つながる、二人
◇
「……疲れたか?」
「まぁ、流石にちょっとだけ」
軽トラの助手席で、紅葉は茜色の空をぼんやりと眺めていた。
久しぶりの勤労で心身ともにくたくた。忙しい一日だったけれど、充実感はある。
伝票入力に電話番、店の片付けと掃除をすこしだけ。慣れればどうってことはない仕事でも、無職だった半年のハンデが重くのしかかる。
「続けられそうか?」
「はい、なんとかがんばります」
一日でバイトが辛い……と逃げだすほど落ちぶれてはいないつもり。
「親父も有難がっていたぞ。とりあえず続けてくれると助かるが」
「親方さんと葵さんにそこまで言われたら、やりますとも。まかせてください」
「ほう、ならばいい。頼んだぞ」
短期間なれどこれから平日は毎日勤務。土日は休みという正社員なみの勤務シフト。社会復帰の軽いリハビリのつもりだったけれど、そうも言っていられない。
やがて軽トラは田んぼの中を通り抜け、小さな橋を渡り緩やかな坂を登る。
初日ということもあって、葵の送迎つき。けれど、いつまでも葵に甘えるわけにもいかない。
「あの……明日からは、自分でお店に行きますから」
葵は運転席で少し驚いた様子だった。表情はあまり変わらないけれど、端正な横顔が固まったように見えた。
「どうやって? 歩いてくる気か」
「まさか、ちゃんと車で行きますよ」
「免許もってたのか」
あからさまに驚く。
「あ、当たり前じゃないですかー。一応、社会人だったんですよ? 免許ぐらいあります」
「今日一番の驚きだよ」
「もう」
日向園芸までは車だと15分ほどの道のり。これを徒歩だと一時間以上かかる。自転車という手もあるけれど、行きは下りが多いぶん帰りは上り坂、と言うことになる。
「田んぼに落ちたりしてないか?」
「そんな運転はしませんよ!? わ、私だって夜に買い物に行く時、車使ってましたし」
「そうなのか」
「唖然としないでください」
無職とはいえ一人暮らしの身。人目を避けて夜に車で出かけて、隣町の大型スーパーでまとめ買いをしなくては暮らせなかった。
ちなみに失業時点でOL務めをしていたのは、地方都市でのこと。そこは都会ほど交通の便も良くなかったので、中古の可愛い軽自動車を買って通勤していた。
愛車の名前は『おとうふ号』、白くて四角いのでそう呼んでいた。製造メーカーや車種はよくわからない。
藤崎の祖母の邸宅に引っ越してきた時も、愛車たる『おとうふ号』に旅行バックを詰め込んでやってきた。よく走るし、燃費もいい。実に頼りになる相棒である。
今だってガレージの中で、紅葉の帰りを健気に待っているはず。
「なら、明日は迎えに来なくてもいいんだな?」
「そ、そこまで気を遣っていただかなくても」
「そうか」
「……はい」
とは言ったものの。
実は、葵と二人で話せる時間を「楽しい」と感じている自分がいた。そんな自分の気持ちを明確な言葉にしたくなくて、なんとなく誤魔化していたけれど。
段差を乗り越える度に、二人の肩も同時に揺れる。
地球の凹凸を拾ってそのまま跳ねる軽トラのサスペンション。乗り心地はお世辞にもいいとは言えない。
安っぽくて薄っペらなシートに、狭い車内。それは逆に小声でも会話のキャッチボールができる、程よい距離でもある。
庭に来て手入れをしている時の葵となら自然に話せる。それ以外の時間で話せるのは、こうした移動時間だけなのだ。
でも、流石にバイトの身分で迎えに来てもらうわけにもいかない。庭の手入れがあって来てくれるついでならば良いかとも思うけれど。
やがて『日向園芸』とドアに書かれた軽トラは、紅葉の家の前で停車した。
「そうだ、バイト」
「なんですか、名前で呼んでくれないとパワハラで訴えますよ」
「……ぐ、紅葉バイト」
「まぁ、いいですけど」
「業務連絡用にライン登録しておくか」
「えっ!?」
意外な言葉に驚く。なんと、この無愛想な葵から「ライン」なんて単語が出てくるとは驚きである。
「いっ、いいですよ。べ、便利ですもんね、えぇ」
「ま、まぁな」
上ずった声で旧型のスマホを操作して、お互いにぎこちなく登録を済ませる。
『日向園芸』という実にそっけないグループが出来た。
「あ、ついでにネトゲのアカウントも教えましょうか? 一緒に冒険」
「しねぇよ」
「ですよね」
調子に乗りすぎたか。
軽トラを降りた葵は、庭が気になるようだった。太陽が山の稜線に向けて落ちてゆく直前、空はオレンジ色。ちぎれた雲が黄金色と灰色に染まっている。
「じゃぁ、また明日な」
「あ、はい」
また明日、なんていい言葉だろう。
夕焼け雲の向こうに去ってゆく軽トラを見送って、やがて見えなくなったところで、紅葉は小さく跳ねた。
仕事をやり遂げて、ラインも繋がって。社会に戻ってきたー! という実感が湧く。
紅葉はそのまま玄関先から反対方向のガレージへと向かう。
二週間ほど動かしていなかった『おとうふ号』の元へ。
明日のために車の調子を確かめておきたくなったからだ。
「元気にしてたー? 明日から頼むねー」
『おとうふ号』のボディはうっすらとホコリを被っているけれど、屋根付きの車庫なので綺麗なままだった。
隠していた鍵でドアを開け、エンジンをかける。
「……?」
キュル……キュルル。
キーを回しても変な音がするばかりで、エンジンがかからない。
「動け、動け……動いてよっ!」
自然とエヴァの主人公と同じセリフを叫んでいた。ガチャガチャとキーを必死で回しながら「動いてくれないと明日バイトに行けないのよ!?」と涙目になる。
けれどエンジンはその後、ウンともスンとも言わなくなった。
バッテリーが消耗し動かなくなったのだ、と理解するまで暫くの時間を要した。
「……かくなる上は」
紅葉は暗くなったガレージの中で、スマホを取り出した。
◇
――『アオイさん』
『お』
しばらくの後、短い返事が来た。ていうか「お」ってなんだ。短すぎ。
――『早速なんですが、お願いが』
『ん?』
――『明日、迎えに来てもらっていいですか』
『あ”?』
<つづく>




