薔薇の世話と、ニート家主の世話
◇
2日ぶりに葵がやってきた。
朝から首を長くして今か今かと待っていた紅葉だったが、「代わりに害虫退治をしてくれるから嬉しいだけで、べ、別に待っていたわけじゃないんだからね!」と、自分に言い訳しつつ、表情を引き締める。
「庭の世話をしに来た」
「どうぞ、おねがいします」
愛想のないイケメンが庭を世話しに来たと告げ、挨拶を交わす。
「今日はついでに部屋の掃除と食事の世話もお願いします」
冗談をかぶせた紅葉に対し「……あ?」と、視線を鋭くする葵。口元は小馬鹿にしたような半笑い。
「いえ、葵さんはお世話全般が好きなのかな、と思いまして」
例えば家事や掃除が苦手な可哀そうな女子のお世話も得意だとか……、そんなことはありませんかね?
「世話をしたいのは美しく麗しい薔薇たちだけだ。……ニート家主の面倒まで見る庭師がいてたまるか」
後半は小声でぶつぶつと。ニート家主ってひどい。いやそのとおりですけど。
「ですよねぇ」
「家政婦でも雇うんだな」
「そんなお金ありませんし。だれか無償で働いてくれる人知りませんか?」
「無職でずっと家にいる暇人という、うってつけの人間なら知っている」
「ほんとですか!? ……って私かい」
葵は鼻でふふんと笑うと、背中を向けて庭へと向かっていった。
紅葉は葵との他愛もない会話を反芻しながら、軽い足取りで部屋へと戻る。
あとはポットのお湯でお茶でも入れて、庭で働く姿を見物しよう。
すっかり小奇麗になった居間は、人の背丈ほど有る木枠のサッシを開けると和製ウッドデッキ――縁側と床続きとなる。その先は芝生と薔薇の庭へと続く。開け放つことで開放的な空間が生まれるというとても素敵な造りになっていた。
平屋建ての家屋は大きくこそ無いが、和洋折衷のいいとこ取り。古民家とはいえ設計した職人さんに拍手を送りたい。
開放したサッシの脇、縁側の手前に置かれた低めのチェアに腰掛ける。
ここは藤崎のお祖母ちゃんが座って庭を窓越しに眺めていた場所。庭から優しく吹き込む風がレースのカーテンを揺らし、実に心地がよい。
庭先でかいがいしく働く葵は、いつもと変わらないカーキグリーンの作業用エプロンに、作業用の茶色いブーツ姿。農作業をしているおじさんが履くような黒いゴム長ではなく、ちゃんとした英国製のブーツらしい。でも積んでいるのは軽トラックの荷台なのだけれど。
厚手の手袋は薔薇のトゲを通しにくい牛革製のもの。先日と変わったところといえば、気温の上昇にあわせて、エプロンの内側に着ているシャツが薄手になったことくらい。細身なのにヒョロガリというわけではなく、身体は筋肉質で引き締まって見える。
「病害虫は減ったな……。努力はしているようだ」
「えぇ、毎日頑張って戦いました」
「偉い」
そんな短い言葉でも、ちょっと嬉しい。
「それとな、樹が弱るから『花がら』はこまめに摘むほうがいい」
「はながら? あ、花が終わったやつですか」
「そうだ」
剪定ばさみをエプロンのポケットから取り出して、紅葉に見えるような位置で、やや元気のなくなった赤い薔薇の花をパチリ。萎れかけた花の枝を数センチ下あたりからカットしてしまった。
「まだ咲いてるのにもったいない気が……」
カットした花がらは、足元の金属製のバケツの中へ落とす。その作業を繰り返し、萎れかけた花をカットしてゆく。
「盛りも過ぎた花は、明日には散って芝生の上で朽ちてしまう。それに花後に実を付ける品種もあるから、そのままにしておくと実養分を取られて、後の花数が減るんだ」
「へぇ……! そうなんですか。でも、そのままにしておけば薔薇の実が採れるんですか?」
「あぁ、品種にもよるがイノバラ系を原種とした薔薇からは、ローズヒップという、ハーブティーの材料が採れる。……ハーブティってガラじゃないか、紅葉は」
ぱちんとハサミで古い枝もカットしながら軽く笑う。
「し、失礼な。これでも都会で、オシャレなオフィスレディやってた時期もありますから。もちろんしってますよハーブティ」
「飲み物はいつもコーラか缶コーヒーじゃないか」
「明日からハーブティにします! ローズ……ナントカ茶!」
「いや、結構だ。薔薇の葉を煎じられても困る」
「そんなことしませんよ!」
でも、思い出した。街中のオシャレなカフェテラスで出てきたハーブティを飲んだことがある。出来る女性が通うような店先で、薄味の淡いピンク色のお茶。それがローズナントカ茶だったはず。
「できれば、花だけでなく実も見てみたいです」
「……わかった。秋にオレンジ色や赤い小さな実を眺めるのも、風情があって良いものだ。もう少し後、花の時季が終わりになるころに、いくつかの花は残しておくとしよう」
そうか、花の時季はやがて終わってしまう。そんな当然のことに寂しさを覚える。ならば実を楽しみにするのもいい。
「おねがいします」
「あぁ」
これで薔薇の実の御茶を楽しめると良いな。それまでにハーブティーの煎れ方も勉強しよう。そして葵に出す。なかなかいい考えだと思う。
そうしている間にも葵は庭を忙しく歩き回り、薔薇の花がらはもちろん、一年草や多年草のはながらも摘む。勢いを失って萎れた小花の花がらも丁寧にカット。
更に再び勢力を取り戻しつあった雑草も、見つけ次第引っこ抜く八面六臂の働きぶり。葵のテキパキとした仕事ぶりは見ていて心地が良い。
「働くって、気持ちがいいですね」
「お前が言うか……」
気がつくと、薔薇の花の美しさに気を取られ、どことなく雑然としつつあった庭は、芝生の雑草も取り除かれ、見違えるように綺麗になった。
「……ふぅ、誰かさんも手伝ってくれるといいんだかな」
バケツいっぱいになった花がらや雑草を運びながら、葵がぽつりと言う。
「え? なんですって」
家主たるもの、働いたら負け。そろそろ失業保険も切れてしまうけれど……。こうして働くイケメンの小生意気な職人を眺め、優雅に御茶をすする。これそこが至高。
「普段の手入れを覚えておかないと、俺が来なくなった後の面倒は誰が見るんだ?」
「え……?」
来なくなる?
葵の発した思わぬ言葉に、紅葉の胸の鼓動が微かに速まった。
<つづく>




