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秋バラの『マダム・ダンフェール』

 ◇


 空高くうろこ雲が浮かんでいる。

 家の周りの田んぼでは、稲が頭を垂れて色づき始めていた。


 夏を惜しみつつも気がつけば初秋。空気は冷たく澄んでいて心地よく、何をするにも都合がいい。

 時々やってくる台風は心配の種だがここしばらくは穏やかな天気が続いている。


「よし、みんな元気だね」


 紅葉(くれは)は水やりを終えて、庭を見渡した。

 朝晩の気温の低下に伴って、薔薇はあたらしい蕾を付け花を咲かせていた。これらは「二季咲き」と呼ばれる性質をもつ薔薇で、初夏と初秋に花を咲かせてくれる。


 庭の手入れにもだいぶ慣れた。おっかなびっくりだった夏に比べれば、手早く薔薇の根元に生えた雑草を取り、しおれた花殻を摘む。

 以前はこうした日常的な世話さえ、庭師の(アオイ)がすべてやってくれていたけれど、こうして出来ることは自分でやることにした。


 (アオイ)の訪れる回数はぐんと減っていた。


 夏が終わり、庭の手入れが落ち着いたせいもある。けれど、一番の理由は紅葉(くれは)を信じ、薔薇の世話を任せてくれているということでもあった。


 もちろん大きな庭木の剪定が必要なときや、高い位置にまで伸びた薔薇のアーチの手入れなど、梯子や脚立(きゃたつ)が必要なときは何も言わずともやってくれる。


「咲いてる……! えぇと、マダム・ダンフェールね」


 庭を歩いてゆくと東側の角に、ラズベリーピンクの可愛い花をつけた株があった。柔らかい色合いの花弁を開き、冷たい朝露を乗せて気持ちよさそうに輝いている。

 中心に近いところはラズベリーの様な深みのあるピンク。外側ほど淡い色合いで美味しそうなイチゴアイスを連想する。


 顔を近づけると、ふわりと甘い香りが鼻をすくすぐる。

 典型的なオールド・ローズ香。ブルボンの香りだと云われてもピンとこないけれど、葵が力説するのでそうなのだろう。


 株の根元には、(アオイ)お手製のタグがある。

 土に刺す小さな看板のような形のタグには、品種名と簡単な分類が油性ペンで書かれている。


 ――『マダム・ダンフェール』 ブルボン系、二季咲き。


 庭の中で存在感を放つ主力の株のひとつ。最初は名前も知らなかったけれど、お手製のタグのおかげでだいぶ覚えた。春から初夏にかけピンク花をたくさんつけて、目を楽しませてくれた。

 真夏は花をつけず一時休憩。

 秋に差し掛かるや蕾を付け、こうして淡いピンク色のカップ咲きの花をつけてれくた。

 これがつまり「二季咲き」の意味だったのか。


 しばし秋の花を楽しんだ後、軒下の鉢植えエリアへと向かう。

 初夏からずっと咲いている目にも鮮やかなペチュニアは絶好調。こんもりと鉢からあふれるように育ち、赤やピンクの濃い花を咲かせ続けている。


 その隙間に、ちょこんと鎮座しているのが、ナナシくん。

 

 ジョウロで根元に水を与える。鉢植えで養生中の薔薇の苗。これはホームセンターから救出した品種不明の子だ。

 今ではすっかり元気を取り戻し、青々とした葉を茂らせている。


「うんうん、元気そうだね……おや?」


 虫でもついていないかと覗き込むと、育った若芽の先端に膨らみが見えた。


「蕾だ……!」


 枯れかけていた薔薇に、ついに蕾がついた。

 大きさはまだ3ミリほど。けれど若葉の隙間から見えるそれは、あきらかに蕾の形をしている。

 死にかけていた株がここまで元気になったのだ。

 紅葉が買い取ったことで、逆に悲惨な目に遭わせ、死の淵に追いやったこともある。

 葵の本で知識を得て、自分で植え替えたり世話をしたり。おかげで色々と学ぶことも出来た。


 そういう意味でも、思い入れのある大切な子なのだ。


「よかった! でも……花芽は摘んだほうがいいのよね」


 本格的な秋を目の前にしてもなお、庭の薔薇たちは元気がいい。それは根がしっかりと地面に張り株自体に勢いがあるからだ。

 新しく伸びた枝はぐんぐんと背を伸ばし、来年に花を咲かせる期待のルーキーとして成長している。とくにツルばらの伸びが早い。身の丈を超えるような若々しくて真っ直ぐな枝が、空をめざしている。


 (アオイ)の話によれば、「新しく伸びた枝は冬まで伸ばし、春になったら先端をカット。水平方向に誘引し、脇芽を伸ばすことで花数が増える」

 なんでも植物の成長ホルモンは重力とは反対方向、先端に集まるのだとか。


 だから若芽はぐんぐんと上に伸びる。

 ある程度伸びた枝は真横に倒すことで成長ホルモンが途中の枝葉に脇芽をつくり、また分岐する。それにより花数が増えるのだという。


 なるほど、自然とはよく出来ている。


 けれど植え替えたり、弱ったりっている薔薇の場合はそうもいかない。

 株に力をつけるためにも、付いた蕾は摘み取るべきなのだ。

 そうすることで根に力が付き、来年につながる。


 心を鬼にして蕾に手を伸ばす。


「うう……でも」


 せっかく付いた蕾を摘み取るのは心が痛む。


 元気になったお礼に『自分はこんな花だよ!』なんて、必死で訴えているようにさえ思えてくる。


 それに、花の色合いを見てみたいという好奇心もある。


 赤系統のオールドローズ。数ある花のどれかなのだ。

 

 葉の色合い、直立している枝ぶり、密度が低くまばらなトゲの形状から、概ね「ティー系ではないか?」と葵は推測している。

 とはいえ、(アオイ)も咲くまでは特定できないという。


「ひとつぐらいは咲かせたいわよね」


 とりあえず蕾を摘むのは止める。

 スマホで写真を撮影しておくことにする。


「あ、いけないこんな時間!」


 さて、出勤しなければ。

 日向園芸の正式な事務員(・・・)として。


<つづく>

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