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足長おじさん(3)

 たぶん、だれでもこれから愛を育むという予感のある恋人同士なら、だれだって相手の中の良い面しか見ないだろう。わざわざマイナスな事を話す必要もないだろうし、全部をさらけ出す義務もない。

 世の中に出たての無知で夢見る事しか知らなかったあたしにとって、この時の武実の印象は良い事づくめだった。ただ、ちっとも胸に響かなかった。遠くで冷めた目で見つめているもう一人の自分がいる。と、そんな気持ちだった。

 「足ながおじさん」を読んで、あたしは思った。このおじさんも武実と同じだったのかしら? と。そのきっかけもわからないし、おじさんの詳しい生活も明らかにされてはいない。共通点は資産家ということだけ…。どんな生活で金を得ていたかもわからないのに、それだけでこのオヤジを善人と思わせるものはいったい何なのだろうか? 金を得るためにどんなことをしてきたのか? いっさいわからないというのに。そこには牧歌的な人間に対する肯定感しかない。正義という言葉がそのまま信じられていた時代なのだろう。


 あたしは武実に手紙を書いた事もないし、個人的な関わりも思い出もない。でも、ただ単にあたしの成長を願い、そしてまっすぐにあたしを受け入れようとしている、その感じは伝わって来たので、あたしはすんなりそれをそのまま受け止めた。

 生活は優雅そうだったし、何かあたしに対して願ってくれているのなら、それに答えてもいいんじゃないのか? もし武実の望まない答えを返した時、どうなるかはわからないけれど…。

 次に会った時にはあたしはすんなり武実の申し出を受け入れることを告げた。

 武実の条件は三つ。今の仕事を辞める事。何か独立して自分で仕事を持つ事。なるべくため口で話す事。それだけ。

「なにがしたい?」

 と武実は聞いた。

「仕事のこと?」

「遊びたいことでもなんでもいいよ」

 あたしは、その時、たまたま「カクテル」という小説を読んでいたので、なんだかバカみたいに、

「バーテンダーになりたいです」

 と言ってみた。

「ほう。いいんじゃない? どんな店?」

「う~~ん。それはこれから考えます」

「いいね。良い店をいくつか知っているから、行ってみよう」

 そして、二人で暮らすマンションに移ってからの一年間はバー巡りをした。日本だけじゃない。外国にも連れて行ってくれた。


 武実はこれまでの人間関係も、これまでの仕事の事も、今の仕事の事も何も話そうとはしない。ただ漠然とした夢とか、次に飾る花のこと、行きたい場所、そんなきれい事しか家に持って帰って来ない。

 でも、あたしにはいろいろな話を要求する。最近は特に、バーで出会った人との話。

 あたしはいつも思う。まるであたしは千夜一夜物語の王女みたいだな、と。ただし、あたしはつまらない作り話をして、そのラストを明かすことをもったいぶって止めて、次の日の命をつなぐために途中で話を打ち切る事はないけれど。だって、あたしには特に長生きしたいという願望もないし、今があればいいだけだから。

最近は、武実に話すためにと思って、その日その日を注意深く観察するようになっている。

 武実はただあたしの話を聞いていれば満足しているようだし、時々店にふらりとやってきて、ただの客のふりをしながらあたしのすることを眺めるのが楽しいようなのだ。

 そんなとき、あたしもただのバーテンダーのふりをする。武美はふらりとやって来るただの客だというようにふるまう。たった二人でいてもそれをくずすことはない。急に誰かほかの人がやってくるかもしれない。その時にそなえて、その場所では愛人という関係は忘れたふりをする。バカみたいに。

 冷めた頭で思う。これが男の要求する「プレイ」ってやつなのかと。それはけっこう…なんというか、あたしのいやらしい気もちを刺激する。そのまま客が来なければ、武美の目にきれいに映っていて欲しいと思うし、お客がいてあたしが話しているのだとしたら、その話が武美の耳に届いて少しでも刺激したらいいなと思うのだ。そのことのためだけに、あたしは客に誠心誠意尽くす。

 いつか武実はあたしに飽きて、またほかの若い女性に気持ちが動くのかもしれない。でも今の彼の年齢を考えたら、もしかしたらあたしが最期を看取る女性になれるのかもしれないし…、でも彼の身体が動かなくなったら、彼はやはり家族を呼び寄せ、きっと彼の最期はあたしだけのものにはならない。そう思うとちょっと切ないけれど、それだからこそ今接点のある時間を愛おしく思えるんじゃないか、そんな気もするのだ。

 あたしは店を始めるまでの一年間に、すでにたくさん武実との濃厚な関わりを味わったし、それに並行してカクテルを覚える日々は本当に楽しかった。

 二十歳を過ぎてまだ数年しか経っていないっていうのに、武実を通して、年月とともに熟成された切ない味わいを得ているな、とそんな感慨に耽るのだ。

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