バラのコサージュの婦人(1)
バーの名前は「らん・らん」。
これはもちろん蘭の花から取ったものなのだけれど…、漢字を使うとめっきり古めかしい感じになるので、まだ軽やかに弾む気持ちがあるという意味をこめ、入りやすいカジュアルな感じの店にしたかったので、なんとなくつけた。
♪マークでも付けようかと思ったのだけれど、それはやめた。
武実は知人に宣伝してくれた。ただし、あたしのことは伏せて。最近、知り合いの知り合いがわりにいい店を開いた、と言いふらしてくれた。
でもそのおかげで、おもしろいこともいっぱいあった。偶然に武実が紹介してくれたお客さんと武実が同席になることもあって、今までまったく知らない武実の一面が垣間見えることがあったし、知らない同士でもなく、たまに来てくれる客として武実の知人に接することも、演技しているような高揚感があって楽しかった。だいたいは男性客だったから、武実はあたしとその客人のやりとりをどう思うのか、武実の嫉妬心をくすぐることができるのか、そんな雰囲気はスリリングで、それはお酒の力を借りて、幻の空間をさらに盛り上げてくれるような気がして、それがあたしの店の魔力になる。そんな気がしていた。
中目黒の川沿いに店を構えたせいか、また時間設定も、五時からにして、軽食を取れるようにしたからか、けっこう若い女性客が一人で来てくれるようになった。タウン誌やちょっと有名な雑誌に取り上げてもらうこともできた。
そんな毎日のなかで、だいたい一週間に一度来てくれる、少し年配の女性の一人客のことが気になっていた。
なんだか時代にそぐわない、大きなコサージュをいつも付けている。だいたいはバラがモチーフになっている
彼女はたぶん、整形もしている。いつもきれにお化粧していて、髪型もきっちり決まっている。だいたい七時頃にやってきて、カウンターに座る。
あたしはもちろん、そんなに執拗には話しかけない。何気ないやりとりを楽しめる人もいるのかもしれないけれど、そうでない人もいる。相手に合わせて雰囲気をアレンジできたらいいと思う。
ある日、そのバラの婦人は、コサージュの制作者だということがわかった。
そんな気はしていたのだ。いつも違う花をつけているし、ふと、そのコサージュを愛おしげに触っている事もあった。その日はバラの婦人と一時間ぐらい二人きりだったので、
「いつもすてきなコサージュを付けていらっしゃるんですね」
と聞いてみた。
「そう? これ、手作りなんです」
と恥ずかしそうに婦人が言った。
「いつも良い感じね、このお店。あまり甘くなくて、すっきりしているわ。これ。あたしの好みの口当たりなの」
彼女はだいたい最初にカンパリ・モヒートを選ぶ。
あたしは自分のできる、自分が好むカクテルだけをメニューにあげている。カンパリは色がきれいだから、それを基本にしたものは八種類くらいは用意している。
カンパリモ・ヒートをかなり甘目にして出している店もあったけれど、あたしはカンパリの苦みが好きなのだ。それを生かすためには甘みは控えめにしたほうがいいと思っていた。苦みを意識しすぎて甘くするとくどく感じるのだ。
「ありがとうございます」
とあたしは素直に頭を下げた。
「あなた、おつけになって?」
と唐突に言われ、あたしはなんだかわからず、ポケッとしてしまった。
「あ、コサージュのことよ。なんだかね、時代遅れな感じはするの。パーティーでもね、今はもっとメタリックなものが好まれているみたいだしね、それか…生花が多いの。あたしはまず布を染色するところから始めるから、どうしてもお高くなってしまうのね」
「ああ、そうですか」
とだけ答えた。
「おつけになるなら、作ってさしあげてよ」
「はい」
とだけ答えた。いるとかいらないとか…、よくわからなかった。社交辞令で「いいですね」とか「ぜひお願いします」なんて言った場合、後が面倒くさい。それに、もしかしたら商売がしたいのかもしれなかった。
「まあ、いいわ…」
なんだか、そう言った彼女がすごくすごく悲しげに見えた。
「あの、お洋服に付けるのではなくて…、こんなグラスに飾るようなお花は作っていらっしゃらないのですか?」
洋服に付けるという発想は浮かばなかったのだけれど、ふと、店の片隅に飾りとして置くのならいいかな? と思ったのだ。
「いいわね。それもね。だけどね。そういう場所に飾るのはやはり生のお花よ」
それはあたしも感じていたことだった。店を始めてからは、店の近くの生花店に花をたのんでいる。
「造花はね、作るのが楽しいの。特に色を決めるところから始めるから、時間がかかるぶんとても愛おしくなってくるの。でね、できあがるでしょ…。そうするとね、それがとても特別のもののように見えてしまうのね。自分にはね」
「そうかもしれないですね…」
と答えた。造花を飾る事については、あたしも考えた事があった。でも、なにかその花の魔力に負けてしまうような、生の花にはない作る人の感情がこもっているような、不気味さを感じる事があった。




