第二話(シリアス)
題名は同じですが、違う作品です。
私は都会の喧騒に脅え、それに耐え兼ねて、一度立ち止まり、仲間はいないのかと、辺りを見回してみた。踏み切りの前で足を止めて腕まくりをする少女、これからの長い人生航路を見据えている。街頭モニターには生真面目な表情で凶悪事件を伝えるアナウンサーの姿。あなたの叫びがこの時代のシンボル。別れた男との真剣な約束を、かたくなに守り通す女、言われたそばから忘れている女、どちらも、この時代を反映している。今日が初出勤の新入社員、旧友の忘れ難い言葉は心の成長を促している。
空を見上げて死んでいった友たちに思いを馳せる老人、どれもたった一度の人生だった。次第に薄れてはいくが、忘れていいはずがない。昔、毎日のように通った旧友の家、すべてが変わっていく中で、どうなっているのだろうか? 今は思い出だけが住んでいる。慎ましい画廊で自分の作品を紹介する新人画家、まるで我が子を紹介するような面持ちで。夢中になって、依頼されたドラマを書いているうちに人生のシナリオを忘れてしまった脚本家、果たして思い出すときは来るのだろうか。理想の自分は手を伸ばすほどに遠ざかっていく、まるで砂漠に浮かんだ蜃気楼のように。それができるのならば、億万長者になれるとわかっていても、他人の心をつかむことほど難しいものはない。
地方から初めて都会に出てきた女の子、心にカーテンを閉め忘れ詐欺師の餌食に。独りで泣くことは取り戻すことではない。凶悪犯罪に脅えて、たった数百メートルの通学ができない女子児童、激しい雷雨に傘が開けない男子学生。交番の側面にいつまでも貼ってある凶悪犯人の手配写真、市民に余計に恐怖感を与えているようで。目上の人には大声で挨拶しろと部下を怒鳴りつける部長さん、まずあなたが頭を下げることを憶えなければ。足が不自由な老人を嘲笑う若者たち、20年後の自分を笑っている。経験が無ければ未来を見通すことは出来ない。経験が積まれた頃にはすべて遅すぎる。この交差点を慌てて踏み越えても、どうせ次の信号で足止めを喰らうに決まってる。すっかり客が離れて途方に暮れる蕎麦屋の店主、正面に出来たばかりの牛丼屋の看板を睨みつける。
現実はどんどん捻れ曲がっていく、支配者ですら予想がつかない。次々と説明のつかない事件が起こされる。五年前とはまるで違う。十年前とはもっと違う。たしかに通じていたはずの道が、今はどこを見ても存在しない。何もなかったはずの野原に広い道ができている。拳を握りしめて線路をトントンと叩き、歪みを直そうとする少女、歪みを気にせず一気に突き進んでいく少年、どちらの未来も危うい。どちらも私にとっては過去の自分。
『そうか、わかった』と呟いて立ち上がり、階段をつたって一段下の道路に踏み込んだ少女、人と同じ方向に進んでいくだけが道ではない。何とか答えを見つけ出したようだ。彼女は雨模様の街を懸命に走り出す。懸命に遅れを取り戻そうとしている。声をかけてやりたいが、私の足ではとても追いつけない。その後ろ姿も、霧もやの中に紛れて見えなくなっていった。『自分だけが美味いものを喰らえばいいんだ』そう考えている人間が支配しているから、この国はよくならないんだ。少年はそう呟いてじっと前を見据えた。
電車の中に鳴り響く赤子の叫び声、『うるさい』と怒鳴りつける会社員、それを見て何も言えずため息をつく読書家、その大人げない態度を情けないと思う他の乗客、単純な思考から同調する乗客、睨みつける視線たちに、すまなさそうにする母親、泣き続ける子供、結局誰も解決は出来ない。
横断歩道の前で一時停止をしないまま走り去るタクシー運転手、乗客への愛想はいい。『お金さえ払ってくれれば』道の途中から上機嫌になり人生を語り出す。『昔はよかった』
立派な黒スーツを着込んで少年漫画を読み耽る、中年のサラリーマン、持っていたはずの知識がどんどんと薄くなっていく。仮想空間の楽しさに比べれば、現実の政治経済など口を出す気にもならない。新聞に100円を払うのも馬鹿馬鹿しい。『なるようになれだ』
サングラスをかけた若者が履いているジーンズ、灰色の都会を蒼く染め上げていく。子供の頃助けてくれた友にまた会いたいと願う青年労働者、相手もきっとそう思っている。二人きりなのに会話もなくうつむきながら歩くカップル、『このまま進めるだろうか』社会の未来を案じている。みんなが不幸なときに自分の幸せだけが続くとは思えない。中華料理屋で集まり、アルコールを貪りながら最近は若者の質が下がったと、ドンチャン騒ぎをする主婦の集団。『すいません、その店は禁煙なんですが』
道路にしゃがみ込んでゲームに興じる金髪の若者、その一秒も誰かとの差が開いていく。売れっ子歌手に憧れて、アルバイトで一生懸命貯めた金をはたいて高いギターを買った若者、あなたの今こそがライブ。互いに手をとりながら楽しげに通りを歩く二人組の女子大生はすでに20歳の若葉、めくるめく会話が楽しいだけ、こちらを振り向きはしない。高笑う声を交えながら色紙のような会話が飛び交っている。遅刻をしていても、化粧だけは欠かさない女性社員、夢だけは南洋の島に飛んでいく。地図をくちゃくちゃっと丸めるように人生はワープ出来ない。早く27歳になりたい人、27歳に戻りたい人。若い頃惚れた少女の微笑みは、今も心に生きていて、明日への活力になっている。
駆け巡るJRは爆発音のようながなり声をあげる。鉄橋の下にいる人民のことを考えているか。SOS SOS 帰り道、会社に残してきた不安をまた思い出す。過去の作家たちの壮大なる空想を、未来の重々しい現実たちが押し潰していく。そこには揺るぎない道徳も本当に興味深いジョークもあったのに。ゴットン、ゴットン。ああ、ジョイスはヘミングウェイはどこへ埋もれてしまったのか。宝物を失っても誰も気づかない社会。宣伝広告も無神経になってしまった。しかし、こんな僕をも満足させる音楽がある。
雨粒が落ちてくると無性に寂しくなり、傘についた水滴を無言で見つめる会社員、雨ではない何かに脅えているのか。大きな願望を持ってそこから飛び込めと命令されれば行きますけどね、その前にパラシュートの使い方を教えて下さい。あなた、こんな危険な仕事なのに保険にも入ってないんですか。どんなに正論を並べても、『俺の言うことを聞いてくれ』と大声を出すならば、変人扱いをされる社会。政治に自己主張はいらないんです、欲しいのは連帯だけ。そうぶつぶつと呟いて、誰か名もない人が通り過ぎていった。
『おうい、君も一緒に行こうよ』
声がする方を振り向いてみたが、呼ばれたのは結局私ではなかったようだ。何人かの幸せそうな女性が同時に手を挙げた。昨日、万馬券が当たったと喜ぶ清掃夫、本当にそこが運の使いどころだったのか。何があろうと残酷に続く日常。絡まった電話線、針のないホッチキス、折れた定規、インクの切れたボールペン、腐りかけたサボテン。テレビで聞いたことのある文句の本ばかり店頭に並べる本屋さん、おじさん、あなたが本当に売りたいのはその本ではないでしょう。権力に逆らう本はすぐに廃刊になる仕組みなんだそうで。
サラリーマンは傘が飛ばされるような天候の日でも出勤するんです。上司に叱られるからですか? それとも、会社の規則でそうなっているからですか? 違います、周りのみんなもそうしているからです。無事に職場に着けば、他人を叩き落とすしか選択肢がない狩人、それでも日曜ごとに家族の笑顔を見るのが楽しみ。誰かの不幸で自分の時間が削られる。誰かの幸せで自分の貯金が減る。式場で写真を撮るからさあ笑えと言われたってこれじゃあ。あれ、君はなんで会社の支柱にしがみついているんですか?
『こうしないと、社会から振り落とされてしまいそうで』
道端で楽しそうに犬や猫に餌を配るおばさん、その隣に倒れている浮浪者には目もくれない。どんな病状でも『そうでしたか』で片付けてしまうお医者さん。人生はどこからでもやり直せると信じている20代の夢追い人、人生は一度しかないと思っている10代の受験生。今はだらけてもいい、ゴールが見えてきたら全力で走り出せ。取り合えずの祈りは捧げておいたと胸を張るお坊さん、金勘定に夢中で現世に与える力は何もない。
脱ぎ捨てられたサンダル、ようやく回り出した扇風機。もう、夏は終わる。今年はあのバンドの曲を聞かなかったな。ツバメが巣を作ったことを知らせる案内が掲示板に貼られた。通りがかった善人の自己アピール。クーラーの風が寒いと訴える薄着の女の子、都会人の盲点を指摘している。埃にまみれいつの間にか見えなくなった望遠鏡、本当は二等星だって肉眼で見えるんだ。ぼやけているのは誰のせいだ、産業のせいだ、それなら、俺たちのせいだ。全員が回り回って何か悪事に関わってるに違いない。
なかなか進まない腕時計、早く動き過ぎる置き時計、アインシュタインもうかうかできない。そうだ、見る人によって時間の進み方は変わるのだ。誰にも説明出来なかった理論。第二のマルクスが日本のどこかを歩いている。
もう、そんなに時間が経った? あの頃だって、記憶の中ではカラーのままだ。彼女の手を引けばほら、いつでも戻れると思っている。ほら、バンと鳴ったぞ、僕が一番注目しているレース、黒ずくめのドレスの少女が風を切って走り出す。あれでまだ5年生だと言うじゃないか。ほら見ろ、校庭を一番に飛び出して行ったぞ。これこそ胸に刻みつく憧れだ、生涯記憶に残る画に違いない。一瞬の思い出が出来たよ。それでも僕は恐くてシャッターが切れなかった。誰かに思い出を覗かれるのが恐くて。だから、セピア色に染まった時間の中を、今も少女は駆けている。あの時の姿のままで。
早く進めばいいと思っていた時間、本当は何より貴重なものだった。あの時、写した写真、今も残っているなら見せておくれ、今でも財布の一番奥に入っている。それからの記憶は散々だった。思い出そうともしないから、何時の間にか踏みつけられて記憶の一番底に。それでいいの? そんなことはない。君の道のりは立派なものだ。家族は励ましてくれる。今、もし出会ってしまったら、すべて崩れてしまうに決まってる。思い出は一番美しい。出会ったみんなにそう思わせるから、美人の責任は重いんだよ。母親は洗い物をしつつ軽く笑いながら。そんなことはない。あの子は今も朗らかに笑っているに決まってる。希望は大きかったが、自分はここまでしか来れなかった。彼女がどこかで幸せならばいい、そう思える人間になれた。そう思えることが大人になったということなのか。自分だけを褒めていた自分から、自分を創ってくれた人々を褒められるようになること? この厳しい社会の中では余りに薄い氷だ。そんなもの誰も評価してくれない。行き過ぎる人は、常に冷たい視線を向けるだけだ。過去を晒すことは単純な幸せに直結していないからだ。
財産を作れ、家族を作れ、役立つ友人関係を作れ。みんな、それだけを命令されて動いているのか。皆が単純思考で生きているんだ。企業社会とはなんて単純なゲームだ。ふるい落としさえなければ誰にでもできそうだ。入社から数年後の地位を計算してから志願票を書く狩人。食堂は嫌いな人間のそばに座らないゲームだ。オセロより簡単だ。けど、積み重ねが大事だ。あいつが手前に座ったら自分はその後ろだ。相手はテレビに夢中だ、気づいてやしない。同じ人間が一度も隣席しない確率、計算出来るかな? 知らないうちに派閥が色を分けるマスゲーム。おほん、偉い人は言いました。周りの人間をすべて好きになれって、そりゃ無理だ。睨まれたら睨み返すだけさ。孤独がさらに孤独を生む。癌になった人が偉そうに傷口を見せている。そうすることで願をかけているのか。そういえば、人はみんな弱いもの。嫌な人間の、未来の姿も見てみたい。どんなに興味を持った通行人も、たった一度きりの出会い。絶世の美人、浮浪者、悪党、靴紐が解けているだけの人。今頃、ナイフが胸に突き刺さっているかも。
明日はもっと強い風が吹け。自分以外は歩けなくなれ。自分の胸を苦しめるものは、すべて吹き飛ばされてしまえ。毎朝同じように電車に押し込められている人々、異常な日常をまやかしの物語で忘れようとしている。新聞だけが聖書。いいか、どんなに悩みが深くても、絶対にホームから飛び込むなよ、俺にだけは迷惑をかけるなよ。眼鏡のひ弱なサラリーマン、それだけを念じているのかもしれない。身勝手なのはお互い様さ。僕も君も結局は狂っているのかもしれない。大きな黒いバッグ、何が詰まっているんだい? 死体が入っていてもわからないね。これから出張だって。あいつらだってうまくやったものさ。改札を鳴らしてしまう人、一度首をひねって後ろへ下がる。群衆に注目されてしまった。今日は運が悪かっただけさ。
僕は都会を見渡すカラス。最近はスーツばかりじゃなくなったね。比率が変わったんですって。なるほど、最近の女の人って頑張っちゃうから。昨日嫌なことがあったから、今日はついている日かい? 心情的にはそう思いたいものさ。そう思ってなきゃ毎日同じことなんて出来ない。テレビを見てみな、人間の人生なんてバイオリズムはだいたい同じさ。えばり腐ってうんちくを語ったあいつも3年ともたないだろう。今は輝きが足りなくなって悔しいだろうが、あいつにはより大きな落とし穴が待っているのさ。税金か、税金の問題だな? 君はそう考えながら、毎日を耐えているのかい? そうさ、人生を変える本なんてのがよくあるだろう? あんなのを盲目的に信じて、幸せになった気になっている人間は、いったい、どこまでおめでたいんだろう。世相が変われば、次は正反対の道徳を書いてくるに決まってる。いいじゃないか、長い目で見れば、そういう人の方が人生を楽しんでいるのかも。あっちに振られ、こっちに揺られ。壊れたシーソーのようだね。要は誰の言葉にも簡単に乗せられろと? 僕は自分のことも信じられないさ。つまり、惰性で毎日同じ軌道を描くだけ。円じゃないよ楕円だ、毎日少しずつ崩れていくんだ。そんな人でも一人じゃない、見守ってくれる人がいる。それがわかっているから、騙されているとわかって、あえて歯車になっているんじゃないのかい? そうさ、こんな思いが集まって社会が出来ているんだ。
6時間の中で4回も夢を見た。理想の展開だ。悪夢の中に本当の自分を見つけてもいいじゃないか。普段は感情を表に出さないからな。線路に捨てられたゴミ、列車がムシャムシャと押し潰していく。夢の中でも僕は列車に乗っていた。線路の上に幾つもの分岐点。どこにも辿り着かない列車。壊れかけた駅ビル。突然逆走する列車。どこかで見たような通行人。線路はあちこちで途切れている。どちらに進んでもたどり着きそうにない。人生そんな終わり方もいい。
明日、凶悪な事件を犯す予定の者も、今日は黙って夜のニュースを見ている。セールで買ったマグロの刺身を食べているかもしれない。団扇で仰いで暑さを凌いでいるかもしれない。ストレスはすでに溜まり切っている。いつ風船が破裂するんだろう。すでにこの国のあちこちで破裂しているよ、メディアが伝えないだけで。確かに今は難しい時代だ。しかし、君は物事を難しく見過ぎているな。政治が簡単だった時代なんてないんだよ。流れ去る雲を見なさい。どんな形に生まれても不平不満を言わないじゃないか。それは偉い作家の受け売りですか? それとも、代表して言って来いと命令されたんですか? それだって言い換えれば権力者に媚びているだけのような。エレベーターは上に下に逆らわない。どんな嫌な奴でも載せてやる。ピーピー! 大地震が起きました、このエレベーターは最寄りの階に停止します。それでも助かるかどうかはあなたの運にかかってます。くだらない人生が歩いている。反省も改善もない人生なんて楽しいのかい。何か文句があるのかい? やることもないから、家に帰ったら大人しく寝るだけさ。だったら、布団に入る前にネットで他人を批判することを忘れるなよ。
社会はギシギシと歪みながら動いていく。万人の理想と支配者の野望の狭間で揺れ続ける。両側から思想の異なる人民にグイグイと引かれる。その動きに釣られて、支柱にしがみつく誰もが不自然に身をよじっている。新聞もニュースもジャーナリストも、その変化を追いきれていない。流されるのはかなり前に流行ったニュースばかり。多くの弱者が振るい落とされても、構わずにその乗り物はさらに激しく揺らされる。変なことばかりに興味を持つなら、この振動をなぜ伝えないのか。こんなことでは、いつか倒れるかもしれない。でも、誰も支えようとしない。みんな自分の時計しか見ていない。空を見上げてみろ、灰色の空だ、もうすぐ不安が束になって落ちて来そうだ。誰が誰を救うんだ? 身内の誰かだ、教師だ、弁護士だ、政府だ、いや違う、そこにいるのはおそらく自分だけだ。自分の力では誰も救ってやれないとため息をつく老人、威張りちらす経営者、裏切られて頭を抱える債務者、少なくとも俺だけは悪くないと胸を張る労働者、法律にすがりつく女弁護士、椅子に踏ん反り返って命令を下す悪徳代議士。あれだけ時間が進んだのに、まだ口論しているナショナリスト、耳をふさぐコミュニスト。誰が誰と繋がっているのか、誰を倒せば誰が救われるのか。それとも何もわからぬまま、最後にはみんな一緒に倒れるのか。俺の回答はすでにだしたぞ、答えはどこへいった? 誰にもわからないから誰も言わない。この都会は答えが知りたい人であふれている。
そんなとき、私は弱い兵隊たちの行進を見る。弱い兵隊たちの足音を聞く。どこへ行っても聞こえてくるよ。えっちら、おっちら。それなら、私の足音も誰かに届いていればいいのに。
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