ルイーズなんて殺してない
「ルイーズを殺したのはお前か」
玄関先に現れた青年が発した言葉に、木枯紅葉は面食らった。
「え? こ、殺したって……、ルイージって誰?」
「『配管工の弟』じゃぁない。ルイーズだ、ル イ ー ズ」
ぶしつけな質問を投げ掛けてきた青年は、まるで旧知の友か、姉妹に対してするようにノリツッコミをいれてきた。うむむ、謎のイケメンなのに一体なんなのこの人は。
しかしその端正な顔には明らかな苛立ちが浮かんでいる。
「ルイーズ……って? あの、いったいなんですか貴方、その、うちにはルイーズという者はおりませんし……、訪問販売なら間に合ってます。ルイーズはいりません。お引き取りください」
「ちょっとまて……」
紅葉はぎこちない作り笑いをうかべ、玄関の横開きのドアを閉めようと引き戸に手をかけた。
訪問販売で怪しげな商品の勧誘を断る時は毅然と、けれど丁重に断るのがセオリーだ。留守番の子供ではないが紅葉は今、この家を預かる身。揉め事、面倒語とはごめん被りたい。平穏な隠居生活は守らねばならい。
「なな、なんですかぁ!? しつこいルイーズの勧誘さんですね、いりません……ってば」
「だーかーら、そうじゃねえって」
「何が違うんですか、ルイーズで健康になるんですか? ダイエット効果抜群なんですか? いりませんったら、いりませ……ん」
「ちょっ、話を聞けぇええ」
ガタガタとお互いに引き戸に手をかけて押し問答。
そもそも「ルイーズ」って何のこと?
目の前の青年――街で見かけたら思わずハッとしてしまうような――は、紅葉が殺した、とかなんとか物騒なことも言っていた。
紅葉が生まれて24年。
用和為貴で人畜無害を信条に生きてきた紅葉は、もちろん誰も殺してなどいない。
そりゃぁ生きていれば一人や二人、殺意を抱いた相手も確かにいたけれど。例えば自分を退職に追い込んだパワハラ部長とか、言い寄ってきたくせに彼女持ちだったクソ同僚とか。
けれど一体この人はルイーズルイーズと、何を言っているのだろう?
某有名ゲームの主人公、キノコを食って大きくなるゲームキャラの弟しか思い浮かばない。
まさしく茸を生やすように、頭に疑問符を浮かべる紅葉を、玄関先の青年は忌々しげな目で睨んでいる。
しかもよく見れば青年は、なかなかのイケメンときた。面長の輪郭に、すっと通った鼻筋、切れ長の瞳。けれど眼光は鋭くて決して女性に向ける物とは思えないし、薄い唇を不機嫌そうに曲げている。
まさに眉目秀麗、街で見かけたら思わず振り返ってしまう観賞用。とは言うものの、いきなり玄関先で「殺した」だのなんだの、物騒な事を言われては興味より怖さが先に立つ。
ここ半年ばかり「引きこもりで無職」に身をやつし、自宅警備を預かる紅葉としては警戒せざるをえない相手だ。
警察を呼ぶべきか、悲鳴をあげるべきか、訳も分からないまま謝っておくべきか。日本人特有の曖昧な表情でフリーズしたまま、頭は高速で空回りを続けている。
しかしそこで「はっ」と思い到る。
ここは片田舎に立つ一軒家。周りは民家もまばらで、タヌキが出没するような山野と田園風景が広がっている。下手に叫んで美形変質者を刺激し、酷い目に遭わされたら困る。叫んでも誰も、こんな世捨て人なんて、誰も助けになど来てくれないだろうから。
「でもヤバイ人だし……」
「聞こえてるぞコラ」
「ひぃ!? ごめんなさい」
地獄耳か。
紅葉が小声でささやいた独り言は、相手にしっかり聞こえていた。
「ヤバイのはお前の暮らしぶりだ、一体なにをどうすれば、ルイーズがあんなことになるんだ!?」
青年は「やれやれ」とでも言いたげな様子で、引き戸から手を離すと小さくため息をはいた。
「わ、わかりました。では聞きますが、そのルイーズさんとやらは……どちらに?」
刺激しないよう、恐る恐る尋ねてみる。
ここは日本の故郷を水彩画に描いたような田舎の外れの一軒家。下手をすると人が住んでいるかも怪しいと思われかねない古民家にすんでいる。そんな場所に、フランス貴族の美少女を連想させる「ルイーズ」なる人物がいるはずもない。
あるのは紅葉の祖母が残してくれたこの家と広大な敷地だけ。
玄関先にルイーズちゃんが行き倒れているのか、この何処かに死体でも埋まっているのか。家の床下や桜の木の根元に……なんて考えるとぞっとしない。
「門柱の横でボッキリ折れているだろう」
「おっ、折れて……!?」
今、とても恐ろしい言葉が聴こえた。背骨とか首とかじゃないですよね。
紅葉は玄関先の美青年を警戒しつつ、身長差20センチはあろうかという青年の横から、屋敷と外の境界線、門柱のある方向に視線を向ける。
濡れた黒い石畳の通路、左右には羊歯が茂り足元を涼しげに飾っている。さらに背の高い雑木が、まるで自然の山野の小道のような景観を引き立てている。
引き戸の玄関扉から10メートルほど離れた位置には、東屋のような形をした門柱があった。
そこには、果たして美少女が倒れているわけもなく、折れた庭木が見えるばかり。背中から無残に折れ曲がった美少女の死体が無いことにホッと胸をなでおろす。
「誰もいないじゃないですか。死体だなんて変なこと言わないでください」
「死体なんて言ってないだろ。そうじゃなくて」
「あれ?」
「まいったな……、きいてないのか」
「何をですか?」
青年の表情はいよいよ曇り、困惑さえ浮かべている。ため息混じりにかきあげる髪はブラウンがかった黒。ややウェーブしていて意外と長い。
目つきは悪いし見た目は良い。確かに得体は知れない人物だが、危害を加えてくる様子は無い。
お陰で相手を観察する余裕も出てきた。年齢は二十歳前半だろうか。紅葉も似たような年だけれど表情の陰り具合のせいか、ずっと大人に思えた。
身なりも不思議だった。前掛けのようなオリーブ色のエプロンを首から下げて、ポケットには分厚い革の手袋が詰め込まれている。その下の服は、英国紳士が着るようなパリッとしたドラッドスタイルの土色のジャケット。そして長めのダークブラウンのブーツを履いている。
全体的に野暮ったいが、清潔感と気品が感じられる。まるで庭仕事をする貴族のよう。
「……いきなりすまなかった。まず謝る。驚かせてすまなかった。ルイーズの無惨な姿を見て……つい取り乱した」
何やら神妙な面持ちで頭を下げ謝罪する。
おもわず釣られて紅葉もぺこり。
「あ、はい……。とりあえず、ちゃんと説明してください」
「ルイーズは俺にとって」
「できればわかりやすくお願いします」
「こほん、そうだな。まず……玄関先で折れている植物を見てくれ」
「うーん、玄関先の門のところのあれですか?」
引き戸に掴まりつつ、顔を出して確認する。確かに植物が植えられている。あまり気にもとめていなかったけれど、途中で折れている。
「あれは、薔薇だ」
「バラ?」
「そう。品種の名前が『ルイーズ・オディエ』。そして、思い出深いとても大切な薔薇だったんだ」
「ルイーズ……って、あぁ、薔薇のことだったんですか!」
「そう何度も説明しようとしたんだが……。まぁそれはいいとして、ルイーズ・オディエは古き系統の薔薇分類される名花の名だ」
ぶっきらぼうな言葉で紡ぐ。ボキリと玄関先で折れてしまっている植物は薔薇で、品種名がルイーズだということか。
それも普通の薔薇じゃないみたい。
――オールド・ローズ。
聞いたことがある。
確かトイレの芳香剤とか洗濯の柔軟剤とか、そのパッケージで見かける「香り」のいい花だ。
「知ってますトイレの芳香剤とか柔軟材……」
「あぁん?」
ギロリ、と青年の瞳が鋭さを帯びる。
芳香剤や柔軟剤の商品名を口にした途端、目の前にいる青年が本気でキレそうな気配を察し、言葉をごくりと飲み込んだ。
「いえ、その……あの。確かに玄関先に何か植物がありますね。ルイーズ草?」
「草とか言うな、薔薇だ。ルイーズだ」
「あ、はい。ルイーズさんですね」
「……あぁ」
すぐ小声でボソッと半ギレ気味に呟くのがこの人の特徴らしい。表情も変えない小声が、かえって怖い。絶対付き合いたくないタイプ。
「思い出した……! 確か一週間ぐらい前、宅急便のトラックがバックして……それで、その後ろタイヤでバキバキーって轢かれちゃったんですよ」
紅葉はさも同情するような表情を無理やり作り、玄関わきの被害者を指さして説明する。事件の成り行きを見ていた目撃者ってこんな気分なのね。と、顔にモザイク、声に音声エフェクトを脳内でかけてみる。
その時はボキボキに折れた薔薇のことなんてまったく気にしていなかった。宅急便のお兄さんも「すいません」と謝っていたし。
紅葉は元々花や植物に興味なんて無い。小学校のとき、アサガオの芽がクラスで一人だけ発芽しなかったのを皮切りに、花や植物にはとことん縁がない。
観葉植物の鉢植えはことごとく、死滅。
丈夫だからお姉ちゃんでも平気だよ! と妹からの誕生日プレゼントとして貰ったサボテンすら何故か枯れてしまった。
筋金入りの植物の殺し屋――。それが紅葉である。
そして今度は、事故で薔薇がお亡くなりに。でもこれは不可抗力なんだからしかたないじゃないの、と思う。
思い返せばここまでの人生、不可抗力の連続だった。就職しておよそ1年も経たずにパワハラ部長にリストラされ、想いを寄せていた先輩には恋人が居て、絶望と失恋の人生どん底に堕ちた紅葉。失意のうちに田舎に引きこもる身にとって、草木の生死なんて、正直どうでもいい些事だった。
気がつくと、青年が背を向けて門柱の方へと歩いてゆく。
玄関の扉を閉めて鍵を。警察を呼ぶなら今よ! と、もう一人の自分が背後で囁いた。けれど、何故か身体は動かず立ち尽くしていた。青年の淋しげな後ろ姿から目が離せなかったから。背中に結ばれたエプロンの丁寧な結び目を追っている。
「……ルイーズ・オディエは、古きバラの系譜、フランスで作出されたオールドローズの名花なんだ。深みのあるピンクのカップ咲きの花容、芳醇でありながら甘い、ベリーのような香りがする」
何やらウンチクを披露しながら、薔薇の折れた枝の横にしゃがみこむ。長いまつげに縁取られた瞳を悲しげに伏目にする。
まるで診察でもするように、祈るように。慈愛に満ちた眼差しで折れた薔薇の枝を眺めている。紅葉はその横顔を美しいとさえ思ってしまった。
傾きかけた午後の日差しで庭や玄関は陰影を濃くしている。
その中に佇む美青年に、紅葉は――
「じゃ……さよなら」
小声で言いながら頭を下げ、カラカラと古い木枠の引き戸を閉めようとした。
元々人と話すのが苦手な上に、人生の敗北を味わい引きこもり生活を始めたばかりのニートダメ女、紅葉。
それに引き換え、玄関先に現れたのは細身で背の高い美青年。普通の恋多き女性なら目の色を変えるだろう。
けれど、今の紅葉にとっては関係のないこと。無関心を装い、目を背ける。
「これは大切な薔薇だったんだ。屋敷の先代、藤崎さまから託された」
「藤崎……って、なんでうちのお祖母ちゃんの姓を?」
玄関の引き戸を閉めかけていた紅葉は、思わず手を止めた。
藤崎とは、藤崎ウメ。この平屋の古民家と土地を残して亡くなった、大好きだった「おばあちゃん」だ。
玄関の引き戸脇には今も『藤崎』の表札がぶら下がっている。
幼い頃、何度か訪れていた懐かしいこの家に、大人になってからこうして一人で暮らすことになるなんて思ってもみなかったけれど。
まさか青年は、藤崎のお祖母ちゃんを知っているのだろうか?
青年はすっと立ち上がり、一礼をする。
「申し遅れたが、俺は……日向葵。この屋敷の管理を任されている、庭師だ」
と言った。
視線はまっすぐに紅葉に向けられていた。そして、新しい家主となった紅葉に向かい、非礼を詫びるようにもう一度、ペコリと小さく頭を下げた。
「に、庭師……!? き、聞いてませんけど……」
「付け加えるなら、薔薇庭師」
「いえ、そこじゃなくて」
庭師だけでも驚きなのに、薔薇庭師とは一体何? いえ、読んで字の如くローズ、つまり薔薇を育てることを専門とする庭師さん、ということだろうか。
「明日から通わせてもらう。新しい家主に薔薇たちが殺されないように」
「え、えぇ……っ!?」
紅葉は素っ頓狂に叫んだ声は木々と山野に阻まれて、近隣住民に届くことは無かった。
<つづく>




