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歩くような速さで


「捨て値っ子の素性が判ってよかったな」

「実は王子様、『ルイ14世』でしたってことで。スッキリです」


 赤い薔薇のスペシャリスト、(かおる)さんの鑑定眼により、ずっと謎だった特売品のオールドローズの品種があっけなく判明。もちろん100%ではないよ、と前置きした上でだけれど。


「ところで、これも美味いな」

「はい、とっても」

 舌の上でとろけるようなチーズケーキ、そして甘く香り高いハチミツ漬けのローズヒップが絶妙にマッチしている。見た目同様、味も素敵なデザートに、思わず笑みが溢れる。

 テーブルを挟んだ向かい側で、同じチーズケーキを頬張る葵さん。

 相変わらず表情を崩さないけれど、なんだかとても幸せそう。案外スイーツ好きな男子なのかもしれない。


「村の近くでこんな美味いものが食えるとはな」

「このお店ってジャンル的にはフランス料理でしょうか? それとも無国籍?」

「俺に聞くな、(かおる)さんに聞けばいいだろ。でも、一品前に英国料理っぽいメニューがあったな」

「あ、おまけで出してくれたコテージ・パイですか?」

「そう。あれは伝統的な英国の名物料理だと思うが」


 実はデザートの手前に一品、薫さんが「サービスです」と言ってお料理を出してくれた。

 それはひき肉と野菜の炒めものの上に、マッシュポテトを塗りパイ生地を被せて焼いたものだった。ショートケーキのように一切れずつだったけれど、素朴でとても美味しかった。

 薫さんは「田舎の家庭(コテージ)料理ですよ」と言っていた。


「あれ、イギリスのお料理だったんですね」


 そう言ってから(アオイ)が英国に行って修行したい、という話を思い出した。

 柚子(ゆずこ)さんに言い負かされた格好になっていたけれど、納得したのだろうか。


「イギリスといえばイングリッシュガーデン、薔薇の本場だな」

 (アオイ)はチーズケーキの残りを食べながら、淡々とした調子で言った。修行を断念したことを気にしていないのか、あえて切り出したのかはわからない。

「修行、行きたかったですか?」

「英国での修行の話は、自分でも本気じゃなかったんだと思う」

「そう……なんですか」


 短くなった蝋燭(ろうそく)の灯りをぼんやりと眺める。少しの沈黙も苦痛に感じないのは、このお店の居心地の良さ故か。普段は口の重い葵が、静かに言葉を続ける。


「自分を試したかったんだ。俺は……遠くにだって行けるんだって、思いたかった」

「なんとなく、わかります」

 紅葉(くれは)がそうだったように、(アオイ)にも辛くて殻に閉じこもっていた時期があった。けれど、種が辛い冬を乗り越えて芽吹くように、(アオイ)は再び立ち上がり、今やしっかりと地に足をつけて立派にお店を支えている。


 だからもう少し先に、もっと遠くへ。薔薇の本場へと行ってみたいと考えたのだろう。それが実現できなくとも、そう願うことで更に先に進める気がするから。


 紅葉(くれは)は、(アオイ)が求めつづける「理想の薔薇の庭」に間違いなく救われた。その事にまだ感謝の気持ちを伝えきれていない。


「あ、(アオイ)さんは、すごく頑張っているじゃないですか! うちの庭をあんなに綺麗に復活させてくれました。そのお蔭で私まで……すごく元気になれたんです」

「紅葉……」

「それは本当の、本当です。葵さんはすごい人です。薔薇をとっても愛していて、綺麗に咲かせたいって願う気持ちが強くて。その想いに薔薇はちゃんと応えてくれているの、わかります。だから……遠くに行かなくたって、今みたいに出来ることをしっかりやれば、葵さんはそれで……それでいいんだと思います」


 上手く言えない。想いの半分も伝えきれていないかもしれない。

 けれど、精一杯の気持ちを言葉に乗せる。


「……そうか」

 

 (アオイ)は、静かに小さく頷いてくれた。


「そうですよ!」

「うむ……そうだな」

「自信をもってください。私が太鼓判を押しますから」

紅葉(くれは)の太鼓判ほどアテにならんものはないが」

「もう! 人が折角、精一杯……」

「すまん」


 思わず、二人で笑みをこぼす。


 とても時間がゆっくり流れていることに、今は感謝する。

 美味しいお料理も、こうしてゆっくり二人で話せることも。

 今までは考えもしなかった、幸せな時間に思える。


 あぁ、とても楽しいし、なんだか嬉しい。


「……」


 コーヒーのカップを口に近づけると、(アオイ)が自分に向ける視線に気がついた。


「……ケーキお代わり頼みましょうか?」

「ばか、違ぇよ」

「じゃぁ、なんです?」

「いや、ちょっと気のせいかもしれないと思っていた、昔のことを思い出して」

「昔のこと?」

 すこし小首をかしげる。


「子供の頃、今の紅葉みたいに笑う女の子に、一度だけ会ったことがあって……」

「え……?」


 ちり……と蝋燭の炎が揺れ、胸の奥がうずく。


「遠いむかしの話で、小学校の頃かな」

「葵さんにも可愛らしい子供時代があったんですね……」

「その信じられない、みたいな遠い目をやめろ」

「すみません」


 けれど再び耳を傾けると、葵は静かに話しはじめた。思い出話をこうして語るのは初めてかもしれない。


「あの日は……夏休みで。親父と一緒に、藤崎さんの……紅葉の今住んでいるお屋敷に行ったんだ。いつもはお婆ちゃんが一人で暮らしていて。けれどそこで、女の子に出逢ったんだ」


 二人の周囲の風景が、夏の庭に変わった気がした。


 蝉の大合唱、粘りつくような熱気と、夏草と甘い薔薇の香りが、鮮やかに甦る。


「あの頃は、自分の背丈を越えるほど大きな薔薇の木やアーチが迷路みたいで。沢山生い茂っていた薔薇の庭を俺は探検していたんだ。そこで不意に、女の子に出逢ったんだ。まぁ、驚いたさ。突然、誰も居ないと思っていた庭から、それこそ突然現れたみたいに。薔薇の木の影から出てきたんだからな。白いワンピースに麦わら帽子の……最初は、薔薇の妖精かと思った」


「葵さん……それって」


 それは多分、まちがいなく。


「そうだな」

 ふっと息を吐きながら紅葉を見つめる。


「……私?」

「今にして思えば、そうかもしれん。いや妖精はいいすぎた。再会した時は、ヒキニート妖怪だったわけだからな」

 (アオイ)は、ため息をついて冷めたコーヒーを飲み干した。


「そ、今それを言いますか!? 信じられない。けど……やっぱり! 私も同じような記憶があるんですよ! あれって本当に……あのときの男の子って、葵さんだったんですか!?」


「多分、俺だな」

「えぇ……凄くないですか!?」


 確証はなかったけれど、これではっきりした。あの夏の庭先で出逢った、綺麗な男の子はやっぱり、(アオイ)さんだった。


「まぁ、凄いことだな」

「凄いですよ!」


 十数年の時を越えて再会するなんて、まるで物語のような、嘘みたいな本当の話。

 お婆ちゃんが遺してくれた薔薇が、二人を引き逢わせてくれた。


 それは本当に、奇跡と言ってもいいくらいに。


「というわけだ」

「そういうわけですかぁ」


 端正な顔立ちでクールな表情を崩さなかった(アオイ)は、いつもより穏やかに微笑んでいる。この素敵なお店のせいか、あるいは再会を喜んでいるのか。それはわからない。


 運命というものがあるのなら、今はちょっとだけ信じてみたい。


 紅葉は心音が速まっているのを感じていた。

 今はまだ、無理だけれど――いつか。

 この人の隣を歩きたい。また二人で薔薇の季節を迎えたい。


 意を決し、はぁと大きく息を吸い込んで、小さく頭を下げる。


「こ、これからもよろしくおねがいします、(アオイ)さん」


 まだこれは、恋なんて呼べない気持ちだけれど。

 ここから、始めよう。

 始めてみよう。


「あぁ、よろしくな、紅葉(くれは)


 歩みは、とてもゆっくりかもしれないけれど。


<章 完結>


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