仮面妻
20年も連れ添った最愛の妻、里美。
その彼女が、今、逝こうとしている。
俺は、運命の前で何もできない自分の無力さを恨みながら、ただ唇を噛み締めていた。
医者から集中治療室に呼ばれた俺は、変わり果てた姿になった里美を茫然自失で見下ろした。
48歳という年齢の割りには、若々しかった笑顔。
小柄で、キビキビとよく動く小鹿のような体。
日本の7割の夫婦がセックスレスだという統計もあるらしいが、俺と里美はそうではなかった。
自分より若い里美を少しでも悦ばせようと、俺なりに努力はしてきたつもりだ。
彼女もその思いに応えてくれていた。
夫婦仲は円満。
俺たちはささやかながらも、孫の成長を楽しみに待つ、ありきたりな老夫婦になる筈だった。
・・・それが。
彼女が事故に遭ったという知らせを会社で受けたのは、まだ3時間前のことだ。
「間に合わないから!」
と、説明もそこそこに、救急隊員はとにかく大至急、病院に来るように命令した。
まだ、実感も湧かないまま、会社を言われるままに飛び出し、集中治療室に入った俺の目に入ったのは、体中チューブで繋がれ、酸素マスクをして固く目を瞑っている里美の姿だった。
「里美・・・!目を開けてくれ・・・!」
俺は冷たくなっていく妻の細い腕を取って握り締めた。
お前がいなくなるなんて耐えられない・・・!
その後、俺はどうやって生きていけばいいんだ・・・?
その時、固く閉じられていた里美の目がうっすらと開いた。
俺の心の声が彼女に届いたかのように・・・!
目だけを俺の方に向け、里美は何かを言おうと懸命に口を動かしている。
「里美・・・!?何だ?言ってみろ?」
俺は酸素マスクをした彼女の口に顔を寄せて、必死で叫んだ。
彼女は、俺を見つめた。
優しく微笑むように目を細め、そして、言った。
「・・・あなたを・・・愛せなくて・・・ごめんなさい・・・」
言い終わった途端に、里美は目を閉じて動かなくなった。
後には、ツー・・・という心拍計の音だけが残された。