夏の庭の輝きを
◇
「ウチの秘密のお庭には宝物があるんだよ、見つけてごらんねぇ、紅葉」
「おばーちゃん、それホントぉ?」
「あるわよぉ、ふふ……」
淡い風景の中で、大好きな藤崎のお祖母ちゃんが皺くちゃな笑顔を向ける。縁側に座ったまま、優しく頭をなでてくれる感触が心地いい。
紅葉は、宝物が隠されているという「秘密の庭」を見回した。
宝の地図は無いけれど、とてもワクワクした想い出が蘇る。
夏の日差し、蝉しぐれ、懐かしいお祖母ちゃんの匂い。
色とりどりに咲き乱れる庭の花々に目を奪われる。真っ赤な立葵に、光を捕まえたように輝く向日葵。そして、艶やかな花弁を無数に重ねたバラの花々。赤に白、ピンク色もある。バラは庭中あちらこちらで、色も形も様々な花を競うように咲かせている。
「……きれい」
思わず感激の声をあげる。
遠い記憶の向こう側。
確かにそこは藤崎のお祖母ちゃんの庭だった。
これは――夢?
間違いない。これは紅葉がまだ小学生のころ。多分、夏休みの想い出の中の光景だ。
夢を見ているのだろう。すごく心地が良い。まだ覚めたくない。まどろみの中、もう少しだけ無邪気で幸せだった小学生のころに浸っていたい。
紅葉は縁側を離れ、サイズの合わないサンダルをつっかけて芝生をゆく。
極彩色の花々に彩られた庭で立ち止まると、むせ返るような芳香に包まれた。甘く濃厚で、それでいて爽やかな深みのあるバラの香りが鼻腔をくすぐる。
汗ばんだ身体にまとわりつくスカートの感触、顔をかすめる羽虫の不快さも忘れるほどの、心地よさ。
宝物はどこにあるのかな?
日差しを背中に感じながら身をかがめ、宝探しに興じる紅葉。立木の根本、バラの花が咲き乱れるパーゴラの周りを覗き込みながら探す。
けれど何も見つからない。
お祖母ちゃんの宝物なんて本当にあるのかなぁ?
「……あ」
その時だった。背後で人の気配と、驚いたような小さな声がした。
紅葉がハッと振り返ると、男の子が立っていた。
淡いピンク色の花を咲かせるつるバラが絡まったアーチの向こう側、半ズボンに青いタンクトップ姿、麦わら帽子をかぶった同じ年頃の、男の子。
「だれ?」
「……」
「ど、泥棒?」
男の子は何も答えずに踵を返すと、逃げていってしまった。
知らない子供がお祖母ちゃんの庭に! と叫ぶ間もなく、幻か幽霊だったのかと背筋が冷たくなった。
ザク……!
ザクッ……!
今度は別の音がした。
な、何の音だろう?
夢の中だとわかっていても、紅葉の心臓の鼓動が速まるのを感じていた。
恐る恐る、慎重な足取りで、暑く湿度のある空気をかき分けながらバラのアーチをくぐり、音のする方向へと向かう。
すると、その先に人影が見えた。
今度は二人。それは大人の大きな身体をした男の人と、さっきの男の子だった。
大人は祭りで着る袢纏のような服装に、頭にはねじり鉢巻。地下足袋でスコップを地面に突き立てて、何かを掘り起こしているみたいだった。
横に居たさっきの男の子が、此方に気がつく。
視線が合う。
目の端が鋭い感じの、けれどとても綺麗な顔だちの男の子だった。
「……!」
「あ、あの……っ」
幻や幽霊じゃないことにホッと安堵しつつ、今度は別の疑問が浮かぶ。
まさか、この二人は泥棒で、お祖母ちゃんの家の宝物を探しているんじゃ?
ザク――ザクッ! と地面を掘る音。
「だめ! それは、お祖母ちゃんの宝物なの……!」
けれど声は届かない。
夢の中特有のもどかしさ、粘度をます空気をかき分けるように手をのばすけれど、届かない。庭の風景が溶けてゆく。
ザク――ザクッ! と地面を掘る音が聞こえた。
今度は確かに耳元で。
「……えっ!? はぁっ……!」
紅葉は、そこで目を覚ました。
そこは見知った、天井。
心臓が軽くトクトクと暴れている。間違いなくここは現実。薄暗い部屋の中、遮光カーテンで仕切られた空間の中央に、敷いた布団の上だ。
昨夜はゲームをしたまま寝落ちしてしまったらしい。
乱れた髪のまま身を起こし、周りのカップ麺の空き容器やポテチの袋、乱雑に折り重なったゴミや雑誌、テッシュをかき分けながらメガネを探す。黒縁のメガネをようやく見つけて一息ついた時、またもや音がした。
ザクッ!
明らかに庭からだ。土を掘り起こす音で間違いない。
「何よ、一体」
時間を見ると午前10時。朝もまだ早い時間だが、自宅警備員にとっては深夜のような感覚だ。一体、何事だろうか。
紅葉はビーバーの巣穴から這い出すように起き出して、そっとカーテンを開けた。
「ぐぎゃ」
年頃の乙女とは思えない悲鳴をあげる。眩しさに両目が焼かれたようだ。目が! 目がぁ! と布団に戻り寝転びたい気分に負けず、明るい日差しに照らされた庭先に目を凝らす。
と、そこにはスコップで穴を掘る人影が。
「あ……葵、さん?」
例の謎の自称薔薇庭師の青年、葵だった。
昨日と同じ英国風のトラディショナルな服装の庭師スタイルにブーツ、チェック柄のエプロンに分厚い革手袋。
姿勢良くスコップを突き立てると、庭を掘り起こしている。
何をしているのだろう? と疑問が湧き上がるが、先程の藤崎のお祖母ちゃんの夢を思い出す。
――お庭には宝物があるんだよ
まさか、アイツ……うちの財宝を!?
いつの間にか「宝物」が「財宝」という欲に置き換わっていた。
ガラッと窓を開け、抗議の声をあげる。
「か、勝手に掘り起こさないでよ、泥棒」
すると、土を掘る手を止めた葵が、ゆっくりを顔を向けた。
まるでヤンキーが「あ?」と凄むような目つきで。
「……ずいぶんとお早いお目覚めですね、家主さん」
皮肉たっぷりの笑顔。
「い、いつ起きようが勝手でしょうが」
「もちろんだ。で、ドロがなんだって?」
聞こえなかったふりなのか、ザクッとスコップを地面に突き立て、向き直るとため息をつく。
「なんで地面を掘ってるのよ、庭師なのに」
昨日は草取りをしていたはず。二日目にして真の目的である財宝探しでもしているのかしら。と疑いの目を向ける。
「根切りと施肥だ」
「ネギリトセヒ?」
聞き慣れない呪文のような、謎めいた言葉に紅葉は面食らう。けれどそんな表情から疑問を読み取ったのか、葵は横にある薔薇の株に触れながら、
「スコップで薔薇の根本を掘って、固くなった土を柔らかくすると同時に空気を入れる。そこへ施肥……つまり肥料を入れて発根を促し、成長を良くするんだ」
すらすらと解説をしてくれた。
「へ……? はぁ、なるほど?」
よくわからないが、薔薇の手入れということらしかった。
「本当はもっと早春に行うんだが、仕方ない」
「財宝泥棒じゃなかったのね」
「なんだそりゃ」
「な、なんでもないです」
しかし葵は優しい眼差しを向けてきた。いや、それは哀れみを込めた視線だろうか。
「言っただろう? この庭は先代、藤崎様にとって宝物だったと」
「あ……」
「こんなひどい状態だが」
「私のせいじゃないもん」
「そうだな。家主がズボラでも庭師がいる」
「な、なによぅ」
ろくに言い返せない紅葉。他にも言いたいことや聞きたいことがあるのに、うまく口が動かないのだ。
「この庭の薔薇、藤崎さまの遺した宝物は俺がなんとかする」
そっか。
お祖母ちゃんが言ってた宝持って、庭のバラのことだったのだろうか。それとも別の何か?
胸のつかえはまだ取れない。
「咲かせてみせる。手入れをしてやればまだ大丈夫だから」
葵は切れ長の瞳に、真剣な色を浮かべた。大丈夫だから、という簡単な言葉に何故か胸打たれる。
気がつくと紅葉は、あの夢の中に出てきた少年の面影を重ねていた。
「まだ、大丈夫……なんですか」
「あぁ。夏の庭が一番輝く。だから取り戻そう」
――夏の庭の、輝き?
<つづく>