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ヒマラヤ帰りの女将さん


 ◇


 愛車、おとうふ号は今日も快調。

 秋の気配漂う村道をひた走り、勤務先である日向園芸へと向かう。


 アルバイトから正式に契約社員という肩書に昇格したことで、一層やる気も出てきた。気がつけばいい感じに社会復帰させて貰ったことに、感謝せずにはいられない。

 (アオイ)に、店主である親父さんを始めとした皆さんに。


 稲穂は重そうに(こうべ)を垂れ、黄金色に色づき始めている。窓を少し開けながら車を走らせると、朝の澄んだ空気が心地よい。

 信号待ちでバックミラーに視線を向け、メイクと髪をチェック。


 薄いナチュラルメイクに、自然に伸びた肩までの長さの髪。とりあえず鋤のない「働く女」の顔であることを確認する。


「よし、今日も大丈夫、たぶん大丈夫」


 自分に言い聞かせるように、青信号とともにアクセルを踏む。紅葉(くれは)の運転する車はやがて、村の中心部にほど近い日向園芸の駐車場へと滑り込んだ。


 車を降りると、ちょうど店の横開きの扉がカラカラと開いた。

 中から、ほうきと塵取りを持った女性が姿を見せる。

「おはようございます!」

 紅葉の仕事は、この挨拶から始まる。


「あ、紅葉ちゃんおはよう! 今日も肌艶がいいね」

「やだもー、女将(・・)さんには負けますよ」

「はっはっは!」

 快活な笑いが返ってきた。

 キャリアウーマン風の中年女性は、白いスラックスに仕立てのいいグレーのジャケット姿、髪はやや茶色で長くてウェーブした髪を一つに結わえている。

 老舗旅館の女将さんのような品の良さと、面倒見の良さそうな人懐っこい笑顔が魅力的な女性。


「掃除なら私がやりますから!」

 慌てて駆け寄ってホウキと塵取りを、その手から奪う。


「仕事を取られたぁ……」

「女将さんは会長(・・)なんですから、でーんと座っててください」

「別にいいのにぃ。身体がなまるわぁ」


 店先で「うんっ!」と背伸びをするこのお方こそ、日向園芸の影の支配人、日向柚子(ゆずこ)さんである。


 つまり(アオイ)のお母様。

 にこにこと不満を漏らしつつも、背筋はシャンとしていて、鈍っているようには見えない。

 キリリと整えられた眉に年を感じさせない目の輝き。顔の雰囲気は、どちらかというと優しい美人の(アカネ)さんより、兄の(アオイ)に似ている感じがする。


 紅葉(くれは)がバイトから契約社員に格上げされたことで、雑務と会計職、つまり事務職を引退。店の会長職に収まったらしい。

 時折、どこぞの組の姉御(アネゴ)といった風格と凄みを見せつけて、店主であるはずの旦那さんはもちろん(アオイ)も軽くアゴで使っている。


「……おう、紅葉」

「あ、おはようございます(アオイ)さん」


 眠そうな顔で葵がやってきた。庭先さきから来たところを見ると、松や他の植物への水やりなど、手入れをしていたのだろう。


「なんだぁ? そのシケたツラァ」

 さっそく女将さんに絡まれる(アオイ)

「うるせぇな、朝は弱いんだよ」

「髪もちゃんとしなさいよ、面倒なら坊主にしてあげようか。中学生のときみたいに」

「やめろや!」

 寝癖のついた頭をワシワシとすると、葵が手で払い除けた。

 

「あはは……」

 いくつになっても母と息子なんだなぁ、とちょっと微笑ましい。

 葵は心底イヤそうだけど。


 そういえば恥ずかしいのか、女将さんを「おい」と呼ぶばかりで、面と向かって「お母さん」とか「ババァ」とか呼んだところを見たことがない。


「水、やっといたからよ」

 ぶっきらぼうに言う(アオイ)に、女将さんは「あんがと」と応じている。

 

 女将さんの趣味は、村の涼しい気候を生かして、幻の花と呼ばれる「メコノプシス」を育てることだ。

 メコノプシス――通称、青いケシ。


 まだ写真でしか見たことはないけれど、真っ青なブルーの透き通った色合いの花が咲く。


 四弁花と呼ばれる四枚の花びらが、重なるように咲く姿は神秘的。ケシとはいってもどちらかというと、ポピーという園芸品種に似ている。高山植物に分類されるので、東北や北海道、いわゆる寒冷地でないと夏越し出来ず、育てるのは極めて難しいのだとか。

 なんたって原産地はヒマラヤ山脈の周辺。そこはネパールの首都、カトマンズから更に遠い標高1500メートルを超える高山地帯なのだから。


 そこは女将さんが夏に二週間ほど姿を消し、避暑(・・)してきたという場所でもある。


 仏教とヒンドゥー教の神々の史跡をめぐり、、原産地に咲く本物の花を直接見てきたのだという。ベストシーズンからは少し外れてはいたものの、運良く花に出会えたと写真を見せてくれた。

 葵といい女将さんといい、何かに夢中になるあたり実に親子らしいと思う。


 バイトである紅葉(くれは)をたいそう気に入ってくれて、バイト期間終了後も雇い続けることを決めたのも女将さんこと、柚子さんなのだ。


「さて、掃除が終わったら、営業会議をするから店の中に来てね」

 今日の営業会議とは、つまり仕事の割り振りだ。


「はい!」

 紅葉はホウキを動かす手を早めた。


<つづく>


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