04
ゼインの話を聞き終えたロキとアヴィーは二人とも俯いたまま何かを考えているようだった。
「そのイリスちゃんってのは、ヒナタがリュコスだってことを知ってるのかい?」
先に口を開いたのはアヴィーだった。その問いにゼインは首を捻る。
「どうっすかねえ? まあ剣持ってる姿見られてるし、多分知ってるとは思うんですけど」
「うーん、アタシが聞いた感じだとイリスちゃんは箱入り娘っぽいからねえ。見た目もお嬢様っぽかったし」
「じゃあリュコスの実態までは知らないかもしれませんね。
まあアイツが彼女の世話を見る気なら、どちらにしろヒナタもお嬢ちゃんも苦労するでしょうよ」
「……だろうねえ。まあ、まだイリスちゃんがどんな子なんだか分からないけどね。そんなにその子のことが気に入ったのかい、ヒナタは?」
「ヒナタは害意が感じられない無垢なガキと言っていましたよ。気に入ったというよりは、過去の自分に重ねている感じでしたが」
「となると、やはり避けては通れない問題は、リュコス、か……」
黙って話を聞いていたロキが重々しく呟いた。
――リュコス。ギリシャ語で狼の意を示す単語。
正確には葬儀屋のようなものだ。しかし、有り体に言ってしまえば、殺し屋という表現で間違ってはいない。
そもそもリュコスと呼ばれる者が現れたのは、シュノレテの影響で全世界の人口が半分にまで減った頃だ。
その少し前に、シュノレテを発症した人を保護する施設が建てられることになった。
当時はシュノレテを発症した者は人間としての機能が低下し、寝たきりのまま近い将来の死を待つだけであったが、その施設ではシュノレテを発症した人の体調や栄養管理などの全てを徹底的に管理し、いずれ治療法が見つかる時まで生き延びさせることができると話題になったのだ。
しかし、生産力が不足している状態ではそう多くの人間を収容して管理することは到底叶わず、施設に入る人間は一部の富がある者の家族だけに留まった。大事な赤ん坊だけを大切に育てる場所、という皮肉を込めて施設は≪揺りかご≫と民衆から呼ばれた。
そして、揺りかごという呼称と同時に広まったのがリュコスである。リュコスとは、シュノレテを発症し寝たきりになった人を、自然に訪れる死を待たずして殺すことを職業とする人間だ。
手続きは非常に簡潔で、シュノレテを発症する前にリュコスに依頼をし、自分がシュノレテを発症したら殺してくれ、と言うだけである。当時の保険に近いものがある。もっとも、生命保険とは全く逆のものではあるが。
当初はリュコスの行いを非人道的なだと非難する者が大多数であったが、一部の人間からは自分がシュノレテを発症した後に家族や友人に負担をかけることなく殺してもらえるということで支持されることもあった。
シュノレテを支持する声は近年、より顕著になりつつある。
揺りかごの定員が埋まりつつあること、止まらない人口低下。シュノレテを発症するくらいならいっそのこと、と考える人間が増えるのは、絶望的な現状では当たり前と言えば当たり前の結果だろう。
しかし、そんな現代でも当然、リュコスに対する根強い非難は存在していた。
親しい者を殺されたことへの憤り、そして何よりも、もしかしたら目を覚ますのではないか、という希望を失ったことへの割り切れなさが原因であることは明らかだ。
「ヒナタを裏路地で拾った頃……もう五年も前になるが、アイツは最初、本当に何も喋らない男だった」
ロキの言葉に、妻のアヴィーは深く頷いた。
「きっと怖かったんだろうね。自分がリュコスであることを知られることが……」
「……商人達の噂話で耳にしたことはあります。でも、今じゃ二人にあんなに心を開いてくれてるじゃないっすか」
「いや、まだまだだよ。ねえ、アンタ?」
「うむ。アイツは隠し事が上手いからな。昔の俺達はアイツがただ無口な性格なんだと、ずっと思っていたくらいだ」
「いやだねえ! そう思ってたのはアンタだけだよ!」
「マジか!?」
「大マジだよ」
「そうか。がっはっは! どうも俺はバカでいかん!」
「……この夫婦は、なんだかなあ」
カウンターの向こうで夫婦漫才を始める二人に苦笑しつつ、ゼインは天井を見上げ、火酒の入ったグラスを掲げた。
「頑張れよ。相棒」
目覚めると、あどけない寝顔が間近にあって、ヒナタは思わず三メートルほど飛び跳ねかけた。
「……ううん」
むにゃむにゃと寝言を発する小さな体躯の女――イリスだ。
「……そう言えば、あのまま眠っちまったんだっけ」
ヒナタは現状を把握すると、イリスを起こさないようにゆっくりとベッドから抜け出した。
……しかし、自分が子供に添い寝してやるなんて。
「柄にもねえことを……」
後ろ髪を手でガリガリと掻き、ヒナタはゆるみきった表情を浮かべながら眠りこけるイリスを見下ろす。
「あーあー、ひでえ顔してやがるな。泣いてるんだか、笑ってんだか……」
涙の跡がくっきりと残ってしまっていたので、タオルで軽く拭ってやる。
「あら、本当に手を出したのかい?」
「うおっ!」
とその時、不意に部屋の入り口から声が聞こえ、ヒナタは身を強張らせた。
「アヴィー、てめえ……ノックぐらいしやがれ」
「かー、これだから年頃の男ってのは面倒クサいんだよ」
「三十路の女には理解できねえよ」
「アタシはまだ二十九だよ!」
アヴィーは器用に小声で怒鳴り、部屋の中に入ってくるとイリスを見やり、目を細めた。
「なんともまあ、可愛いらしい子だねえ。改めて見ると妖精みたいじゃないか、おい? さっきのは冗談のつもりだったけど、お前さん、本当に手を出しちゃいないだろうね?」
「出してねえよ。それより、こいつの部屋を用意してやってくれるか?」
「良いけど、やっぱりここに住ませる気なのかい?」
「ああ。両親を失ったんだとさ。暫くの間、面倒見ようと思っている」
「珍しいこともあるもんだねえ?」
「かっ、どうせゼインから色々聞いたんだろ? ま、タダ飯を食わす気はないから、店でこき使ってくれ。足手まといになるようなら辞めさせても構わないが」
「あいよ。さて、そんじゃアタシは行くかねえ」
「頼んだ」
「……ヒナタ、今日はどうすんだい?」
アヴィーがドアに手をかけながら尋ねた。
「いつも通りさ。ゼインのお守りもねえし、リュコスの仕事だな」
「……あんま遅くなるんじゃないよ」
「ああ」
「じゃあね」
言うと、今度こそアヴィーは部屋を出て行った。
それを見送ると、ヒナタは出かける準備を始める。
「さて、行くか……」
今日もまた、新しい一日が始まる。
一体あと何回、こんな風に眠りから覚めることを経験できるのだろうか?
今は当然のように寝起きしているが、シュノレテを発症したらそれまでだ。
一生、新しい一日の始まりを感じることはできなくなる。
「……くだらねえ」
ヒナタは朝の憂鬱を切り捨てるように剣を宙で振り払い、左腰の剣帯に収めると部屋を出た。