新たなる世界と、マッスル中年の薔薇
◇
「しかし、紅葉が他人に興味を持つとは驚きだ」
葵が軽く鼻で嗤うが、明らかに楽しんでいる表情だ。
「し、失礼な葵さんは私の何を知っているっていうんです?」
「家と庭を荒廃させた家主」
紅葉が片頬を膨らませて抗議の意を示すも、速攻で撥ね返される。
「うっ……まぁ確かに。そ、そりゃぁ一時的に人生つまずいて、酷い生活を送っていた時期もほんのちょっ……とだけありました。誰とも話したくないし会いたくない、そんな感じで……ずっと」
「でも、今はそうでもないだろう。こうして俺と話しているし」
革製の手袋を外し、細くて筋張った指を陽の光にかざす。
「お陰様で、だいぶ自分でも良くなったって思うし。なんだか不思議と立ち直りました。綺麗な薔薇の花を見ていたら元気をもらった気がして」
「それは何よりだ」
薔薇の花を見て、香りを感じて。そして夢を胸にひたむきに庭仕事をする葵の働きぶりを見て心動かされた――なんて。口に出しては言えないけれど。
それはたぶん、本当の気持ちだと思う。
本当は、もっと社交的で明るくて、もっと……。本当の自分はこんなはずじゃない。もう少し元気があって、勇気もあって。でも今はまだ、自信が持てないまま。
温かくて居心地のいい箱庭を眺めていることで、なんとか心穏やかに暮らしているに過ぎない。
「わかった。なら社交的な側面をリハビリしてみるか」
「はい?」
葵は形の良い顎を指先で支え、思案する。そして何かを思いついたように、おもむろにスマートフォンを取り出して、どこかに電話をかけた。
「――あ、もしもし、すみません、俺です日向造園の葵です。あー、はいはい、えぇ。予定通り今から伺いますので。それと、すみません。一つお願いがありまして。実は薫さんの素敵なお庭を、拝見したいというお客様がおりまして。えぇ、はい。……え? 大丈夫? それはありがとうございます。では」
何やら、はいはい、えぇ、はい、という単語の組み合わせの会話に、薫さんという名前が交じっていた。
「ちょ、ちょっと葵さん? 何を……?」
「ライバルの薔薇屋敷を拝見してみたらどうだ? 参考までにな」
「そ、そんな勝手に! いやです、結構です」
「……薫さんがクッキーとお茶を準備して待っているらしいぞ」
「え、えぇ……」
強引な葵に戸惑う紅葉。
クッキーとお茶は興味があるけれど。
「気にするな、向こうも独身で家には誰も居ないから。気兼ねは要らないそうだ」
「そんなの余計困ります!」
すると葵は珍しく、優しい声で囁く。
「さっき、俺とあの人に興味を持っていたじゃないか。いい機会だから、薔薇の見学に行くつもりで、行ってみたらいいと思ったんだが、どうだ?」
「……」
「今後のためにもなるんじゃないか?」
「……葵さんがそこまでいうのなら」
優しい声とイケメンの強引な誘いには弱いのだ。渋々とだが頷く。
「よし、決まった。乗れ」
「もう、わかりましたよ!」
日向造園の軽トラのキーを指で回す葵。紅葉は、今よりも少だけよそ行きの服に着替えることにした。
◇
「いいですか、私は薔薇に興味があるんです! あと葵さんと、薫さんの様子もちょっぴりだけ気になりますけど……」
「あぁ、はいはい」
ブポポポと軽いエンジン音を響かせながら、葵の運転する軽トラックは田舎道をひた走る。
目指すは隣の地区にある白鳥薫さんの邸宅だ。
日向造園と書かれた軽トラの助手席に乗るのは、これで2度め。害虫駆除薬のスプレーを買いにホームセンターへ、そして今度は薔薇好きな独身中年男性宅を拝見に。なんだか微妙な履歴である。
小さな森の小道のような峠を越えると、隣の集落が見えてきた。集落とはいっても、紅葉の暮らす場所よりもずっと世帯数も多くて、栄えている感じがする。
歩道のある道路の両側には、田舎特有のとてつもなく広い敷地と、畑と庭のある家々が立っている。敷地の境目には白樺が植えられていて、まるで高原のリゾート地のような雰囲気。こうしてみると、確かに別荘のような佇まいの家もある。
「あれだ、あれが白鳥邸」
「うわぁ……!?」
紅葉は思わず感嘆を漏らす。
そこには、アメリカ西部開拓時代を思わせる、本格的洋風ログハウスの建物があった。
本物の丸太を重ねたログハウスは、カナダ直輸入と云った風情だが周囲の田舎の景色と溶け込んで嫌味もない。赤い三角屋根から伸びる煙突からは、薄い煙がのんびりとたなびいている。
北側に駐車場と玄関があり、南側にある芝生の庭は大きめの薔薇の株が、鮮やかな赤やピンクの色彩を帯びて輝いている様子が窺えた。
まさに「こんな家に暮らしたい」と、雑誌の表紙を飾るような雰囲気に目を奪われる。
「素敵、こんな雰囲気の庭もあるんですね……!」
「だろう? 実際に見てみないと」
「はい」
おかげで新しい世界が開けた気がした。
軽トラを駐めて二人で降り立って玄関へと伸びる小道を進む。幅90センチほどの小道は、木の色合いのチップが敷き詰められ、両脇には色とりどりのハーブの花穂が揺れている。
「わ、地面がふわふわですね!?」
「ウッドチップだ。檜を削ったものを敷き詰めている。香りもいいし防虫効果もある」
「確かに、なんだかほんのりヒノキの香りがしますね」
「朽ちてきた風合いもまたいい。ガーデニングにはよく使われる舗装材だな」
「へぇ……!」
流石は庭造りのプロ。すうらすらと説明をしてくれる。
「これは和風にも洋風にもいい。紅葉の家でも使えるかもな」
「そうですね、可愛いかも」
小道の両脇には元気なハーブたちがお出迎え。ふわりと清涼な香りもする。
「これは紅葉の家でも植えたラベンダー。3年目だから花数も多いし株もこんもりとしているな。この赤い花をつけたハーブはベルガモット。そっちの元気のいい葉はアップルミント、青い小花はブルーセージ。すべてハーブで統一されている」
「すごい、可愛いしおしゃれです」
大きく育ったハーブは2年目、3年目の株だという。優しい風合いの小花に導かれ、思わずうっとりする。こんな家に暮らせたら……と、少女の夢のようなお屋敷に、一人暮らしの紅葉でさえ憧れを抱かずには居られなかった。
「近くで見ると大きくて、太いんですね」
「カナダ直輸入の丸太だとさ。手入れは大変らしいが断熱性能も高いし北国にはぴったりだ」
ログハウスのたくましい丸太に目を奪われる紅葉。
「ごめんください。日向造園です」
葵が木製のドアの呼び鈴を鳴らす。
「私の家に来るときと対応が違いません?」
「……気にするな」
「しますよ!」
と、南の庭の方から声がした。
「――お庭の方へどうぞ!」
紛うことなき男性の声だった。
「おじゃましまーす」
紅葉が恐縮しながら葵の後ろについてゆく。芝生の庭という意味では同じだが、ここは白樺に囲まれているので高原のリゾート感が漂う。
「わぁ……!」
「なかなか素敵だろう」
「はい!」
南側はやはり薔薇の庭となっていた。ログハウスの角を曲がると、赤とピンクを基調とした薔薇の花々がお出迎え。
庭の中央には大きなアーチ。赤い花のつるバラが絡まったアーチが目を引く。しかし、そこには大柄な男性がぶら下がり、懸垂を繰り返していた。
「――ふん! ふぅんっ!」
爽やかさとは正反対の、暑苦しい荒い息遣いが聞こえてくる。
「……!?」
「あれが薫さんだ」
「んなっ!?」
目を白黒させる紅葉。
美しい花弁が揺れる薔薇のアーチ、筋肉質の男性、繰り返される懸垂。
眼の前にある光景を脳が瞬時に処理できない。
「――ふんっ! あぁ、葵くん! すこし……ふぅんっ! まってて。今……96回……!」
ぐんっ! ぐんっ! っと身体の上下に合わせて、上腕二頭筋、そして分厚い胸筋がモリモリと盛り上がっている。薄いタンクトップからは明らかにシックスパックに割れた、見事な腹筋が見て取れる。
身体全体を「く」の字に曲げながら、鉄棒に掴まって体全体をリズミカルに上下させているのは、短い髪を綺麗に整えた、筋骨隆々とした身体に、日焼けした精悍な顔。逞しさを絵に描いたような男性だった。
「あ、あれってアーチ……じゃなくて鉄棒ですか!?」
「そうだな。トレーニング用の鉄棒を『薔薇のアーチ』に仕立てている」
「ふぇええ!?」
「――その子が? ふんっ……99! お客様ね、100ッ!」
<つづく>




