園芸兄妹、造園家族
「よう、茜」
店先でで出遭った女性に対し、葵は特段表情を変えなかった。軽い返事をすると、手元のラベンダーの鉢植えに視線を戻す。
「お兄ちゃんが、お客さんを連れてくるとは、たまげたなー」
「……そうか?」
「そうだよー、この前まであんな……」
「黙れ」
「はいはいー」
おどけたような口調で返事をすると、私に身体を向けて一礼。
でも、この前までとは何の事だろう。疑問を抱く間もなく、笑顔と元気な声が押し寄せた。
「兄がお世話になっております!」
「あ、はい……どうも。って、妹さん?」
見るからに快活そうで笑顔の素敵な女性だった。まだ少女のようなあどけなさを残しているのがまた良い。
「一応アオイの妹やってますー」
「一応とは何だ」
「えへへー」
ぺこりと小さく会釈をした彼女は、高校生かと思うほど若々しい。兄譲り(?)の端正で整った顔立ちに、愛嬌のあるパッチリとした瞳。豊かな表情を演出するやや太めの眉。肩ほどの長さの茶色いストレートヘアーを、後ろできゅっと結わえている。
なんというか、仕草がいちいちフレッシュで可愛い。
「おっといけない。いらっしゃいませ、当店の園芸コーナーへ。どうぞごゆっくりしていってくださいねー」
おまけに見事な営業スマイルも披露。
どうやらこのお店の店員さんだったらしい。動き易そうなパンツスタイルにスニーカー。上は地味なトレーナー。胸から膝上までのエプロンには『ホームセンター・コメリン』のロゴがでかでかと入っている。
そういえば紅葉も自己紹介を忘れていた。
葵の妹――茜の言動から察するに、庭師である兄の「お客さん」とは思われてはいるみたいだ。ここは、社会人復帰への第一歩として頑張って挨拶に挑む。
「あ、あっ、わた、私はその、葵……さんに庭を世話してもらっている者で……、木枯紅葉といいます」
できた。始めは思い切り噛んだけれど、できた。遂にニートの巣穴、暗いトンネルから抜け出した、というのは大袈裟か。
「木枯さん、ふつつかで未熟な兄をよろしくお願い致します。ご迷惑、かけていませんか?」
ちょっと心配そうに、兄に対してわざとらしくハの字にした眉を向ける。
「あ、いえいえ、ご迷惑どころか、色々助けられて……。大変お世話になってます。薔薇たちが」
「薔薇! あー、そっか」
「前にも言っただろ。くれ……木枯さんが、藤崎さんの家で暮らしている実のお孫さんだ。名字は違うが」
葵がさり気なくフォローを入れてくれた。
「なるほど、そうだったんですか」
「はい、そうなんです」
営業用の明るい社交的な笑みの裏に、ほんの僅かに、何か暗い影が見えたように思えた。それは単なる思い過ごし、気のせいかもしれないけれど。
紅葉は気を取り直して努めて自然な、笑みを浮かべる。
「しかし葵さんに、妹さんがいたとは」
しかもこんなに可愛いなんて。
「俺の家族構成は説明してないからな」
「そうですけど」
英国紳士然としたカーキグリーンの園芸用エプロン姿の葵。そしてホームセンターのエプロン姿の妹、茜さん。兄妹で園芸コーナーで出くわすあたり、なんとも似通った園芸兄妹といったところか。
「似てますね……同じ遺伝子を感じます」
茜はどうやら園芸コーナー担当らしく、ホースで散水を始めたところのようだった。テキパキと動きながら、時折こちらを気にしながらチラチラと見ている。
「ったく、ちゃんと働けよ茜」
「妹さん、可愛いですね、おいくつなんですか?」
「19。高校を出てここに就職して……ひよっこだな」
「じゅーきゅーさい!? 若い……最近までJKだったんですね」
はぁ……とため息混じりに目を細めて、嫋やかに動く身体や、細い指先、そして魅惑的な細い首筋に見とれてしまう。紅葉のように人生を挫折して、腐ってしまうことなんて無いのだろう。笑顔がとても眩しい。
「厭らしい目で見るな」
葵が苦々しい顔つきで紅葉の視線を遮った。手には「虫よけハーブ」とポップの付いた何かの鉢植えを持っている。
「そんな目で見てます? 私」
「見てる、湿った目つきで」
「うぅ、ちょっとショックです」
気が付かないうちに、独身中年男みたいな目つきになっていたなんて……。おもわずゴシゴシと目をこする。きっと腐ったゲームのやり過ぎなんだわ。
「紅葉の中身はオッサンか?」
「それが家主に対する口の利き方ですか」
「言いたくもなる」
ぐぬ……っと、ちょっとだけ睨み合う。
「ふーん、妹さん思いなんですね。……だからこの店に来たんですか?」
紅葉もやられっぱなしでは気がすまない。反撃とばかりにニヤリとしながら葵の横顔を窺う。どうやらこの男、薔薇狂いの変態に加え、シスコンの気もあるらしい。
「ばっ……!? か、勘違いするなよ。この辺りじゃ園芸用品が手に入る店が、このホームセンターしかないからだ」
「そうですか、そうでしょうとも」
「べ、別に妹の様子を見に来たわけじゃないんだからな」
「おほぅ……!」
典型的なツンデレぶりを見られるとは思わなかった。イケメンがあたふたする様子は実に眼福である。
「いいから、薬を買って帰るぞ!」
「あ、はいはい、そうでした」
葵に背中を押され、園芸コーナーの奥、屋根のかかった店舗部分へと進む。そこで、目的のスプレー式の殺虫剤を二種類ほど見繕って、買い物かごに入れる。
結局、葵と紅葉は、可愛いビオラや各種一年草の苗、多年草のラベンダーの苗もちゃっかりと買ってしまった。
締めて合計、3800円。実に一週間分の食費である。
「でも、これで虫もいなくなり、可愛いお庭になるんですね」
「なる。てか、そうなるように努力する」
園芸なんて、つい先日まで全く興味がなかったというのに、まんまと葵に乗せられた気分だ。でも悪くない。久しぶりにお日様の下でのお買い物は、なんだかとても楽しい。
花や植物を育てるのって、意外と楽しいのかも。気分が軽くなって……って、もしかして。
そこでハッと気がつく。
「もしかして、葵さん」
「なんだ?」
「このお店の回し者……とか?」
「はぁ!?」
「ほら、妹さんが園芸コーナーの店員さん、葵さんが庭師さん。ってことは、お父様がこの店のオーナーで、お母様が専務だったりしません?」
ありそう、あり得る。つまり全ては陰謀。私のなけなしの財産を狙って。茜さんの可憐な笑顔の裏には「カモをつれてきた、ニヤニヤ」という思惑が隠れていたりとか。
楽しすぎた反動か、一気にネガティブ思考に振れたのか、さまざまな疑念が溢れ出した。
「なわけあるか!」
「でも、でも」
「言ってなかったか? うちは、代々造園業だ。親父は庭師、お袋は経理担当。店の名前は軽トラに書いてあるだろ」
片手にホームセンターのビニール袋を下げた葵が、駐車場を指差す。
そこで初めて気がついた。
軽トラのドアに黒い筆書きの書体で、店名が書かれている事に。
――日向造園 ~伝統的日本庭園・魂~
「あら?」
「親父は日本庭園一筋と言って憚らない頑固者だが、俺は違う。英国庭園……ローズガーデンがやりたいんだ」
~伝統的日本庭園・魂~
どんな人物かだいたい想像がついた。白髪交じりのタワシ頭にねじり鉢巻き、作務衣を着てキセルを吹かすような、ガンコな職人さんなのだろう。
薔薇なんて全部引っこ抜いて、松とツツジを植えそうな感じの。
「そ、そうだったんですか!?」
「だから藤崎さまのお屋敷、紅葉の家は、せめて俺が薔薇の世話をしたいんだ。理想の庭を、作り上げるために」
「葵さん……」
葵がしっかりとした口調で、自分の薔薇への滾る想いを語ってくれた。その言葉に、真剣な眼差しに心動かされる。愚かしい疑念がすーっと消えてゆく。
「そんな話、初めて知りましたよ」
「マジか……話してなかったか?」
「してません。私を最初に薔薇殺しなんて罵ったあたりから」
「すまん」
「もういいですけど。……よろしくおねがいします」
「こちらこそ」
ぎこちなく、改めて挨拶を交わすと、二人でそれぞれに買い物袋を手にぶら下げて軽トラへと向かう。
「それと、ひとつ言っておきたいことがある。誤解を解くために打ち明けるが、実は……茜は……」
まさか、血がつながってないとか、許嫁だとか!? あるある、大丈夫よ葵さん、そういうのには耐性があるわ、と身構える。
「な、なんです?」
ごくり、と生唾を飲み込み、耳を傾ける。
葵が長身を縮め、紅葉の耳に合わせて顔を近づける。気がつくと、心臓の鼓動が速い。
そして、周りに聞こえないような声で、ささやく。
「……この店の品揃えと価格、動向を調べるために親父が送り込んだ……スパイなんだ」
「はぁ!?」
<つづく>




