可愛すぎる先輩
大志の前にはテーブル越しに星野先輩が座っている。彼女は手に持ったスマートフォンを俯きかげんに見つめながら、片手は頬杖をついている。
先輩の大きなため息が部室内に響いた。
部誌を閉じ、大志は改めて先輩を見た。制服の両肩にふわふわと流れる栗色の髪が、かすかに震えている気がする。
「あのう……せんぱい?」
顔を上げた先輩はスマートフォンを伏せてテーブルに置いた。そのままずりずりと先輩の両手が伸びていき、ついに先輩の顔はテーブルにくっついた。
「もうだめ。しんだ」
「どどどどうしたんですか。随分とらしくない台詞じゃないですか」
顔を上げた瞬間の、先輩の頬が心なしか濡れていたような気がして、大志は身を乗りだした。
「先輩」
テーブルに突っ伏したまま、星野先輩は「あああああ」とため息なんだか何だかわからないような声を漏らしている。
「あ。もしかしてまた財布か鍵か落としたんですか? それで落ち込んで」
「ちがう」
テーブルにくっついたおでこがこきこきと左右に動いて、先輩の髪もわさわさと揺れる。
「じゃあ……なんだろう。どこかにぶつかって、膝小僧から流血? いつだったかもそれで」
「ちがうってば」
先輩の声が固い。おかしい。明らかに変だろう。
「先輩、誰にも言いませんから。あ。コーヒーでも買ってきましょうか?」
わさわさ。豊かな髪が揺れる。
「あああ。やっぱあのあの、抹茶オレの方にしましょうか」
「……気にしないで」
「いやそうは言っても先輩」
ゆらりと先輩が顔を起こした。目が潤んでいる。
「あれ、やっぱせんぱい。泣いて」
「ないてない」
まるで平坦な一本調子の声だった。
そんな先輩の様子に大志はきゅううっと胸が切なくなってきた。彼は星野先輩の仕草をひとつだって見落とすまいと息を凝らしている。
「ないてなんかない……」
さらに低くなった声には、普段の、弾力ある張り切りすぎた先輩のエネルギーは、ない。
いま大志を通りすぎてどこか後ろの壁を見ている、そんな先輩の目が、遠すぎる。黒い睫も濡れていて、頬もなんだかいつもより赤みがかっている。唇がときどき震えて、先輩はそれを噛みしめて――。
「いま。振られたんだもん」
先輩はスマートフォンを手に取った。その真っ暗な画面を見つめている。
どう反応してよいのか分からず、大志は言葉を探し、しかし何も出てこなかった。
スマートフォンの電源を付けて先輩は身じろぎ一つしない。きっと何かを読んでいるのだろう。
「あのうせんぱい――」
何やら読んでいた先輩の目つきが段々と険しくなってきている。涙らしきものも乾いているようだ。
「もおう」
「え」
明らかに怒っている。星野先輩の声には怒りが籠もっている。
「なんなのよ。もうもう。俺たちは終わったんだってどういう意味なのよう」
液晶画面を見ながら先輩はブチ切れていた。
「せ、せんぱい」
「ねえ。あたしって可愛くないの?」
言いながらびしと鋭い視線を大志に向けてくる。
「ひいい。先輩、なにごとですか」
想像もしていなかった問いにどきまぎしてしまう。
「おねがい正直におしえて」
「せんぱい。大丈夫です。可愛い。ぜったいに可愛い。保証します」
大きく何度も頷きながら大志ははっきりと言った。
「じゃあどうして?」
さらに先輩は問うてくる。その目つきは真剣そのものだった。
「どうしてあたしじゃなくてあのあのあの」
「そんなことないです。先輩の方が可愛い。その相手の人を見たことはないけど先輩の方が可愛いに決まってるんです。僕にはわかります」
キッと向けてきた先輩の視線はさっきよりは勢いが落ちてきている。
「ちがうよ。違うからだめだったんだから……」
両手で顔を覆って先輩が泣き出した。
「ぜんぱい、大丈夫ですって。また新しい恋をすればいいって言うじゃないですか」
「そんなの考えられない」
ぐすぐすと泣きながら先輩はテーブルの上にあったティッシュボックスから一枚取り出して頬に当てている。
「あとはあとは――僕と一緒に部活に生きるって手もありますよ」
「えー……」
先輩は、大志の顔をまじまじと、数秒間、見つめていた。
そして顔をしかめると、「いやだよう」と言った。
ふと思いついて書いた掌編です。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。