を気に入ったようだな」
「当然です。何処かのダメ同心の様に、心が汚れておりませんもの」
「ふふ、相変わらず手厳しいね、お鈴は。で、首尾はどうだね?」
鈴彦姫の嫌味をするりと躱した早乙女が問う。その瞬間、鈴彦姫は妖艶な雰囲気を消して早乙女の足元へ跪いた。
「下手人の目星、つきましたわ」
「さすがはお鈴、ご苦労様。今宵はたっぷりお礼しなきゃいけないね」
「いえ結構です」
「……つれないねぇ」
早乙女が伸ばす手を、鈴彦姫はぴしゃりとはたき落す。
「あの、早乙女さん」
「なんだい小太郎くん」
「同心と目明しの関係は、主従ではないのですか」
同心はお上に給金を頂戴する身分。しかし目明しはそうではない。
基本的に目明しには給金は無く、同心からの小遣いや町人たちの付け届けなどで成り立つ職だ。
なればこそ、早乙女と鬼童丸、鈴彦姫の関係が、小太郎には分からない。何より鈴彦姫に関しては、姫と呼ばれる人物なのである。
「裏町奉行所はね、少々特殊なんだよ。相手にするのはヒトだけではないからね」
そう言い残して一人立ち去った早乙女に、小太郎は何も言葉を継げなかった。
判らない事が多過ぎる。
その感情は、弟子入りしたばかりの職人が思うよりも深かった。
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この作品は、秋月忍様主催の「和語り企画」参加作品でございます。
この「和語り企画」、どの作品も力作揃いですっごく面白いです♪
その力作の中で、拙作も負けじと頑張っておりますw
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