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眠れる森のイリス  作者: 稀春
第一章
6/14

06

 二週間も過ぎると、イリスはすっかり酒場の店員として馴染んでいた。

 常連の客の顔と名前もほとんど覚えた。そのお礼と言わんばかりに彼らがイリスをからかうことは一種の名物となっている。


 アヴィーもロキもイリスに対しては必要以上の労働を強いることはなく、またイリスも店員としての仕事を素直に楽しみながら、幸せすぎて怖くなるほどに感じる日常をイリスは送っていた。



「イリスちゃん、お勘定を頼むよ」


「はーい」


 洗い物中で手が空かないアヴィーに言われ、イリスは古びたレジに向かう。

 そこにはイリスとも馴染みが深い、白髪の老人が立っていた。


「ユレダおじいちゃん、お待たせ」


「おお、ありがとなイリスちゃん。これで頼むよ」


「はい、ちょうどお預かりしますね」


 ユレダはこの店の常連の一人で、気さくな老人男性だ。イリスともすぐに親しくなり、今や気軽に会話をする仲である。眼鏡をかけていて物腰も柔らかなこの老人は、イリスが孫であるかのように接してくれる。


「ねえ、おじいちゃん。ヒナタを見た?」


「いんや。大方まだ仕事じゃろうよ。日をまたいでも帰ってこん時もあると聞く」


「そう……ありがとう」


 ヒナタは外出することが多い。イリスはリュコスについて詳しく知らないし、ヒナタもそのことを積極的に話そうとはしないため、無理に知りたいとは思わない。ただ、あの夜以来なかなか二人きりで話す機会がないことがイリスは少し不満だった。


 考えが表情に出ていたのか、ユレダが軽く笑った。


「ほっほ、イリスちゃんはすっかりヒナタに懐いたようじゃなあ。二人を見ていると孫のことを思い出すわい」


「む! 懐いてなんかいないってば! それより、ね、孫がいるの?」


「いた、じゃな。笑顔が可愛いヤツでのう。よく散歩に付き添ってくれたんじゃが、ずっとワシの袖を掴んで、にこにこしているヤツじゃった。……二年前にシュノレテにかかって眠ってしもうた時にもな、不思議と笑顔のままじゃったよ……」


「……良い子だったんだね」


「ああ、自慢の孫じゃよ。……イリスちゃんもヒナタも良い子だから、つい思い出してしまうわい」


 ユレダは眼鏡をかけ直すと、一瞬、しわだらけの顔に少し悲しげな色を浮かべた。


「ああそうだ、イリスちゃん。こいつをヒナタに渡しといてくれないかい」


「ヒナタに? うん、分かった」


 調子を変えた感じでユレダが差し出した一通の手紙。それを受け取り、イリスは頷いた。


「じゃあ、また来るよ」


「うん、またね。ありがとうございました!」







 ユレダを見送り、レジにお金を入れていると、店のドアが開きヒナタが入ってきた。


「ヒナタ、おかえり」


「ああ、ただいま」


「あれ、ユレダおじいちゃんとすれ違わなかった? 今ちょうど出て行ったんだけど」


「ん? いや、見てないな」


「そう? あ、そうだ。ユレダおじいちゃんにこれを渡しておいてって言われたんだ」


 イリスが差し出す手紙を、ヒナタは微かに神妙な面持ちを浮かべながら受け取った。

 その様子が気になり、イリスはつい尋ねる。


「……ねえ、それ、何が書いてあるの?」


「んなの開けなきゃ分かんねえだろ」


「……それもそっか。ところでヒナタ、今日も出かけてたみたいだけど、今まで何をしてたの?」


「仕事だよ、仕事。お前は?」


「私もだけど、ヒナタは――」


「そうか。だいぶ店の連中ともなじんできたみたいだな?」


「私の話は良いのに……。うん。まあ、みんな良い人だから、すぐに打ち解けられたよ」


「だろうな。……そういや、ロキもアヴィーも褒めてたぜ。料理もできるんだって?」


「これでも女の子ですから。お母さんに一通りレシピは叩き込まれたの。リクエストしても大丈夫だよ」


「へえ。じゃ、また時間がある時にでも作ってくれ」


「うん、任せて! あ、私テーブル席の片づけしなきゃ。今日はロキさんに作ってもらってね」


「楽しみにしてる。じゃあな」


 ヒナタは受け取った手紙をポケットに入れるとカウンターへ向かって行った。


「おう、ヒナタ」


 カウンターには顔を赤くしたゼインがいた。軽く手を上げヒナタは隣の席に着く。


「ゼイン。何かお前、随分な量の酒、飲んでねえか? あ、ロキ、俺、チキンソテーで」


 ロキがむっつりと頷き料理の準備に取り掛かる。

 ゼインは酒を煽って呂律の回らない口調で話し始めた。


「飲まなきゃやってられねえよ。知ってるか? 南でドンパチがあったらしいぜ」


「シュノレテの患者の対応でゴタゴタしていたってのは聞いたが……」


「それが原因だよ。ついに南の住民、中央軍の連中に喧嘩を売ったらしい」


「……元も子もないな。そもそも揺りかごを管理しているのは中央の連中だろ。中央軍に楯突いたって自分の首を絞めるだけだ」


「だな。ともかく、その影響でこの東にも近々南の連中が流れてくる、って俺ら商人の間じゃもっぱら噂になってるんだ。もうこっちにもそんな金はねえってのによ」


「おうゼイン。さっき、軍人上がりの客から聞いたんだが、もう流れてきたヤツが一人確認されたらしいぞ」


 ヒナタの前に前菜の皿を置きながらロキが話に加わってきた。


「それホントかよ、ロキさん?」


「ああ。何でも、犯罪者だとか言っていたな」


「犯罪者?」


「ああ。ただ、詳しいことはそいつも知らんかったらしい」


「へえ。何か、東も物騒になってきたもんだな」


 その後、ロキは酔いつぶれるまで愚痴を言い続けた。ロキは律儀に聞いてやっていたが、ヒナタは早々に自室へと引き上げてしまった。


 そして、イリスがヒナタと話そうとカウンターに向かった時には既にその姿はなく、また少しだけイリスはご立腹するのだった。

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