ホームセンターの花園で
フポポポ、と軽いエンジン音を響かせながら軽トラックはひた走る。
葵の運転する軽トラックが向かう先は、車で20分ほど走った先にあるホームセンターだ。
フロントガラス越しには、綿雲の浮かぶ心地の良い青空がひろがっている。山あいの集落を抜けると広がる田園風景。田植えが終わったばかりの田んぼには水が張られ、空と雲、遠くの山並みが水鏡のような水田に反転して映っている。
バックミラーを覗くと、紅葉が暮らしている家の赤い屋根が小さく遠ざかってゆく。
運転席でハンドルを握る葵の隣で、ちょこんと借りてきた猫のように腰掛ける紅葉。
「……」
「……」
車内は無言。
出発してからすでに5分。二人は何を話すでもなく無言のままだった。
なんとなく気まずい空気が流れている。
よく考えたら、若い男性の運転する車の助手席に乗るのなんて久方ぶり。とはいえデートという感じでもない。庭師と家主という妙な組み合わせ。葵は作業用のガーデンエプロン姿だし、紅葉はおよそ余所行きとは言えないジャージ姿である。
――うぅ、葵さん、何か話してよ。
ちらりと端正な横顔に視線を向ける。
運転に集中しているのか、あるいは薔薇の害虫駆除について考えているのか、視線はまっすぐ前に向けられている。
紅葉はカーオーディオのスイッチに手を伸ばした。CDでもなんでもない、今どきラジオだけという古臭い機種である。丸いツマミを回すと、質の悪いモノラルスピーカーから音声が流れてきた。
『ザザッ――息子の部屋で女性用の下着を見つけて、驚いてしまって……』
『それは、息子さんがご自分で買われたものでは?』
『――いえ! どこからか、盗んできたのかも……』
『何故そうだと思われたんですか?』
『使用済みという感じで……』
『使用済み……ですか』
「ぶっ!?」
「……くっ」
ラジオから流れてきたのは、真剣な人生相談番組らしかった。しかしその相談内容に、思わず噴き出しそうになる。息子の部屋で女性用下着を発見。それは母親にとっては卒倒しかねない一大事だろう。母親らしき女性の声も心なしか震えている。
「相談員、何を聞いていやがる……」
さすがの葵も笑いを押し殺すようにしてツッコミを入れ、口元を歪めている。
「ほ、ホントですよね」
「使用済みって自分で穿いた可能性もあるだろう」
「ありますよね……って」
「……すまん」
「いえ」
しまった。ますます気まずくなってしまった。ラジオの音量を下げる。
そういえば、ジャージの胸元、開き気味だったかもしれない。とはいえ今急にジッパーを上げたらそれこそ意識しているみたいで不自然極まりない。
ここは話題を変えよう。葵の好きそうな話題に。
「しかしそのー、あのー、虫には困ったものですよね」
「あ、あぁ……!? そうだな、なんとかしないと」
よし、うまく話題を逸した。薔薇狂いの葵さんなら、此処から先は自分の得意分野、勝手に話題を広げてくれるだろう。
「害虫を手で取るなんで無理ですし」
「うむ、いささか不本意ながら薬剤に頼ろう」
ハンドルを握りながら、紅葉に顔を向ける余裕も出てきたようだ。
「できれば強力なやつでお願いします」
根こそぎ全滅させるぐらいのやつ。
「あまり強い薬剤だと劇薬扱いなって、購入時にハンコが必要になるんだが」
「え!? そうなんですか?」
「悪用したりする人間もいるからな、身分証明が必要になる」
「そ、そうですか、そこまで強力なのは不要ですよね」
「では市販のスプレー剤でいいだろう。それでもアブラムシや薔薇の害虫の殆どは駆除できるんだ」
「はぁ……そうですか」
「特に効くのは――」
微妙な話題を続けながらも、気がつくと村を抜け郊外の幹線道路へと合流。車通りの多い道を走り、やがて町中にあるホームセンターの駐車場へと滑り込んだ。
平日の昼前ということもあり、ホームセンター・コメリンの駐車場は空いていた。外まで軽快なテーマソングが聞こえてくる。耳に残る曲が延々と繰り返されていた。
車から降り立った二人がまず向かったのは園芸コーナー。薬剤もその奥の商品棚にあるらしい。店頭で大きな売り場面積を占めているのは、自転車や資材を売るコーナーだ。けれど色鮮やかで華やかな園芸コーナーの方がお客さんも多く、賑わっている。
「わぁ、可愛い!」
思わず小さな歓声をあげてしまうほど、色鮮やかな花々が並んでいた。
色とりどりの草花の苗が所狭しと並んでいる。どれも花壇やプランター向けの一年草のポット苗らしい。種類も色も豊富に、これでもかという程に取り揃えられている。
売り場にはふわりと甘い芳香が漂い、惹き寄せられた蝶のように、フラフラと花売り場の通路へと吸い込まれる。
控えめな小花がとても可愛いビオラ、白い小菊のような可憐なノースポールに、元気になりそうな黄色いゴールドコイン。それぞれ値札と共に名前や育て方のポップが書かれている。
庭やプランターに沢山植えたら、どれもとっても可愛いと思う。
「この時季は一番草花が出揃うからな。紅葉が気に入って欲しいものがあったら、買っていっても構わない。庭の花壇にも余裕はあるし……」
「ホントですか!? わぁ」
「費用は家主さんの負担だが」
「ですよねぇ」
喜んで損した。当たり前の話だけれど、葵はあくまでも庭師。お金を払うのは家主たる紅葉なのだ。
それでも金額を見るとさほど高くはない。スミレのようなビオラが1ポット80円。特売のカップラーメンよりも安いうえに可愛いと来た。
葵もいろいろとポット苗を眺めている。薔薇の根本に植えるのか、ラベンダーの苗を手にしている。
説明書きには一年草に多年草。葵がさりげなく「1年草は今年限り、多年草は来年も咲く種類な」と囁いた。なるほど流石、庭師さんは植物全般に詳しいみたい。
頼りになるアドバイザーを引き連れて歩いてゆくと、バラ苗の売り場があった。それも一段高い雛壇のようにして飾られている。
「あ、葵さん! 薔薇! バラの苗ですよぅ!」
「うむ、当然だが、園芸植物売り場では高額商品だからな」
赤やピンク、黄色など、色とりどりの花が咲いた状態の苗や鉢植えが売られている。
値札を見ると確かに高い。1980円、2980円、大きな苗になるともっと高額だ。鉢植えになると5000円を超えてしまう。
一際目立っているのは豪華で、血のように濃く赤い大輪の花をつけた薔薇。『ミスター・リンカーン HT』とある。花は整っていて花弁の先は尖っている。薔薇のらしい薔薇というか、威風堂々といった感じがする。
「名前がミスター・リンカーンですって! 大統領!?」
「第16代のアメリカ合衆国大統領にちなんだ名前だな」
「へぇ! でも、後ろの『HT』ってなんですか?」
「前にも教えただろう、ハイブリッド・ティー。交配種だ」
「あ、なるほど、種類の表記なのね」
隣にはピンクの花をつけたバラの苗。オールドローズにに似た濃い色合いの花をいくつか付けた苗が、ぐるぐる巻きの鉢植えで売られている。
「『レオナルドダビンチ CL』、こっちは偉人の名前!」
すごい、薔薇のネーミングって、お姫様や王様だけじゃなくて大統領や歴史上の偉人もいるのね。なんというセンス、いや薔薇に対する作出家の自信だろうか。
「ちなみに、訊かれる前に言っておくが『CL』はクライミングローズの略。フェンスやパーゴラに絡ませる、『つるばら』のことだ」
「勉強になります」
「それでもって、『FL』の表記はフロリパンダローズの略。香りは弱いが小柄で花持ちがよく、鉢植え向きだ」
「は、はぁ」
「『ER』は救命救急とは関係ない、イングリッシュローズの略称だ。これはオールドローズをベースとした英国の種苗会社の商標で、花姿は美しく豪華でオールドローズに似ている。香りも強いがやや花持ちが悪いのが弱点だな」
「御高説ありがとうございます」
スラスラと饒舌な葵に思わず顔がほころぶ紅葉。やっとここに来て本来の調子を取り戻したみたいだった。
「いいか、紅葉は薔薇屋敷の家主なんだから、すこし薔薇や植物全般について勉強したほうが良いと思う。園芸本も店内に有るから、数冊買って勉強したらどうだ?」
「えぇ? その費用は私持ちなんですよね」
「無論だとも」
「もう!」
「買うのが嫌なら、俺の薔薇の育てかた書籍ライブラリから貸してやってもいいが」
「それなら借ります」
あれ? なんだか今、私ちょっと楽しいかも。
気がつくと外のお日様の下で笑ってる。なんというか、ショッピングデートみたいな気もするし。ってそれは勘違いだけれど。
それでもこうしてホームセンターの園芸コーナーにいると、目にも優しい花々に、甘い香りに満たされて、気分まで軽くなった気がする。
花の力ってやっぱりすごいのかも。
と、その時だった。
「お兄ちゃん?」
不意に女の人の声がした。
振り返るとそこには、私よりも若い女性が立っていた。
それに今、なんと?
お兄ちゃん……って、まさか。
<つづく>




