きっと、似た者同士
「英国に修行に行くなんて、生半可な覚悟で口にするもんじゃないよ」
柚子さんは、葵さんの留学宣言をまともに取り合うつもりは無いようだ。
「もういい」
葵さんも、ちょっとムッとして黙り込んだまま。
最初は「今日もみんなで頑張って働こう!」という空気だったのに、やや唐突な葵さんの英国行き宣言で重苦しい空気が流れる。
葵さんもちょっとは空気を読めばいいのに……。
チラリと横に座っている葵さんの様子をみる。でも、その空気の読めなさは以前の紅葉自身と重なるように思えてきた。
「ちょっと、言いすぎじゃねぇか……?」
すると重い空気に耐えかねたのか、お茶を飲み干した親父さんが静かに声を上げた。おもむろに胸ポケットからサングラスを取り出して、スチャリと顔に掛ける。
一応ここは店内で、眩しくもなんともない。きっと柚子さんに意見を具申するために必要な、防具のつもりなのかもしれない。
「……そうかい? 正論だと思うけどね」
お茶をすする柚子さん。相変わらず不機嫌な低い声。
親父さんは黒い革ジャンに革ズボン、加えてサングラスを装備。ちょいワルなオヤジスタイルで、威勢のいいワイルドな植木屋さんとして息子を庇うポジションに立つようだ。
確かに葵さんがちょっと可哀想。がんばれ、親父さん。
「アオイだって覚悟のうえで、腹ぁ決めて言ってるんじゃねぇか? だから、少しはその……」
「あんだって?」
ギロリと鋭い眼光が親父さんを射すくめる。
「ふ、冬の間だけ……修行でも俺は構わねぇと思うが……」
「冬の間だの、そんな中途半端で生半可な修行して役に立つってのかい? 薔薇の庭に英国庭園、夢を追うのは良いさ。けれど、そんな甘いもんじゃないだろってことを言ってるんだよ」
ピシャリ、ピシャリと正論で親父さんの意見を封殺。
「うっ、そ……そりゃぁ、そうだが」
おまけにコトッと柚子さんがお茶のカップを置く音にビクつく親父さん。
いつもは大きくみえる親父さんの身体も、今日ばかりは小さく見えた。白髪交じりのリーゼントも、ちょっと先端が下がり気味。
これはダメっぽいわね。
「親父、今の話は忘れてくれ」
「だがアオイよぅ」
「もう仕事の時間だろ」
「う、うむ……」
葵さんは立ち上がると、壁に掛けられていた作務衣を羽織って出ていった。
親父さんもその後に続く。
「いってらっしゃい!」
私はちょっと遅れて、大きな声でお見送りをする。
今日の予定は、生け垣の剪定。戻ってくるのは昼ごはんの後になるだろう。
それまでは柚子さんとこの事務所に二人、ということになる。
なんだかちょっと気まずい。
「お茶、淹れましょうか?」
「そうね、いただくわ」
いつもの声の調子にちょっとホッとしながら、柚子さんご愛飲の紅茶を淹れる。
紅茶用のポットにお湯を注ぐと、ふわりとアールグレイの香りが広がった。
綺麗な紅茶は見た目も香りも心癒される。カップに注ぎ、柚子さんの手元に置く。
「良かったわ」
「……え?」
柚子さんの発した言葉の意味がわからなかった。カップを運んできたお盆を抱えたままちょっと立ち尽くす。
静かに紅茶の香りを愉しんでから、少しの間を置いて口を開く。
「あの子ね、いろいろ自信を無くして、しばらく外に出なかった時期があったの」
「そうなん……ですか?」
葵さんが?
「つまり、世間で言うひきこもりみたいな感じね」
意外な告白にどう反応してよいか戸惑う。
あの葵さんが引き篭もりみたいな時期があったなんて、信じられない。
「葵さんが……そんな風には見えませんけれど……」
けれど思い当たる節はある。妹ちゃんの言葉とか、いろいろと。
「大学を卒業してその後の就職に失敗して。あの子、人付き合いが苦手で。おまけにあの無愛想な調子だし。何より他人に合わせるのが苦手なのね。結局……上手く行かなかったの」
なんてことだ。紅葉は軽い目眩のような感覚に襲われていた。
無愛想で、態度が悪い薔薇庭師を目指す葵さん。
彼は単に無口で風変わりな、職人気質の人かと思っていた。
けれど実際は自分と変わらない。ほんとうは弱くて……それでも立ち直ろうと、必死でがんばっていた人だったんだ。
「わ、わかります!」
思わず少し大きな声で叫んでいた。
柚子さんが紅茶のカップから唇を離し、紅葉の顔を見つめている。
「私も仕事で……会社に馴染めなくて、失敗して。いろいろダメダメで。みんな嫌になって。それでこの場所に逃げてきたんです……。しばらく、ほんとに半年ぐらい、何もしないで引きこもっていましたから。それは酷いものでした。えへへ……」
ちょっと泣きそうになる。あのころは辛いことがいっぱいあった。
荒れ果てた庭と同じように、枯れてしまった心。
そこに現れた救世主は、他でもない。
葵さんだった。
彼は春の訪れと共にやってきて、諦めていた庭を見事に再生し、可憐な薔薇の花を咲かせてくれた。
「だから葵さんの気持ち、よくわかります」
「……紅葉さん」
「私は葵さんに救われました。最初は……無愛想で酷い植木屋さんが来た、って思いましたけれど。でも……庭を綺麗にしてくれて、綺麗な薔薇でいっぱいにしてくれて。嬉しくて……いつのまにか私は、沢山の元気をもらっていたんです」
柚子さんが優しい笑みを浮かべ、紅葉の手をそっと握った。
「話には聞いていたけれど、あの子が……紅葉さんの庭を、いいえあなたを、そんな風に励ましていたなんて」
「はい。お庭も私も、救けられました」
「そう……」
窓の外、雲がゆっくりと流れてゆく。やがて来る冬の訪れを思わせる。けれど、重ねた手はとても温かかった。
「お父さんといっしょに庭師のバイトを始めたアオイはね、やがて薔薇の庭を作りたいって言いだしたわ」
「あ、それで……うちに」
「よほど思い出深かったのかしら。突然 、『薔薇のお婆ちゃんの家にいく』って。今は誰も住んでいないはずの藤崎さんのお宅に……手入れをしてくるって出かけて行ったわ。けれど、青ざめて帰ってきた日があったの」
「ど、どうしてですか?」
「幽霊にあったって」
「ゆ、幽霊……」
「無人のはずの家の中で、妙な気配がしたって」
くすくすと柚子さんが笑う。
「それ、私です。たぶん」
「今にして思えばそうなのよね。でも、その後も何度か出かけていくようになって。正体がわかったって言っていたわ。薔薇を枯らす酷い家主が住みはじめたからって」
「もう……! ひどい言われようですね」
おのれ! まぁ幽霊みたいなものだったのはその通りですけどね。同じ引き篭もりのダメ人間だったくせに。あとで一言いってやりたいわ。
「その後も通い続けるようになって。お父さんと一緒の庭師の仕事も順調になってね。今日は草取りをしてきた、薔薇の木が生きていた、花が咲いた……なんて毎日教えてくれるようになったの」
「もう! 葵さんが戻ってきたらちょっと一言、言ってやりたいです」
「そうね、仲良くしてあげてね」
「はい! それもう、同じ『引き篭もり』の同志として」
「きっと、似た者同士だから気が合うのね」
「そうですかね……? そうかな……」
嬉しそうな柚子さんと一緒に、気がつくと紅葉も笑顔になっていた。
あれ……?
そこで私は気がついた。
最初に柚子さんが言ったこと――思い出深かった『薔薇のお婆ちゃんの家』。
それってつまり、葵さんは私が暮らしいてるあの家を、小さい頃から知っていたってことよね……?
<つづく>




