葵(アオイ)の浮気疑惑?
「俺が来ない日があろうとも、薔薇に愛情を注ぐべきは紅葉。家主たるお前じゃないのか、という話さ」
葵はそう言うと、萎れた薔薇の花がらをまた一輪、摘み取った。鋏の音が朝の庭に響く。
「そ、そうかもしれないです。……けど」
「けど、何だ?」
「私は、植物を枯らすのが得意で、一人で世話をするのはまだ自信がないですし。出来れば、これからも……その」
毎日でも来て欲しい。とは言えなかったけれど。そんな気持ちがある事に今さらながら困惑する。
「例えばの話だ。俺もこの時期は忙しいから」
意外にも簡単でそっけない答え。葵の真剣な視線は、薔薇の葉の裏に注がれている。害虫が潜んでいないか丁寧にチェックしているのだ。
「そうですか、お店の手伝いですよね?」
「あぁ。生け垣の剪定やら、植え込みの刈り込みやら、この時期が一番忙しいからな」
「なるほど……。薔薇のお手入れだけじゃないんですね」
「食っていくためには仕方ない。あの頭の固い親父とは喧嘩ばかりだが……」
「それはそれは、大変ですね」
紅葉は事情を知って内心ホッとする。それに葵の家庭事情もなんとなく分かってきた。
日本庭園一筋で職人気質の親父さん、それに対して「薔薇の庭を作りたい」と宣う息子。
反りが合わないのも当然か。
それでも葵の職業としての肩書は庭師であることには変わりなく。薔薇庭師なるものを目指してはいるけれど、日向造園の一人息子。となれば「伝統的日本庭園」の仕事も手伝わないといけないのは当然だろう。
「先日からもう一軒、薔薇の手入れをして欲しいと頼まれた家もあるし」
「えっ!?」
思わず紅葉は小さく声を発し、慌ててカーテンの影にさっと顔を隠した。今度は抑えが利かなかった。
葵は他の家でも、薔薇の手入れをはじめたといった。
「まぁ、ここに比べれば花の種類は少ないが、家主様の情熱ははるかに凄いな」
なんとなく嬉しそうにも見える葵の横顔に、もやもやとした胸のわだかまりを感じる。
「じょ、情熱……」
自分にはないもの、その一。
思わぬ方向でのライバル出現である。
「向こうのお宅では、ハイブリッド・ティーやイングリッシュ・ローズといった、最新の華やかな品種が好みらしくてな。真っ赤な薔薇のアーチを庭に作るのが当面の目標らしい」
「そ、そうなんですか。それはそれは、綺麗そうですね、へぇ……ふぅ……ん?」
引きつった顔で紅葉が相槌をうって、そこでハッと息を飲む。
ついにわかった。これは……浮気相手の自慢を聞かされているような、そんな気持ちなのだと。
仄暗い嫉妬心が、ふつふつと湧き上がってくる。
「お茶菓子も手作りのクッキーに、自分で育てたハーブを使ったハーブティーだし、すごいな」
自分にはないもの、その二。
「て、手作りクッキーにハーブティーですと!?」
愕然とする紅葉。なんという高スペックな家主さんなのだろう。きっと美しい若奥様か、色っぽいマダムに違いない。ぐぬぬ……と、身勝手な妄想を膨らませ、歯ぎしりする。筋違いも甚だしい嫉妬心が膨れ上がる。
「だ、だから最近来る日が減って、昨日は来てくれなかったんですか!?」
――な、何を言っているんだ、私。
庭師なんだからあちこち訪問して当たり前、それなのに、それなのに……と赤面する。窓にかかるカーテンから顔を出した紅葉に、怪訝な視線を向ける葵。
「いや、別にそういうわけじゃ……。月曜は定休日なのだが」
「……定休日?」
「あぁ。今日は火曜日の営業日。だから、まずは最初にこの家に来たんだ。一番心配だし、大切な庭だからな」
「一番……大切……」
余計な単語はカットして、紅葉の脳内に都合のいい響きだけが反響する。ほわーと表情が思わず緩む。
今なら、負ける気がしない。薔薇の庭のライバル(?)憎き浮気相手の素性を知りたい。
「ち、ちなみに……新しい薔薇の庭をお世話する、お宅は……どんな方がお住まいで?」
まさか優雅にピアノでも弾いているようなうら若き乙女か、若奥様か……。それが知りたい。
「一人ぐらしの……」
「マダム!?」
「何を言っているんだ紅葉は」
「すんません、つい」
「一人でお住まいなのは紅葉と変わらないな。隣の地区の薫さんという方で……」
「かっ……!」
薫。可愛らしい名前。可憐な容姿と白いワンピースが似合う、黒髪の乙女か。
窓辺で白眼を剥きそうになる紅葉を、呆れたように冷ややかな視線で眺めつつ、ため息をつく葵。
.
「……まぁいい。そこの家主さんは男だぞ」
「おと……こ?」
「そうだよ。中年の一人ぐらし」
「男ぁおおお!?」
薔薇の庭、情熱の赤、中年男。
でも名前は薫と可愛らしい。
単語と映像が、脳内で混乱し一致しない。
「なんでも東京で働いていたんだが、ユーターンして地元に帰ってきたんだと。誰かさんと似ているが、筋肉ムキムキのおっさんだ。ありゃぁ元特殊部隊か何かだな」
葵が遠くを眺めつつ、呟く。
「……独身、中年男性、薔薇?」
なんだろうこの胸騒ぎ。何かひっかかる。
「いかつい顔に似合わず、奇麗好きで、小まめに庭の手入れもしている方なんだ。俺が薔薇に興味があるのを知って、親父を通じて声をかけてくれたんだ」
ちょっと嬉しそうな葵。無邪気さが可愛らしく見える。端正な顔立ちの葵。性格はともかく、細マッチョ。
って、つまり……その筋の人には大好物なのでは!?
「アァッ!?」
「なんだ騒々しい」
危ない! 葵さんが危ないの!
「葵さん! 家に軽々しくあがっちゃダメですよ!?」
ガターンと思わず椅子から立ち上がり、窓枠から身を乗り出して叫ぶ。
「お前、何か変な想像してないか? 目が血走ってるぞ」
「お、お前に薔薇を咲かせてやるみたいな、そういう隠語の出てくるゲームなら沢山プレイしていますからっ! わかるんです」
「しらねぇよ!」
そこまで言って、しまった。と今度は顔を青くする。トーンダウンしつつ、変な笑みで誤魔化す紅葉。
「……なんなら見てみます?」
「少なくともお前の家にも上がらんわ!」
「そんなぁ!?」
<つづく>




