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バラのコサージュの婦人(3)

 店の中はあたしと武実だけになった。

 あたしたちはいつものように、店では私的な話はしなかった。バーテンダーとお客のまま、話もせず、武実が、

「焼きおにぎりでももらおうかな」

 と言って、

「かしこまりました」

 とあたしが言って、静かに時間が過ぎていった。

「やあ、村沢さん、一人で飲んでるの? こんな早い時間に! 珍しいね!」

 武実の知り合いで、ときどき店に来てくれる高橋さんがふいに入って来て武実の隣に座った。

「おお、いいね、おにぎり食べてるの? じゃおれもビールとおにぎりと、スティックサラダをたのもうかな」

「ビールはドラフトでよろしいですか?」

「え? ああ。生? それで」

 と高橋さんが言い、なんだか、この人のざわざわした雰囲気があたしは苦手だったのだけれど、この日は高橋さんが来てくれてよかった、と思った。


 武実はその日から海外の出張になり、一週間不在だった。

 一人で過ごすマンションは広すぎる。ふと、なぜあたしはこんなに豪華な生活をしているのだろうと不思議になる。

 あたしが起き出すのはいつもお昼近くになってしまう。あたしの定休日は月曜日。

その日にいつものように花屋さんがやってきてお花を替えてくれるので、その日、あたしはがんばっていつもより早めに起きて花屋さんが来るのを持っていた。

花屋さんがお花の包みを開くと、一色ではなくさまざまな色のバラの花…、藤色…、微妙に色の違う…肌色に近いピンク、ボタン色のような濃いピンク、クリーム色。もっと薄いクリーム色の花びらに赤い縁取りのあるもの、黄色。濃い色の物は少し小さい枝分かれしているスプレータイプのもので、オレンジ、真紅など…。全部バラの花なのだけれど…。そういうバラたちが、包みを解かれてふわっと広がった。それを花屋さんが混ぜ、選びながら大きなクリスタルの花瓶に色どりよく飾り付けていた。

淡い色のバラたちは、あのバラの婦人が染色したような色だったので、あたしは、ご婦人はどうしただろうとぼんやり思っていた。

それから二週間が過ぎても、バラの婦人はやって来なかった。

あの日の武実とのやりとりが不快だったのだろうか。なぜかあたしはそんなような気がしていたので、「やっぱりね」と思った。


それからまた二週間が過ぎた。

あたしのお店は小さい雑居ビルの一階にあるのだけれど、店のドアの前に小包が置いてあった。

食品は、あたしのいる時に届けてもらうようにしているけれど、そのほかの物、たとえば、キッチンペーパーとかナプキンとか、おしぼりとかが週始めに届けられていることはある。

だけどそれにしては小さい包みだったので、何かな? と思った。

「らん・らん 来夏様」と書かれたカードが白い段ボールの表に貼り付けてあった。

来夏というのはあたしの本名ではない。お店での名前だ。いつも『来夏ライカ』という名札を付けて仕事をしている。名前を聞いたり聞かれたりすることが面倒だから、そうしている。別に「バーテンダーさん」とか「バーテン」、「バーメイドさん」でかまわないし、ただ「すみません」でもかまわないのだけれど、ときどき「ライカさん」と呼ぶ人もいる。名前を呼ぶというだけで少し親密さが増すように思ってくれる人もいるのだ。

店の中に入って用意をする前に、包みを開けた。

中に小さいアルバムが入っていた。そして、手紙が添えられていた。

『来夏さま

楽しい時間をありがとうございました。

あなたが人の心に寄り添い、その人ごとに合ったカクテルを作っていらっしゃる、そんな自分のしっかりした居場所を持っておられることを、どんなにうらやましく思ったか、わかりません。

私の心の支えはずっと花を作ることでした。

私も人の心に寄り添い、その人にどんな花が合うのかを探るのが好きでした。

そして、その人にひとときでも輝いた時間を提供できたら、それほどの幸せはない、と信じてきました。

村沢様とは昔ご縁がありました。

彼がもっと若くぎらぎらした熱をお持ちの頃でしたから、その熱に私も浮かされていたのだろう、と思います。

その頃の熱を私は今も忘れられません。

私もあなたのように輝いていた、と信じたい。

今まで村沢様のことを片時も忘れたことはありませんでした。 

でも、村沢様とのご縁が戻るなどと期待していたわけではありません。

ただ、本当にそんな熱い時間を共有していたのだと、その実感を確認したかったのです。

もしかしたら彼は私のことを本当に忘れたのかもしれませんね。

 

時代というものは残酷ですね。

私のコサージュは時代遅れになってしまいました。

今、たくさんの人に支えてもらって、私はお花を作ることを教えてさしあげて、みなさんにとても喜んでいただけるし、充実した日を送っていましたが、私は自分の心の中のもっと華やかだった頃の記憶を消す事ができませんでしたし、それに代わるほどの熱い物を見つけることもできませんでした。そして、それは今の自分を肯定できないような思いに変わってしまいました。

ですから、私は花を作るのをやめることにしたのです。

それを決心してらん・らんに行った日に、村沢様と同席できたことは最後の幸せでした。

この手紙をあなたがお読みになっている頃、私はもうここにはいません。

あなたが自分の能力を過信せず、また、村沢様の野心に呑み込まれない事を心よりお祈り申し挙げます。

どうぞ幸せな人生を歩いて下さい。

村沢様にどうぞよろしくお伝え下さい』

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