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眠れる森のイリス  作者: 稀春
第一章
5/14

05

「今日はゼロか……」


 あっという間に一日の仕事を終え、ヒナタは酒場へと戻ってきた。


 入口の扉を開けると、いつも騒がしい店内が更に騒がしいことに気づく。ヒナタは何事かと思い店内を見渡した。


「あ、ヒナタ! お帰り!」


「ん? おう、イリスか」


 一早くヒナタに気づいたのはイリスだった。

 明るい笑顔を向けられたヒナタは軽く手を上げて返すと、カウンター席に腰をかける。


「イリスちゃーん! こっち注文良いかい?」


「はーい」


 エプロンを身に着けたイリスは、料理を運び、注文を聞き、店内を忙しげに歩き回っていた。


「がっはっは、あの嬢ちゃん、たった一日で看板娘だ。やっぱ若くて可愛いってのは良いもんだな」


 ロキが笑いながら、ヒナタに話しかける。


「若さだよ。ここには若さが足りなかったんだよ、ヒナタ。そうは思わんか?」


「ロキのおっさん。後ろであんたの嫁が、凄まじい速さで包丁を研いでるぞ」


「愛してる、アヴィ……フグァッ――――――――――!」


 振り返りざまに叫ぶ髭面の目元に、アヴィーの水平チョップが命中する。

 アヴィーはヒナタの満足げに鼻を鳴らすと、ヒナタの前に火酒の入ったグラスを置いた。


 それを一気に飲み干し、ヒナタは冗談交じりにアヴィーに問う。


「妬けるか、アヴィー? あのチビに」


「ヒナタ、黙らないとアタシの手は滑るよ?」


「冗談だって。……もう働かせてるのか、アイツ?」


 ヒナタは、せかせかと働くイリスを顎で差す。


「物覚えの良い子でねえ。おまけに見ての通りの容姿。どこから聞いたんだか知らないけど、常連の奴らがみんな集まってきやがったよ」


「なーるほどね」


 確かに、常連の客はみなイリスを捕まえては、ちょっかいをかけているようだった。

 放っておけば良いものを、イリスはいちいち相手にしているため、余計にそれは増えている。


「何だい、何だい? 妬けるのかい、ヒナタァ? イリスちゃんが知らない男どもに笑顔振りまいてるのを見ると」


 意趣返しのつもりかニヤニヤと笑みを浮かべるアヴィーを、ヒナタは鼻で笑い飛ばした。


「へっ、誰があんなチビに妬くかよ。……良いことじゃねえか。アイツ、昨日なんか一度も笑わなかったんだぜ」


「……親を亡くしたんだろう? まだあんなに小さいのに、ああやって笑ってられるなんて……強い子さ」


「どうだかな……アイツは溜めこむタイプだぜ」


「へえ? そうなのかい?」


「ま、とにかく、できればアンタも気を遣ってくれ。……そこで目頭押さえてるおっさんもな」


「あいよ」


「おう」


 夫妻から頼もしい返事が返ってくる。


 と、イリスがようやく手を空けられたようで、ヒナタの所にやってきた。


「おかえり、ヒナタ」


「……ああ、ただいま」


 先ほども言った言葉を繰り返すイリスの心情を察し、ヒナタはそう答えた。

 おかえり。ただいま。――たったこれだけのやり取りを、イリスは誰とも交わすことができなかったのだ。


「随分とサマになってるじゃねえか」


「でしょ?」


 ヒナタが言うと、イリスはエプロンの裾を掴みその場でくるりと回ってみせた。


「……ねえ、ヒナタ。私、本当にここにいても良いの?」


 ピタリとその場に止まり、イリスは声音を変えてそう言った。


「……お前はどう思ってんだ?」


「……それは、できれば、その……ここにいたい」


「なら、いりゃあ良いじゃねえか。ここには拒むような人間はいねえよ。

 それでもまだ引け目を感じるなら、これからもしっかり働いて、稼げ。それだけが条件だ」


「……ありがとう、ヒナタ」


「礼を言われるまでもない。俺は何もしちゃあいないからな。

 で、ちっとは吹っ切れたのか? 色々とあったが」


「……うん」


 お盆を体の前に抱え、イリスはヒナタに微笑んだ。


「ロキさんもアヴィーさんも優しいし、昼間にはゼインさんも来てくれた。今だって、こんなに賑やかで、楽しげで……なんだかね、私、この場所を好きになれそうな気がするの」


「そりゃあ良かったな。じゃあ次は……」


 言いながらヒナタは席を立つ。


「もっと心の底から笑えるようになれよ」


 イリスの頭をポンと軽く叩くと、ヒナタは軽い笑みをイリスに向け、二階の自室へと去って行った。


「…………」


「あっはっは。いや、やられたね、イリスちゃん」


 アヴィーがカウンター越しに、呆然としているイリスへ声をかけた。


「アヴィーさん……私の笑顔、不自然でしたか……?」


「いいや。見事なもんさ。アタシなんて事情を知っているのに分からなかったよ。

 ただヒナタはねえ、人の嘘を見抜くのがべらぼうに上手いんだ」


「……ずるいなぁ」


 口を尖らせ、イリスは不満そうに言う。


「アイツは不器用だし自分のことなんか気にも留めないヤツなんだけどね、その分仲間内のことは人一倍気にかけるんだよ。

 ヒナタに気にかけられたんだ。もうそこは諦めな」


「うむ。全く持ってその通りだ。がっはっは」


「あら、アンタ、生きてたのかい」


「がっはっは」


 戯れる夫妻を横目に、イリスはため息を吐いた。


「私が笑えば、ヒナタも笑ってくれるかと思ったんだけどなぁ」


 ただ、ヒナタの笑顔が見たかっただけなのに。

 だから、ほんの少しだけ頑張って、イリスから笑みを浮かべたのに。


「ずるいよ、ヒナタ」


 それも見抜いてしまうなんて。

 見抜いた上で、イリスに笑顔を向けてくれるなんて。


 ……悔しい。

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