其の弐 昼の二丁町遊郭
早乙女という怪しい優男。
その優男に小太郎が連れて来られた先は……
半刻(約一時間)後、清瀬小太郎は二丁町の中、遊郭に囲まれた茶屋にいた。
二丁町は、正式には安倍町と云う。その名の通り安倍川の東岸に近い場所である。
奥手な小太郎は、こういった遊廓などの岡場所は初めてである。それどころか、女人の手さえ握った経験も無い。
よって、慣れた仕草で煙管を吹かして寛ぐ早乙女を他所に、小太郎は忙しなく視線を彷徨わせるのみである。
時々陰から覗き見る女中と目が合い、 その度に俯いてはいるが。
「小太郎くん、こっちへおいでよ」
たった半刻の間に親しげな呼び方をされていた小太郎は、途端に尻がむず痒くなる。
「まさか、斎藤さんの言葉を間に受けてるのかな」
早乙女の云う斎藤の言葉とは、果たして両刀使いのことだろう。だが小太郎にはその真偽を確かめる度胸は無い。
というか、すでに耳たぶは噛まれている。
押し黙るしか無い小太郎に、茶と安倍川もちを運んできた小太郎よりも若い女子が、ぷっと噴き出した。
「こちら、随分と固くなっていらっしゃるのね」
「これ、小太郎くんは初心なのだよ。笑うものではない」
「あら、失礼しまし……ぷっ」
女中の追い笑いを受けて、またしても小太郎は不機嫌になった。
「小太郎くん、これもお勤めだよ」
「……ただ遊んでいる様にしか見えませんけどね」
早乙女は、煙草盆の縁にコンと煙管を打ちつけて、小太郎を見据える。
「拙たちの仕事は、此処にいること。つまり常にお上の目があるんだぞ、って思わせる事が大事なんだよ、小太郎くん」
早乙女の言い分に、小太郎は納得半分、疑い半分であった。
何より、自分の名前を呼ぶ時に語尾を弾ませないで欲しい。
その願いを今日会ったばかりの早乙女へ言葉で伝えるのは、小太郎には至難の芸だった。
「失礼します。ひぃ様がお越しになられました」
先ほどお茶を運んできた少女が、細く開けた紅い襖の向こうで三つ指をついて声を掛けてきた。
「おお、通しておくれ」
早乙女が言った瞬間、紅い襖はパァンと音を立てて開いた。
「帯刀!」
元気な声と共に走り込んできたのは、小さな女の童だった。
童は早乙女の胸にはしっとしがみついて、胸の辺りにその小さな頭を押し付ける。
早乙女は優しい手つきで童をまさぐり……ん?
そこで小太郎は気づいてしまった。
「まさか早乙女さん……」
早乙女は両刀使い。そしてその胸には、親密な女児。
小太郎の頭には瞬時に幾つもの「まさか」が浮かんだ。
「ああ、そうだよ」
早乙女の返答は、小太郎が抱いた全ての「まさか」への首肯と感じた。
つまり、早乙女は性癖を幾重にも拗らせている。
昼間から岡場所の茶屋に女児を招き入れ、その女児相手に睦言を交わしているのだ。
とんだ変態野郎である。
「この子が拙の目明し、鬼童丸の柊ちゃんだよ」
「は?」
胸に頬擦りする女児の髪を掻き分けると、ぴょこんと小さなツノが見えた。
「ほら、妖の証拠だよ」
「やん、やめてよ帯刀……」
「ふふ、良いではないか、良いではないか」
頬を染めて嫌がる鬼の女児のツノを、早乙女はニヤニヤしながら弄ぶ。
「だめ、だめ……ボクおとこのこなのにぃ……」
は?
え?
小太郎は、その日一番の混乱の中にいた。
息を荒げ、ほっこりと出来上がった鬼っ子の柊は、くたりと早乙女帯刀の胸に赤くなった顔を埋めている。
遊廓では良くある光景なのだろうか。
考えても、まったく経験の無い小太郎には分からない。
ただ目を逸らして、居心地悪そうに茶を啜るしか出来なかった。
「まあ、城下では妖を見る事は無いと思うけど、安倍川に近い町には結構いるんだよ」
小太郎が戸惑っているのは別の理由なのだが、早乙女は語り続ける。
「このところ怪異を見たという情報も多いし、それにほら、あの女中の子」
早乙女の煙管が差す先は、先ほど小太郎へお茶を運んできた女の子。
しかし小太郎には、どう見ても普通の可愛らしい女の子にしか見えない。
「あの子、この茶屋に住み着いている座敷わらしなんだよ」
「え、座敷……?」
小太郎は目を丸くして女の子を観察する。が、何処からどうみても普通の女子にしか見えない。
いや、普通ではない。
普通以上に可愛らしい。
思わず、幼さを残す小太郎の頬が朱に染まる。
「あら、わちきをご所望でしょうか」
「い、いえ、そんな……」
「うふふ、本当に小太郎様は初心ですねぇ」
座敷わらしの女の子は、ころころと無邪気に笑う。
「どうやら小太郎くんは、妖に好かれる質みたいだねぇ」
座敷わらしと一緒になって笑う早乙女の胸元では、鬼童丸の柊がくしくしと目をこすって眠そうにしている。
──なんだこの空間は。
小太郎が思った、その時である。
けたたましく半鐘が鳴り響いた。
「辻喰いだ! 辻喰いが出た!」
何事かと戸惑う小太郎を尻目に、鬼童丸を抱えた早乙女帯刀は立ち上がる。
「さあ小太郎くん、お仕事の時間だよ」
優しげに微笑む早乙女は、小太郎を促して茶屋を飛び出した。慌てて草履を履いて早乙女の後を追う。
「速い、なんて俊足だ……」
鬼童丸を抱えた早乙女は、遥か小太郎の前方にいた。全速力で早乙女に合流した小太郎は、ゼェゼェと息を鳴らしてしゃがみ込む。
「お、やっと来たね。現場は弥勒だってさ、走るよ!」
走るよ?
では今までの足運びは何だったのか。
小太郎はその瞬間、早乙女の背中に韋駄天を見た。
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