第一部 三章挿話 少年と残照
思い出というものは、糧である。
それが喩えどんなものであろうと今を生きる人間の原動力なのだ。
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第一部 三章挿話 少年と残照
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さて、山中晶の育ての親のことを一言で言ってしまえば、どうしようもない父親だった。
人間としてはどうかと問われても、最低最悪としか答えようが無いような、親だった。
晶は施設――試験管で栽培培養された人間のため、卵子を提供した母親のことは全く知らなかった。だが、このご時世、片親と言うのは然程珍しくも無く、孤児院のような施設で育てられる人間の方が圧倒的に多いため、片方だけでも親の顔を知っているのは幸せなのかもしれない。最も、それが当人にとっての幸福かどうかはまた別の話なのだが。
さて、遺伝子提供者でもあり、晶を育ててくれた彼の父は、日本と呼ばれる島国の数少ない生き残りの一人であったらしい。しかし、その誇りは既に朽ち果て、腐り切り。ただただ遠い過去を回顧するだけの死人だった。
そんな父は既に何処かが、狂ってしまっていたのだろう。命を商売にする冒険者であっても多少は持ち合わせている倫理も道徳も、禁忌すら持たぬ男だった。生まれ持っての性質だったのか、後天的に得てしまったものなのか、晶は知らない。彼が物心付く頃には既に、父はそういうモノだったのだから。
己の持つ技を伝承しようとして、晶が上手くそれを出来なければ、容赦無く鉄拳が飛んできた。晶が優しくされたことなど、一度として無かった。晶が覚えている父の顔は、常に眉間に皺が寄っている顔か、息子の苦痛を薄ら笑いを浮かべて眺めている顔しかない。
晶はそんな父に、一つだけ問うたことがある。
何故、自分を造ったのかと。
気紛れか、または余興だったのか。そんな瑣末なことは死人に聞かねば分からぬことだが、確かにあの時父は語ってくれた。
■の■わりに■■■■を■■人間が必要だったのだ、と。
ノイズ混じりの思い出。空白だらけの記憶だが、晶は父がその時口にした言葉を意識の底で、覚えている。
そんな父のことを好きだったのかと聞かれれば、晶は分からないと答えるだろう。全ての夢魔に根源的な恐怖を抱いてしまう、父からすればとんだ欠陥品だったのだろうが、それでも見捨てないで育ててくれた感謝も恩もある。
しかし、人間失格の父親と暮らしていても、家族としての温もりを晶が感じたことは一度たりとも無かった。
だから、なのだろうか。晶が弟子とした少女を家族のように扱ってしまっていたのは。
「ねぇねぇ、ししょー。ずっと聞きたかったことがあるんだけど――」
ふと、少女からそんな言葉を聞いたのは、彼女を弟子として一緒に暮らし始めて丁度一年後のこと。
まだまだ男の子のようだった身体も日々の暮らしの中で第二次性徴が始まりかけ、まるで木乃伊の様だった彼女の身体は漸くふっくらとした少女らしい身体付きへと変化しはじめていた。
それはまるで、まだ蕾も付けていなかった植物が、たっぷりと栄養を吸い、大きな花を咲かせようとしているようで。彼女に女を全く感じていなかった晶も、ふとした拍子にドキリとさせられることが幾度かあった。まあ、しかし、それも仕方ことなのだろう。旧時代であれば、晶もまだ思春期が漸く終わると言う年頃の男である。そんな多感な時期に子供とは言え、女性と二人暮らしなのだから。
「ん? どうした、藪から棒に」
少女の声に晶は刃毀れだらけの消耗したダガーを研ぐ手を休め、振り返る。と、彼女は頬に指を手を当て、首を傾げるところだった。
「――ヤブ?」
頭の上に大きなクエスチョンマークが浮かんでいるような彼女の様子に、晶は苦笑を零す。
「ああ、そっか。古語なんて言われても、意味分かんないよな。まあ、何でもないから気にするな。それで、何が聞きたかったんだ?」
「あ、んとね。どうして、ししょーはアタシを弟子にしてくれたのかなーなんて……」
何故か、少し照れたように後頭部を掻きながらの、問い。
そんな少女の様子にあの糞婆に何か吹き込まれたに違いないと晶は嘆息する。どうも、晶が少女を引き取ってから二人の仲を面白可笑しく引っ掻き回すのが楽しいらしく、今までにも爆弾処理に晶は多大な苦労を支払ってきた。あの女店主は商売人としては全面的に信用できるが、人としては全く信頼することが出来ないのだ。
「あのな、何か勘違いしてるように思うんだが……」
「――ほぇ? 勘違いって、何が?」
何が何が、とニンマリとした笑顔で何度も彼女は晶に問いかける。やはり自分の推測は間違っていないようだと晶はこめかみに指をやった。やれやれである。
「あー、そのな。何って言われると難しいんだが――まあ、いいや。ほれ」
晶は話題を変えようと、布に包まれた細長い物を少女にほいっと渡した。
何が、と執拗過ぎるリピートマシンと化していた彼女はその餌にまんまと釣られてしまったらしく、漸く言葉を止めた。彼女が受け取ったそれは存外に重いものだったらしく、わたたと彼女は危うくそれを取り落とすところだったことも、リピートを止めた理由の一つだろう。
「ふぃぃー。危ない危ない。それでししょー、これは?」
「ほら、お前が弟子になってから今日で丁度一年だろ? その記念にな。本当は夕食の時に渡そうと思ってたんだけど……。まあ、今渡しても同じことだから」
その言葉を聞いた少女の顔が先程のニンマリとしたものよりも、より深い喜色の色に変化したのを見て、晶は口角を軽く吊り上げる。晶が開けてみろと声を掛ける前に、彼女は何か宝物を扱うように丁重にその布を解き始めた。
解かれていくそれを見ながら、晶は少女に言葉を投げかけた。
「ちと色気は無いけどな。ま、これからもこの職業を続けるなら多少は役に立つだろ」
布を解き終えたそこに在ったものは、一本の槍らしきものである。それを見た少女はむぅと唸った。
「んーと……何で?」
そんな少女の疑問も最もだろう。晶がメインとしていた武器は短剣類であり、このような長物を彼が扱っていること見たことが無いのだから。
「何でっていわれてもな。ほら、お前って生粋の殴り屋さん気質だろ? 僕が一撃離脱主義だとすれば、お前は一撃必殺主義って感じだしなぁ。スタイルとタイプが違うのに何時までも僕と同じ武器は可哀想だし。僕が使っているようなリーチの短い武器じゃ、殺傷力もそれなりにしかないからな」
その回答を聞いた彼女は漸く納得したように何度か頷いた。晶としては大剣など高い攻撃力を持った武器なら何でもいいかなと考えていたのだが、糞婆ことアリスに相談した時にこれを出してきてくれたのである。
少女の様子を見ながら、晶はそれでな、と続けた。
「お前も分かってるとは思うが、槍の理なんて僕は知らないからな。お前さえ良かったら、糞婆に誰か紹介してもらうけど――」
「嫌っ!!」
「嫌って早いな。せめて全部言わせろよ」
「だって、他の人なんて嫌なんだもんっ! アタシのししょーは山中晶ただ一人だけよっ!!」
「ぐ、む」
殺し文句、である。
師匠冥利に尽きる言葉であり、晶は己の顔に血が集まるのを感じ取った。それを少女に察知されないように、晶は言葉を続ける。最も、どうしてもぶっきら棒になってしまうのは避けられなかったが。
「――それなら、それでいいか。まあ、それの扱いに慣れるまでは弱い敵を相手にしてりゃ、いいよ」
「ん、そーするそーする。ありがとねっ!」
「どういたしまして。ああ、それとな。戦いの中で壊れるのは仕方ないけど、整備だけはしっかりしとけよ。それってただの槍じゃなくて何か色々と機能が付いてるっぽいんだわ。後で説明はしてやるけど、自分が使う武器の特性はしっかり把握しとけ」
「はぁ~い。それにしても、ししょー」
「ん?」
と、晶は首を傾げた。そこでの彼の不幸は、少女の瞳がまるで獲物を取る前の肉食獣のように光ったのを見逃してしまったことだろう。
「一年記念をちゃんと用意しててくれるなんて、やっぱりししょーって、アタシに気があるんじゃないの?」
「ぶっ!!」
思わず、噴いた。だが、そんな晶のことを責められる人間など誰もいないだろう、恐らくは。やはり、少女はアリスから色々と悪影響を受けてしまっているようである。
「――このばかたれ。そういう言葉を使うのは十年早い」
「へへぇ。ふぅ~ん。それじゃあ、十年経てば使ってもいいんだ」
ニヤニヤとした意地の悪い笑みを少女は顔に貼り付けている。晶は、思わず大きな溜息を吐く。
「あのな、そういう意味じゃないだろう?」
「じゃあ、どういう意味なの?」
「あー……」
全く屁理屈ばかり上手くなりやがってと晶は頭を掻いた。どうしたものかと考えた時に、浮かんだ案は一つしかない。下作ではあるが、確実に少女が引っ掛かってしまうことを経験則として晶は学んでいる。
「ま、何にしてもあれだ。お前みたいなチンチクリンのチンクシャに恋愛感情を得ることなんて百%無いから」
「むかっ! またそんなこと言って将来私が美人になっても知らないんだからねっ!?」
ぷくぅと頬を膨らませる姿はやっぱりまだまだ幼いなと晶は思う。そのおかげで、少女をやり込めることが何とか出来そうだ。
「おーおー、結構結構。まあ、もしお前が美人になったら拍手ぐらいはしてやるよ」
「むぅぅぅっ、絶対にししょーを何時か見返してやるんだからぁっ!!」
少女のその言葉を本気で受け取らないままに放置してしまったことを晶は後々後悔することになる。
何故なら――。