とある仲の良い夫婦
むかしむかし、まだお侍さんが世の中を治めていた時代。山奥にとある仲の良い夫婦が暮らしていた。夫は凡庸な見た目なのに対して、妻は天女も嫉妬するほどの美しさだった。なぜあのふたりが夫婦になれたのか。周りは首を傾げたが、そんなことは些細なことであると言わんばかりに二人は非常に仲睦まじかった。
夫の狩で生計を立てるほか、時折訪れる旅人を泊めて日銭を稼いでいた。
ある時、一人の見目麗しい青年武士が夫婦の住む小屋にやってきた。曰く、遠くの親戚のもとを訪ねる途中だとのこと。夫婦は喜んで彼を泊めることにした、夫は夕飯の食材の確保のため狩りに、妻は小屋で諸々の雑事をすることとなった。
さてこの青年、若さ故か、ひと目見たときから妻の美しさにやられていた。夫が出ていったあと、青年は妻を情熱的に口説いた。これまでの女達は青年の高貴な見た目と甘い言葉にイチコロであった。しかし、妻は優しい口調ながらきっぱりと青年を拒絶した。
「わたくしは夫だけを愛しております」
「俺ならあの男よりもあなたを幸せにできる。望むならなんでもあたえよう」
「わたくしはただ、夫だけ側にいてくださればよいのです」
取り付く島もない。しかし青年は諦めない。普段であれば程々で切り上げるのだが、これも妻の狂気じみた美しさ故か。
青年は弓を手に、夫を手伝ってくる、と小屋をあとにした。しばらく山を歩き回っていると、崖際に夫がいた。崖下にいる鹿を狙っているらしい。妻が口説かれていたことも知らず真剣な面持ち。
「如何かな、狩りの具合は」小声で青年が問いかける。
「や、旦那、小屋でゆっくりしてくださればよいのに。今晩は鹿鍋です。妻は料理上手でね、期待していてくだせぇ」
間近でみても特徴のない顔立ちだ。言葉遣いも洗練された処がまるでない。
なぜこんな男が。青年の心の邪念がむらむらと高まる。
気づくと夫は崖の下でだらしなく両手両足を投げ出していた。青年が突き落としたのだ。念の為、青年は夫の側による。間違いなく死んでいる。
その晩、小屋で青年は妻を襲い我がものとした。青年にとっては素晴らしい夜だったと言えるだろう。
翌朝、朝餉の良い匂いで青年は目を覚ました。台所には妻が立っている。自分を襲った男のために飯をつくるとは。女のしたたかさに青年は舌をまいた。
「いい匂いだ。今日の朝飯はなんだい」
「味噌汁と山菜のお漬物ですよ」妻が聖女の笑みを青年に向ける。「昨日は狩が上手く行かなかったから、お肉はなしです」
頬を膨らませ可愛らしく妻が言う。
「そう言うなよ、見てな、今日こそは腹がちぎれるほど獲物を取ってきてやるさ」
夫は妻に微笑む。洗練された処はまるでないが、妻に対する慈しみに溢れている。
山奥にとある仲の良い夫婦が住んでいる。夫は凡庸な見た目だが、妻は天女も嫉妬するほどの妖しい美しさであるという。