秘密の隠れ家レストラン
◇
山の稜線に沈んでゆく夕日は、つるべ落としのように早い。
ハンドルを握る葵の横顔が、赤く染まっている。徐々に夜の色に変わってゆく風景の向こうで、家々の明かりがひとつ、またひとつと点ってゆく。
「私の車でも良かったのに……」
「そういうわけにもいかない」
「そ、そうですよね」
とはいえ、夕飯を食べに行くというのに店の軽トラである。
仕事用なので汚いし、狭いし、シートは硬い。仮にもこれは「デートのようなもの」ではないのだろうか? いや、そもそも食事に誘われたというのは紅葉の早とちりで、本当は仕事の一環なのかもしれない。
軽トラの助手席で揺られ、暗い窓にうつる自分の間抜けな顔を見ていると、そんな疑念さえ湧いてくる。
「急に誘ったりして、迷惑だったか?」
「え? いえ、そんな」
緊張のせいか、いつものような会話が続かない。
信号待ちの交差点、葵が口を開いた。村はずれの寂しい場所、数台の車がのんびりと通り過ぎてゆく。
「ならいいんだが」
「全然だいじょうぶです、その……」
「今夜は何味のカップラーメンにするつもりだったんだ?」
「豚骨ですよ、昨日は味噌だったので……って、違います!」
ノリとツッコミになってしまったところで車は再び発進する。
「紅葉は普段、いったい何を食べているんだ。心配になってきた」
葵が口元を緩める。
「心配には及びません。結構自炊してるんですよ、わたし」
「あぁ、ジャガリコにお湯を注いだりするアレか?」
「そういうジャンク料理じゃありませんってば」
「そうなのか?」
コイツめ……いったいどんな目で見ているのよ、と紅葉が鼻息を荒くする。けれど、いつもの二人の会話のペースに戻った気がした。
ところで目的地は何処なのだろう?
このあたりにオシャレなレストランなんて無いはずだ。けれど、隣町にまで足を伸ばせば、ファミレスや喫茶店、居酒屋なんかもある。
「あの……」
と、紅葉が切り出したところで車が停車した。
「ついたぞ」
「えっ!?」
早い。やけに近い。こんな近所に美味しいレストランなんてあっただろうか? 否、あるはずがない。
老夫婦が趣味で経営している蕎麦屋が、あった気がするけれど。
車窓から見える駐車場らしき場所の周囲は、まるで暗い森の中のような場所。田舎特有の、民家と民家の距離が離れている閑散とした場所だ。
けれど、近所なので見覚えがないわけではない。
電球色の黄ばんだヘッドライトに照らされた先、薄暗い白樺の木々に囲まれて、大きなログハウスのシルエットが浮かんでいる。
「あれ? ここって……」
「そう、薫さんの家だ」
「えっ!?」
薫さんは、筋トレが趣味の、素敵なナイスガイ。そして赤いバラが大好きな「薔薇の庭」の同志であり、庭造りのお得意様でもある。
盛大にクエスチョンマークを浮かべる紅葉だったが、なんとなく事情が飲み込めてきた。
もしかして葵さんは、お食事に「お呼ばれ」されたのではなかろうか。
きっと薫さんにディナーに誘われた葵さんは、身の危険(?)を感じ紅葉を巻き込んだ……とか?
「早く来いよ」
「あ、はい!」
軽トラから先に降りた葵が、紅葉が降りるのを待って一緒に玄関へと向かう。
柔らかなソーラー式の間接照明がお客様を誘うかのように、駐車場からログハウスの玄関先まで続いている。
足元はウッドチップが敷き詰められていて柔らかい。しかしちょっと暗いので足元がすこし不安ではある。気がつくと葵が「あぶなっかしい」とばかりに、ほんの一瞬、手を背中に添えてくれていた。
「あっ、すみません。その……夕飯って、ここですか?」
「そうだ」
事情が飲み込めない紅葉に対して、相変わらずの愛想の無さ。けれど実に葵らしい。
「レストランを始めたから来てほしいって」
「そ、そうなんですか!?」
「あぁ」
確かによく見ると玄関脇に三脚式のイーゼルがあり、看板が立てかけてあった。
――グリルレストラン、『薔薇の果実』
「わぁ! なんだか薫さんらしいお店ですね……!」
「だな、入ってみよう」
「はい!」
◇
カランコロン――と、ドアベルが心地の良い音を奏でた。
押し開けた重厚な木製の扉は、以前訪れたことがあるログハウスのリビングに直結していた。
「――いらっしゃい……やぁ! 二人ともよく来てくれたね!」
野太いが弾むような声が出迎えてくれた。
ログハウスの一階リビングは、すっかり小さなレストランに改装されていた。
ランプシェードから放たれる黄色い明りが温かみのある光を放っている。剥き出しの太い木の梁が北欧にある山小屋レストランに迷い込んだような、そんな錯覚さえ覚える。
「薫さん! すごい、ヤバイ、超素敵すぎます!」
「語彙力は中学生並か」
「もう! とにかく素敵ですってば!」
葵にツッこまれるのも構わず、店内を見回す。まるでここは、隠れ家レストランだ。
思わずテンションマックスな紅葉に葵もやれやれと苦笑する。
「ははは……お恥ずかしい。実はこれが夢でね。ここに来てからずっと準備していたんですよ。ささ、テーブルへ」
壁に掛けられた振り子時計は、午後6時を回っている。
店内は焦がしバターの芳醇な香りが漂っていた。そこに肉料理のデミグラスソースの濃厚な香りが混じり、空腹であることを思い出してしまう。
「私、お腹が空きました」
「同感だな」
4席のカウンターキッチン、それに木製のテーブルが2つ。それぞれ椅子が4脚ほどセットしてある。つい先程までお客さんが居たのか、カウンターには使われたばかりの食器とコップが置かれていた。
紅葉と葵はテーブル席に腰掛ける。
白いテーブルクロス、中央には赤い秋バラを浮かべたガラスのボゥルがある。
「か、かわいい……!」
なんという乙女心を揺さぶる店内だろう。
壁際には暖炉があり、本物の炎がチラチラと揺れている。
そこに薫さんが注文をとりにやってきた。大柄な身体にエプロン姿。まさか料理までするシェフだったとは。カウンター席越しに見える厨房では、奥さんなのかバイトなのか、若い女性の姿も見える。
「コースは任せてもらえるかな?」
「コ、コース料理……」
思わず緊張する紅葉。てっきり山小屋風のワイルドな定食かと思っていたのに、運ばれてきたワイングラスを見て本格的なレストランだと悟る。
「車なんで、ブドウジュースで」
「お、おなじく」
「山葡萄ジュースでいいかな? 酸味と渋味があってオススメだよ」
葵と紅葉は、まるで写し鏡のようにコクコクと頷いた。
<つづく>




