生きていたと思ったら犬だった話
俺は犬に転生したようだ。
与えられた世界はプラスチックケースの中だけだが、ここは快適だ。御飯は1日3回出る。チューブを吸えば水も飲める。
歯が痒くて吸水シーツを齧っていたらガムがもらえた。退屈していたら縫いぐるみを入れてくれた。
食って、寝て、遊ぶ。
このまま一生を終えても良いと思った。
おばさんは優しかった。何かと言うと撫でてくれる。
御飯を食べると撫で、おもちゃで遊ぶと撫で、うんちしても撫でてくれた。
嬉しくなって仰向けになるとお腹を撫でてくれた。
(この人についていこう。俺にはこの人しかいない)
この世界で俺が出会ったのは、このおばさんだけだ。
おばさんと、プラスチックケースの中が俺の全てだ。
ある日プラスチックケースから、柵の中に移された。
御飯もお皿に入れられたシリアルになった。スプーンはない。
所謂「犬喰い」で、皿の中に鼻先を突っ込みくちゃくちゃ食べる。
口を閉じて食べようとしたが、ほっぺたがないので噛むたびに口が開いてしまう。
幾ら食べても満腹感がない。ついつい皿を舐めてしまう。みっともないけど。
おばさんは俺に首輪をはめた。俺は犬なのだから仕方がない。
3食昼寝付きのお殿様から奴隷に身分が落ちたような気分だ。
これから「躾」と称した理不尽な体罰が行われるのであろう。
素直に言うことを聞いて、言われるがままにしておけば可愛がってくれると思う。
変に反抗して噛み付いたりしたら、捨てられ保健所に連れて行かれガス室送りだ。
おばさんに正対してお座りをした。
(何を言われてもすぐに言うことを聞くぞ!
お手だって、おかわりだって、すぐにできる。やってやるぞ!)
おばさんは床に紙を広げた。五十音が書いてある。
「まずはあなたの名前を指してみて」
(名前は御主人様がつけてくださいよーっ! チョコでもショコラでも、何だったらティラミスでも良いです。 好きなようにお呼びくださいまし!)
何を言っているのかわからない、という感じで首を傾げた。
「んー。わからないかなぁ? な、ま、え、よ」
へぇへぇと舌を出して口角を上げ、左手を挙げた。
(はいっ、お手です!)
俺は賢い犬だ。御主人様から命令される前に行動をする、勘の良い犬なのだ。
「あら? 失敗だったのかなぁ。エイチくん、私の言っていることが判る?」
(はい? 今、名前を呼びましたね!?)
人間だったときの俺の名前は「田辺英一」だ。
(何でこのおばさんが知っているんだ?)
床の五十音表の「は」と「い」を手で差した。前足ではない。あくまでも「手」なのだ。
「いきなりだったので驚いたでしょう」
おばさんはスケッチブックを取り出し「はい」、「いいえ」と書き、50音表に追加してくれた。
俺は「はい」と書かれた紙に手を置いた。
「実験は成功、かな?」
おばさんはにっこり笑った。
俺も一生懸命口角を上げて「笑っています」アピールをした。
「エイチくん、気分はどう?」
正直に答えた。
「さ」「い」「あ」「く」「で」「す」
人間に戻りたい。人間が良い。犬は・・・嫌だなぁ。